21世紀のテクノフォビア 第15回

ボタンとエレベーターの時代

速水健朗

■機械の複雑さとミステリー小説のノックスの十戒

 SFは科学が進んだ未来の社会や未知の宇宙を描く分野だが、ミステリーはそれとは逆に、未知の存在や難解なテクノロジーをトリックの一部に取り入れることが嫌われる分野である。

 ミステリー小説には、「ノックスの十戒」と呼ばれる基本ルールがある。これは、読者を納得させるために作家が守るべきとされる原則で、その1つに「難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない」という項目がある。

 例えば、ペースメーカーをハッキングして心停止を起こすといった手口は、その仕組みが一般読者には理解しにくいため、この戒律に反するとされる。つまり、読者が納得できるトリックには、誰もが知っていて、仕組みも想像できる装置を使わなくてはならない。その点で言うと、エレベーターはうってつけな存在だ。操作も簡単で知らない人はいない。

 2017年の今村昌弘のデビュー作『屍人荘の殺人』は、ゾンビとエレベーターを組み合わせた独創的なトリックで話題となり、100万部を超えるベストセラーとなった。

 物語の舞台は、大学のサークル合宿先のペンションだ。突如としてゾンビが大量発生し、主人公たちは1階を占拠されてしまう。彼らは2、3階へと避難し、階段室を塞ぐことでゾンビの侵入を防ぎ、自分たちの安全を確保する。が、エレベーターは動作可能なままである。

 ゾンビは無意識に動くため、操作はできない。しかし、偶然ボタンに触れてしまえば、エレベーターは1階に呼び出され、扉が開けばゾンビが乗り込む。エレベーター・ボックスが目的階のボタンを押されないままなら1階に留まるが、2階や3階から誰かが操作すれば、ゾンビが上がってくる可能性がある。

 主人公たちは、ゾンビの侵入を防ぐため、エレベーターの扉に物を挟み、開いたままの状態に保つという手段をとる。これは、引っ越し時などによく行われる、エレベーターの「一時固定」として知られる方法だ。

 この密室状況の中で殺人事件が起きる。犯人は、エレベーターを用いてそれを実行した。登場人物たちは、エレベーターの仕様やルールを確認しながら、ああでもないこうでもないと、エレベータートリックのからくりを解き明かそうとする。

 エレベーターの諸仕様、扉が開いている間は動かない、重量をオーバーするブザーが鳴りドアが閉まらなくなる。これら基本的な安全設計は、普段意識されないものの、多くの人が体験的に知っているルールだ。説明書を読まずともわかる。その組み合わせのパズルによって犯人は、エレベーターを利用した殺人を実行するのだ。

■エレベーターが獲得したユーザー・インターフェース

 『屍人荘の殺人』が見事なのは、エレベーターを巧みに物語に取り入れている点だ。仕組みをやや複雑に絡めてはいるものの、あくまでエレベーター特有の、ごく当たり前の操作を組み合わせたものにすぎない。そのため、誰もが理解できる。作品を通して、エレベーターの操作設計の合理性にあらためて感服させられる。

 あらためてその操作方法を記しておくと、エレベーターの外側には、上下どちらに行きたいかを示す2つのボタンがある。ボタンを押すとランプが点灯し、上行きか下行きかの表示ランプも点く。到着時には「ポーン」というチャイムとともに扉が開く。これがエレベーターの最も基本的な表向きの表情。インターフェースの基本。

 内部に入ると、目的階のボタンや開閉ボタンが並んでいる。「開」を押せば、ドアの開く時間が延長され、「閉」ボタンは、通常よりも早く扉を閉めたいときに使う。

 他にも、エレベーターの操作系は一貫してシンプルに設計されており、次に何をすべきかが自然とわかるようになっている。マニュアルを読まずとも、誰でも使える。この「直感的に使える設計」こそが、優れた装置の証である。

 また、メーカーが違っても基本的な操作仕様が統一されているのも特徴だ。ただし、到着音に違いがあり、下から来た場合は「ポンピン」、上から来た場合は「ピンポン」と鳴るよう工夫されたものもある。これはマニアックな知識だが、基本的にエレベーターは「マニア向け」ではなく万人向けの装置だ。

