白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。
一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本文化に通じる香りがする。
はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による入門連載をここに贈る。
山本直輝
強者とは、その力で人々を打ち負かす者ではなく、
憤怒の中にあっても自制心を失わない者である
預言者ムハンマドのことば
これまでスーフィズムの基本的な人間観や修行で用いられる呼吸法や祈祷法、また修行としての料理やそのレシピなどを紹介した。今回は、スーフィー武術を紹介したい。
東アジアに生きる我々日本人にとって武術は実践したことはなくともとても身近なものであろう。しかし、我々が見たことのある武術のいくつかが、実はスーフィズムと関係があることを意識したことがある人は少ないのではないだろうか。また剣道や弓道、柔道などアジアの武術はトルコや中東の若者たちの間で知られているが、東アジア、東南アジアのムスリムたちの間で武術が「スーフィズムの修行」として脈々と受け継がれていることを知っている人はほとんどいない。例えば、「スーフィズム入門」でたびたび紹介しているナクシュバンディー教団は、実は武術を精神修行に取り入れているスーフィー教団なのである。第十二回の中田先生との対談で議題となったイギリスのシャイフ・ナーズィムのナクシュバンディー教団も、武術を若い弟子たちの教育法に取り入れていることで有名である。今回はスーフィー武術の伝統を探るために、東南アジアと東アジアの武術を例として紹介したい。
1東南アジア:シラットとスーフィー
近年では武術愛好家のみならず、インドネシアのアクション映画の名作『ザ・レイド』シリーズや、『ザ・レイド』の俳優がシラット・ニンジャの敵役として活躍した『ジョン・ウィック:パラベラム』によってシラット武術は世界的に有名になっている。少年漫画では『史上最強の弟子ケンイチ』(全61巻、小学館)でシラット使いが登場している。
シラットは東南アジア各地で広く実践されている武術体系で、その起源ははっきりとはわかっていないが、およそ6世紀~7世紀ごろに成立したといわれている。東南アジアのマジャパヒト王国の軍事訓練に用いられ、その後東南アジア社会のイスラーム化に伴い、ムスリムの精神修行の営みにも取り入れられていった。オランダ占領期には抵抗運動の火種になるとして禁止されていたが、抵抗運動の担い手には第四回で紹介したユースフ・マカッサリーなどスーフィー教団の導師たちが数多く存在した。
シラットには「イルム・パディ」という教えがある。イルムはアラビア語由来の言葉で「知識、知恵」を意味し、イルム・パディは「稲穂の知恵」と訳される。日本のことわざにも「実るほど頭の下がる稲穂かな」とあるように、単にシラットの技芸を磨くのではなく、謙譲の精神を大切にしながら心身を鍛えることの尊さを説いている。
シラットには様々な流派があるが、スニ・シラット・ハック・ムラユと呼ばれるシラット演武の流派は東南アジアを超えてイギリスのナクシュバンディー教団でも実践されているグローバルなスーフィー武術集団である。このシラット演武の師範としてアリフィン師という人物がいる。

シラットマスターのアリフィン師。全米スポーツ・シラット協会HPから
プラーナ(吸息法)とラーム・アリフの型
アリフィン師によれば、このシラット演武の神髄はプラーナにあるという。イスラーム教徒のシラット導師たちは、プラーナをナファス・バーティンと呼ぶ。ナファス・バーティンはアラビア語で、「内なる呼吸」と訳され、呼吸に集中し、己の内に巣くう自我のコントロールを図ることを目的とする瞑想の訓練を指す。あらゆるシラットの型には特有のナファス・バーティンが存在すると言う。
ナファス・バーティンは夜明け前に始めるのが良いとされ、瞑想中は舌を口蓋に付け、心頭滅却の境地を目指す。ナファス・バーティンの訓練の際には様々なポーズをとるが、その中の一つに「ラーム・アリフの型」がある。ラーム・アリフはアラビア文字の「L」と「A」を指し、書くと下のような形になる。

ラーム・アリフのアラビア文字表記
瞑想者は、このラーム・アリフの文字を表すように両腕を頭の上に挙げ、息を吸い込み、アッラーを指す「彼の御方(フー)」を唱えながら息を吐く呼吸を繰り返す。「フー」の息を吐く行為は50回を1セットとして行われる。またアッラーと天地創造の叡智を心に留めることが求められ、この正しい心構え(ニーヤ)は全身の血液とリンパの循環を活性化させるという。プラーナはサンスクリット語由来の言葉で一見ヨガとの関係性があるようにみえるが、ラーム・アリフの型にみられるようにアリフィン師の解説にはアラビア語由来のイスラーム的要素も散見される。シラットは東南アジアの土着信仰、ヒンドゥー教、イスラームなど様々な宗教や哲学が混淆する東南アジア社会をそのまま体現しているかのようだ。

ラーム・アリフの型。D.S. Farrer. Shadows of the Prophet: Martial Arts and Sufi Mysticismより

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。 一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じるものが香る。 はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による最新の入門連載をここに贈る。
プロフィール

1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。