「それから」の大阪 第14回

道頓堀を立体看板でド派手に彩る「ポップ工芸」

スズキナオ

「将来どうやって食うていこう」って考えたら何もできないですよ。

雅英さんのご子息・中村健一郎さんがポップ工芸の社員になったのは2020年のこと。それまでは商社に勤め、ロンドンに駐在していたが、日本へ戻って働くよう辞令が下り、あまり気が進まなかったために退職することに。しばらくは自由を満喫しようと、奥様と共に世界一周旅行をしている途中で新型コロナウイルスが全世界的に猛威をふるい始めた。海外旅行を続けるのが難しくなり、日本へ帰国。その頃、ポップ工芸は長く勤めていた職人さんたちが立て続けに辞めてしまい、深刻な人出不足に悩まされていた。見かねた健一郎さんが、自分にできる範囲でサポートしようと入社することになったという。

――健一郎さんは商社に勤めていらして、看板の制作は未経験だったわけですよね。

「まったくノータッチでしたね。僕は制作はまったくしたくないんですよ(笑)。僕、事業会社の管理とかやってたんで、会社の管理的なこと、経理とか財務とか、そういうのはわかるんです。裏側でサポートして、その分、他のみんなに制作に専念してもらおうと思ったんですね」

2020年からポップ工芸を支えている中村健一郎さん(2021年10月撮影)

 

 

――なるほど、あくまで裏側で支える役割なんですね。

「ただ、制作の中には技術を必要とするものもあれば、ほとんど技術がいらないものもあるんです。そういうところは誰でもできるんで、忙しい時はそこを手伝おうっていうことで、たまたまこの1ヶ月間は忙しかったので、ものすごい作りましたけど」

――実際に作業をされたり、近くでお父様の仕事を見ていてどうですか?

「しんどいですけどね、この仕事。汚れますし、薬剤の匂いはきついですし。納期がいついつまでって決まっていてそれが短い場合、作業量的な限界があるから、早めようと思っても早められないんですね。どう頑張ってもできない。そういう時にどうするかっていったらもう徹夜するしかないっていう(笑)。体力的にもきついところがありますね。時間をかけてええもん作ろうと思えばできるかもしれないけど、そうしたら間に合わない。そのせめぎあいの中でやっていく大変さを感じました」

ポップ工芸の作業スペース。スタッフの方が黙々と作業している(2021年10月撮影)

現在は大きな牛型のオブジェを制作しているという(2021年10月撮影)

 

 

――すごく大変だと思うですが、やりがいを感じる部分はありますか?

「制作に関しては僕は好きじゃないというか嫌いなので(笑)。何もないんですけど、サラリーマン時代って、会社に何かあったとしても会社全体が困るだけで、自分はいつも通り給料をもらっているだけじゃないですか。今のように主体的に考える必要がなかったです。ここに入った方が気楽やと思って来たのに、サラリーマンの時より働いてるっていう(笑)。今はずっとこの会社のことを考えてますから。しんどいですけど、主体的にやってる分、そこは楽しいかなと」

継続的に働いてくれる職人を一から育てることが今後の課題だと父・雅英さんは言うが、健一郎さんの考えは違うという。

「僕は逆ですけどね。職人を育てるのは無理やと思います。いい人に当たるかどうか、そこって運しかないなと思います。それよりは誰がやってもできるように変えていくっていうのが大事かなと思って。誰でもできる作業についてはアルバイトさんでうまくまわしたいなっていう。もちろん難しいところにはやっぱり職人さんが絶対必要やと思うんですけど、誰でもできる仕事をそういう人にしてもらうのはもったいないんです。職人さんには形づくりとか一番難しい部分をお願いして、あとはバイトで流すとか、そういう風にしないときついなって」

――確かに、せっかく職人さんを育てたとしても、その人が急に辞めたら困ってしまう。

「そうです。熱意がある人であればあるほど、いつか独立していくということもあるでしょうし。他の会社で働くという選択肢もあるわけですよね」

――今後は技術の進歩による影響もあり得ますか?3Dプリンターみたいなものを取り入れていくとか。

「もう同業者はやってますよ。ただ、今はまだ、どっちがええかというと微妙なんです。手で作った方が安いし速いしっていう部分もあるでしょうし、機械の方がええなっていう部分もあるんで、どっちかっていうとそれをハイブリッド的に組み合わせていくっていうのが今なのかなと。機械に全部任せてしまうと、結局は資本がデカい方が勝つじゃないですか。大きな会社だと発泡スチロールを削るマシーンが50台も100台もあったりする。そうなると絶対そっちの方が強いんで。だから手作りでできる範囲をある程度残さないとっていうのは思いますね。手作りと機械とをうまいこと融合させるっていうのがたぶん、うちみたいな小さいところの生き残っていく術かなと思います」

 

インタビューの終わりに、父・雅英さんがこんなことをおっしゃった。

「普通の人はみんな努力してきてますやん。僕は一切努力はしてきてない(笑)。看板屋さんでもしようかゆうのも、たまたま新聞広告で募集してたゆうだけであって、ほんで一年でやめてすぐ独立したわね。注文入るかどうかゆうのも何も考えてない。考えたら何もやってないと思いますわ。『将来どうやって食うていこう』って考えたら何もできないですよ。立体看板の仕事も友達に『作ったことないもん、よう引き受けたな』って言われるもん。みな成り行き成り行き。仕事も熱心にやったことないしね(笑)。ただ、納期があるから徹夜して一生懸命やってるだけであって。ほんまに何も考えないでやってきたんや」

そんなお父さんのスタイルがどのように見えるか、息子の健一郎さんにたずねてみた。

「いや、普通マネできないですね。心配になりますね。でも確かになんとかなってるんですよ。思うのは、前もって一生懸命考えてからやる人っていうのは、おそらく、何かのピンチの時に弱いと思うんですよ。それが立ちいかなくなったらどうしようもなくなる。でも、何も考えずにやってる人は、常にピンチ状態なんで(笑)、火事場のクソ力的なものが働くのかなと思うんです」

こう聞くと、“常にピンチ状態” を柔軟にしぶとく生き抜いてこられた雅英さんの姿に、改めて力強さを感じる。「もう72歳ですわ。周りの友達みんな遊んでますわ。僕だけですよ。こんな、徹夜してんの」と笑う雅英さんと、未来を見据えてそれをサポートする健一郎さんのお二人を中心に、ポップ工芸がこれからも立体看板で大阪を活気づけてくれることを願いつつ、八尾の町を後にした。

 

2021年10月2日、緊急事態宣言が解除となって初となる週末に私は道頓堀を訪れた。観光客で賑わっていた通りゆえ、まだまだコロナ禍以前と比べると人出は少なかったが、それでも少し賑わいが戻ってきたように感じられた。

ポップ工芸が手掛けた様々な立体看板を、路上に生まれた美術館で作品を鑑賞するように一つ一つ見上げていく。造形の細かな工夫や、リアルな彩色に注目していくと楽しい。

大阪王将の巨大餃子看板もポップ工芸の制作物(2021年10月撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散歩の締めに「金龍ラーメン」のラーメンを食べながら、「何も考えてこなかった」という雅英さんの言葉を思い出していると、ふらふらと生きてきた自分に対しても、大阪の町の将来についても、「まあ、なんとかなるやろ」と背中を押してもらったような気がして、なんだか嬉しくなってくるのだった。

龍の巨大看板が目立つ金龍ラーメンで一休み(2021年10月撮影)

 

 

(つづく)

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 第13回
「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

 
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