知られざる原住民の偉人伝抄
また、自分の親族が著名人というケースもあった。
おなじくプユマ族の祖霊祭の場で、企画プランナーの30代の女性、カキミさんは料理をふるまいつつ私の相手をしてくれた。「ぼくが台湾で本を出せたらぜひ記念イベントを企画してほしいなあ」と言うと大笑いだ。そんな彼女が「尊敬する人」に記したのは「陳實」の名だった。
「だれですか?」
「プユマ族の音楽家です。私の父方の祖父で、日本名は川村實」
音楽家来た! このアンケートでは、芸術家や文人をあげる人が極端に少なく、そっち方面のほうが好きな私としては少々さびしかったところなのだ(ジャンル別では政治家・指導者が圧倒的に多かった)。
カキミさんが教えてくれた陳實(1901~1973)は、これまで知らなかったのがもったいないくらいの人物だった。日本統治時代の台東に生まれ育った彼は、台北師範学校に進学した原住民のエリートで、在学中に西洋音楽を学び、楽理を身につけるとともに、ピアノ、バイオリン、オルガンなどの演奏を習得する。彼の才能を認めた師は卒業後のドイツ留学をすすめたが、父親の反対で台湾にとどまり、教職免許を得て地元の学校に赴任した。
そして教職のかたわら、みずから作曲するだけではなく、原住民の民謡を楽譜に書き起こして整理した。その成果は当時の日本の音楽学者や人類学者にもサンプルとして使用されている。日本の敗戦と撤収後は、台東県政府教育科で郷土歌謡の保存と普及活動をおこなう。また、音楽文化面以外でも郷土のために尽くし、この日みんなが集まった「山地人発祥地」の碑だって、彼らが設置に尽力してできたものだそうだ。
あとで陳實の代表曲「海洋」を聞いてみると、凡百の動画よりも台東の海辺の生命を感じさせてくれるすばらしい曲だった。また、行きたくなる。恋しくなる。
カキミさんの揚げた陳實や、最初に述べた大頭目の例は、原住民のもう一つの傾向を示唆する。彼らの「尊敬する人」には、自分たちの属する民族か、もしくは原住民全体のアイデンティティにかかわる人選が多いのだ。こちらの回答例は原住民25名中、7人。カキミさんのように「陳實」(原住民のアイデンティティにかかわる著名人)が「祖父」(家族)であるケースを除外しても5人。25人中の20%だ。
取材をする側にとっては、このタイプの回答はありがたいものである。日本で本を読んでも知る機会のなかった人物を、その人物に対して目の前にいる個人が寄せる敬意もろとも、知ることができるのだから。もう一人だけ紹介したい。
セデック族語言文化学会で働く語推人員(民族語の教育・保持・普及に取り組む仕事)のバカンさんは、アポなしで立ち寄った私に「一口にセデック族といっても三つの部族に分かれていて、刺青のデザインも違います」といったことから伝説までくわしく教えてくれた。セデック族といえば、日本統治時代の原住民による最大の反乱・霧社事件(1930年)の主人公で、私もその現場のいまを知っておきたくて訪れたのだが、詳細は別の機会にゆずりたい。

そのセデック族で伝統の継承に努めるバカンさんが挙げたのは楊志航という人物だった。
「原住民で最初に弁護士になった人です。先月亡くなられましたが」とまだ若いバカンさんが誇らしそうに語る。
「〇〇第一号」はどこでも、どの分野でも賞賛されるものだが、楊志航(民族名はパワン・ユミン)は法律家第一号以上の人物だった。タイヤル族の彼は1983年に台湾大学を卒業し、91年に台湾の原住民としては初めて、法律家の資格を取った。90年代になってからやっと、原住民で最初の法律家が誕生したというのもおどろきだ。
楊志航は原住民の土地や文化にかかわる訴訟案件を数多く担当するとともに、彼らに不利をもたらす法制の問題点を指摘していった。さらに、ニュージーランドのマオリ土地法院を視察研究した知見を活かして、台湾でも原住民の文化に合わせた法制度を整えるべく努力したのだった。マオリ族と土地の関係といえば、2017年にワンガヌイ川を「生きている人と同様」の権利を持つ法人と認める決議がなされ、ポスト資本主義のやさしい世界を模索する人々の間で注目を集めたのは記憶に新しい。台湾でも、タイヤル族のだいじにする山に観光客がおしよせ、危機感を持った長老たちが登山自粛と山の封鎖を呼びかけるといった戦いが行われてきた。こうした声をあげやすくなったのには、楊志航氏のような、伝統文化と法律をつないだ先駆者の功績が大きい。
もっと知りたくなる人物だ。惜しむらくは66歳の若さで病死してしまったこと。バカンさん、教えてくれて本当にありがとう。
第一回でとりあげた蔣経国や李登輝といった著名人をナショナル・ヒストリー――国民史の住人とすると、原住民はより身近な、ローカルないしエスニックな歴史をだいじにしている、という見方ができそうだ。これに家族・親族を挙げた人と、無回答や「特にいない」の人をくわえると過半数になる。
少々乱暴に言えば、原住民の人々は大きな歴史をあまり重要視していないのかもしれない。そしてそれは私にとってけっこう頼もしいメンタリティだ。現代の日本社会でたとえるなら、国旗損壊罪などというものには一ミリの必要性も感じないであろう、独立不羈
の頼もしさ。その価値観をこれからもたいせつに学びとっていきたいものだ。
とは言え、この人たちは台湾全体への帰属意識が薄い、とまで主張するつもりはない。むしろ現代台湾社会あっての自分たちだ、という自覚が感じられる。「台湾についてあなたが最も誇りに思うことはなんですか?」の質問に対する原住民25名の回答結果からは、びっくりするほどはっきりとした傾向が見られた。半数近い12名が、原住民文化や、文化の多元性を誇りとしてあげたのだ。「プユマ族の文化」や「パイワン族の人々」といった具合に各々が属する民族にスポットを絞る人もいれば、「台湾の多元な文化が豊かに発展していること」とマクロで見る人もいる。いずれにしても、自分たちとその文化がないがしろにされない社会をこそ誇りにしているのだろう。
埔里で泊まった宿で知り合った31歳の男性、学校教員のユミンさんは父がタイヤル族、母が客家で、霧社行きを翌日にひかえた私に実にいろいろ教えてくれた。彼の回答は全文を引用したい。
尊敬する人物は――「特定の人物はいません。ただ、正しく民主を追求し、勇ましく暴政と戦った烈士には尊敬の念を抱いています」(埔里は二・二八事件当時、民衆の抵抗が激しかった町で、町の入り口には記念碑もあった)
中国との最良の関係は――「武力による示威や威嚇がなくなってほしいです。また、中国の人民がいつか目覚め、もはや高度の統制下に生きることがなくなるよう希望します」
台湾について最も誇りに思うことは――「包容力が高く、異なる民族、意見、考えを受け入れられることです」
なにも付け加える必要はない。これを訳している私の脳裏には、広いログハウス風のロビーの一角で、暖色の照明の下私の質問に答えてくれたユミンさんのしずかな笑顔がよみがえっていた。

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。
プロフィール

まえかわ さねゆき
ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。
前川仁之





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