ガザの声を聴け! 第40回

シリアのダマスカスにて

清田明宏
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シリアの首都ダマスカスに7月21日から1週間の出張に行った。前回訪れたのが2017年の4月だから1年3ヶ月ぶりだ。シリアでは2011年から内戦が始まっている。今回の訪問はその内戦開始時以来4度目だ。最初に訪れたのは2014年の2月。その次は2015年の5月。そして2017年の4月だ。

 

シリアには約50万人のパレスチナ難民がいる。1948年の第1次中東戦争で当時のパレスチナから逃れ、シリアに入った。それ以降70年、ずっと難民のままだ。今回はその彼らの声をお届けする。彼らの状況は、ガザのパレスチナ難民と似ている。大きな政治状況の中で、どうすることもできず、その流れに揺さぶられ続けている。「弱者がいつも苦しむ(The weakest suffers the most)」という言い回しがあるが、その通りの状況だ。

 

2011年から始まったシリア内戦は、今年で8年目だ。当初は反政府側が侵攻を続け、シリア国内の多くの地域を支配した。ただ反政府側も一枚岩ではなく、反政府軍内での混乱が起こり、それに乗じてイスラム国(IS)等のいわゆるイスラム過激派も台頭した。現在の中東諸国の政治的状況は非常に複雑だが、その複雑さがシリアの内戦にも影響を及ぼしている。シリアと国境を接するヨルダン、レバノン、トルコ、そしてイスラエル。直接内戦に関わっていると言われるイランやロシア、そして、湾岸諸国、米国やヨーロッパ諸国。各々の地政学的思惑、懸念、政治戦略、どれも単純ではない。全く先が読めない。

 

ただ、2018年になって政府軍が優勢に勢力を拡大し、全土の7割の地域を掌握していると言われる。特に、それまで反政府側が掌握していた首都ダマスカス近郊の各地を奪回・制圧し、次いでヨルダンに近い南部の各地を反政府側から奪回した。その結果、シリア中南部のほとんどは政府側の制圧下にあり、首都ダマスカスは静かで落ち着いて、旧市街の市場は盛況を取り戻している。

 

前述のとおり、このシリアには約50万人のパレスチナ難民がいる。1948年の第1次中東戦争の際、当時のパレスチナの地、特にその北部からシリアに逃れてきたパレスチナ難民とその子孫だ。シリアにはパレスチナ難民キャンプが9つある。

 

古くからシリア政府はパレスチナ難民を手厚く保護した。普通のシリア人と同等の権利を提供していたのだ。UNRWA「ウンルワ」も2011年の内戦開始前は、42の学校、24のクリニックを運営し、シリアのパレスチナ難民の教育と健康を支えていた。難民生活は続いていたが、落ち着いた生活でもあった。難民の多くは首都ダマスカスの近郊に住み、特に首都南部のヤルムーク・パレスチナ難民キャンプにその大多数が住んでいた。それが2011年の内戦で激変した。その経過を私の訪問時に合わせて追っていく。

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ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
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シリアのダマスカスにて

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