富岡教会に集う客家住民

台北を発って二日目の朝、桃園から新竹に向かう途中、富岡という町に寄り道した。前夜泊まったユースホステルで『此時此客@桃園』という客家の専門季刊誌を読み、富岡には客家が多く、小学校の校歌は客家語で書かれていると知り興味を持ったのだ。客家とは台湾人を構成するエスニック・グループの一つで、大昔に華北の戦乱を避けて大陸南部に逃げてきた漢民族をルーツとし、俗に「東洋のユダヤ人」とも呼ばれる。移住先でも独自の言語や生活文化を維持してきた。その人たちの中からさらに台湾まで渡り根を下ろしたのが台湾客家で、現在は総人口の20%程度を占める(※1)。
私はなにしろ台湾の多民族感、文化的多元主義の定着具合を知りたかったので、客家や原住民の方々とは積極的にかかわっていった。その第一弾が、富岡教会訪問だった。ちょうど日曜日で、小雨の中到着すると、昔の工場を改装した教会の中から歌がもれてくる。私はクリスチャンではないが、ミサや礼拝の参加経験は少なくない。そっと入ってゆくと、すぐに気づいてもらえ、歓迎された。
説教やスピーチ(非常にハイテンションで情熱的なものもあった)や歌は中国語だったが、参加者は大半が客家だった。日本の教会では、会の最後に新しい仲間の紹介をするのはめずらしくないが、ここでもそうだった。おもしろいことに、一人ひとり、あいさつに加えて聖書の一部を朗誦するのである。スクリーンに当該箇所が投影され、答え合わせをしながら。これは他国では見たことがないルーチンだった。暗唱文化はどちらかといえばイスラーム教のほうが盛んな印象がある。
最後に私も呼ばれた。柔和な表情の司会男性が「日本人ですか? 日本語のあいさつでいいですよ」とマイクを片手に私をまねく。私はしかし、中国語でやらせてくださいと頼み、自己紹介し、「暗唱はできませんが、スクリーンに映してくれたら、中国語で音読します」と言って、ヨハネによる福音書の一部を、参加者の助けを借りつつ朗読したのだった。すると拍手喝采である。
「中国語始めて3ヶ月ですって?」と問う声があがる。
「はい。けれども私たち日本人は子どもの時から漢字を使っていますから」
そのまま昼食会に招かれ、初めての客家料理を堪能した。青菜が束ごとまるまる浸されたスープのやさしい味が忘れられない。それから老若男女の参加者に話を聞く。
司会の男性・劉さんは52歳で、父が客家、母が閩南人(台湾人の多数を占める)だ。日本統治時代はもちろん未経験だが、両親が時々日本語を使っていたので好奇心を抱いて学習したという。両親の嫁入りの儀は、婿のほうが小さな川を舟でわたって嫁を迎える、という古式にのっとって行ったそうだ。それ以前には村や民族のちがいに起因するあらそいがちょくちょくあったとのことで、二人の結婚は台湾に住む人々全体が和解に向かっていった時期の象徴のようなできごととして、家族に語り継がれているらしい。
私がこんなアンケートをとりながら旅をしている、と用紙を見せると、質問を一瞥して日本語で言った。
「台湾では、政治的な話を他人にすることはあまりないです。本音でしゃべるのはむずかしいので。すぐケンカになるから」
劉さんは、自分の家族間でも支持政党がちがう、という例をあげた。
「ですから、この『あなたが考える、中国との最良の関係は?』という質問はいいですね。直接は聞けなくても、この質問を通じて、台湾人の本音が見えるかもしれません」
質問にこめた私の意図と配慮を言い当て、ほめてくれた。そして彼自身の回答はというと、これも日本語で「おとなりで良いです」だった。ユーモアの感じられる、たくみな表現だ。台湾と中国とはお隣同士、それ以上でもそれ以下でもない、というニュアンスだろう。旅の後半には「不統不独」――統一されるのでも独立するのでもない、という表現で答えた青年がいたが、それよりはもう少し、中国に対する冷淡さが感じられる。
「台湾はこれまで(支配者が)次々と変わってきました。清国の次に日本になり、日本の統治が50年つづいて台湾の人たちが自分たちを日本人だと思いかけていた頃、いきなり国民党になって。いまやっと、自分たちは台湾人だという思いがひろまっているのでいいことだと思いますよ。
そうじゃないと、もしも攻めこまれるようなことがあったら、みんな逃げてしまうでしょう。土地を守るために戦わないで」
おなじく教会に来ていた60代の客家女性は、「ここ30年の中国との付き合いを通して、相手(中国)のことがわかってきました。中国の政府は、台湾は家族だと言うけれど、家族だったらなぜ戦闘機を飛ばしてきたりするの?」と積年の不満を口にした。
30年前の1996年3月23日、台湾では初の総統直接選挙が行われたのだが(李登輝の勝利)、中国共産党はその少し前から軍事演習やミサイル発射訓練をくりかえし、露骨に圧力をかけてきたのだった。台湾の蔣仲苓国防部長(当時)は「領海一二海里以内に着弾した場合、台湾は直ちに反撃する」と宣言し、それに対して中国の江沢民国家主席(当時)は「台湾が祖国分裂活動をやめない限り、われわれの闘争は終わらない」と応じる(※2)。米国の介入もあって衝突は回避されたが、以来台湾は、くりかえし大陸中国からのパワーハラスメントを受けている。
前述の女性は「中国との最良の関係は?」の問いにこう答えた。
「各自がおのおのの生活習慣をつづけ、たがいに干渉しないこと」
劉さんの「おとなりで良いです」も、表現はやわらかだがこれに近い希望を表明しているように思える。
(※1)「Taiwan Today」2022年4月1日 https://jp.taiwantoday.tw/151/217040
(※2)中川昌郎著『中国と台湾 統一交渉か、実務交流か』(中公新書)

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。
プロフィール

まえかわ さねゆき
ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。
前川仁之





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