 操作ルールが頻繁に変わらないのも、エレベーターの優れた点である。ただ、米国では障害者法の影響により、扉を開け続ける義務が生じ、近年では「閉」ボタンが実際には機能しない(ダミーになっている)場合もある。この「プラシーボ・ボタン」は、たとえ実際に操作できなくても、「機械を制御している感覚」を与える点で意味があるのだという。

 そんな優れた操作性を持つエレベーターだが、その歴史は一本線のものではなかった。かつては、その恐怖心から拒絶された時代もあり、操作方法の変化によって不安を呼び起こした時代もあったのだ。

■まだ人から恐れられていた時代のエレベーター

 エレベーターが登場した19世紀半ば、人々はそれを恐れていた。もっとも多くの人が想像したのは、昇降機の転落事故だった。まだ世界中で炭鉱が盛んに掘られていた時代である。昇降機は鉱物を運ぶだけでなく、作業員自身もそれに乗って地下へと降り、鉱物を掘っていた。もしケーブルが切れれば、籠は一気に真下へ落下し、乗っていた人間が助かる可能性はほとんどなかった。実際、そうした大規模な事故も時折起きていた。ゆえにエレベーターを怖れ、階段を選び続ける人も少なくなかった。日常にエレベーターを根づかせるには、まずこの恐怖を克服する必要があった。

 地理学者イーフー・トゥアンは『恐怖の博物誌』の中で、恐怖とは「警戒心と不安という、はっきり区別されるふたつの心理的緊張がからみあった感情だ」だと述べている。

 19世紀の人々の「警戒心」は、ケーブルだけで吊り上げ、吊り下げを行う原始的な装置としてのエレベーターに向けられた。一方「不安」は、対象があいまい、ぼんやりしている場合に生まれるもの。高いところに上がる。それは、いつ落ちてもおかしくないという不安を生む。

 エレベーターの普及には、その両者を解決する必要があった。

 黎明期のエレベーター普及に大きな役割を果たしたのが、イライシャ・グレイヴス・オーティスである。1854年、ニューヨーク万国博覧会にて、彼は画期的な実演を行った。高さ15メートルまでガイドレール付きの台を上昇させ、その上で自らロープを切断するということを実際に行って見せた。観客の目の前でロープが切断されても、台は数センチ沈み込んだだけで止まった。これは、彼の発明した「爪状安全装置」が瞬時に作動し、ガイドレールに台を固定したためである。

 オーティスは満員の観客を前に「まったく安全です」*1と宣言した。このデモンストレーションにより、彼は、エレベーターが危険のないものだと訴えたかったのだ。エレベーターは複数の安全装備の組み合わさった、近代的な装置であることをアピールし、人々から、警戒心を拭い取り、安全運行を続けることで不安を払拭した。

 これ以降、徐々にオーティスのエレベーターが普及し始めた。なお、オーティスは安全装置の発明者ではあるが、エレベーターそのものの発明者ではなかった。しかしこの安全装置が「エレベーターは安全」という印象を社会にもたらし、それが普及の足がかりとなった。

*1『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』アンドレアス・ベルナルト 著 井上周平、井上みどり 訳

■押しボタンが登場したのは、一体いつのことか

 19世紀のエレベーターは専従のオペレーターによって操作されていた。彼らは目的のフロアで正確に停止させるため、バルブの開閉で速度を調整し、ロープを引いたり、手回しのハンドルやクランクを使ってボックスのずれを微調整していた。乗っている人の重さによっても制御のタイミングは変わり、繊細な感覚が求められた。そして、人に恐さを感じさせないスムーズな操作が求められた。一方、未熟なオペレーターによる操作は、ぎこちなく危険を伴うこともあったし、中には技術を誇示しようとするあまり、無理な運転をしてしまうオペレーターもいたようだ。

 20世紀に入ると、エレベーターの動力は水力・油圧から電気へと移行し、それに伴って操作方式も手動レバーから押しボタン式へと変化していった。ベルナルトによれば、最初の押しボタン式エレベーターが登場したのは1893年。行き先階をダイヤルで指定する方式だったが、その他の点では現代のエレベーターに近い仕組みだった。そこから徐々に、手動式から自動式への転換が始まる。実際には、移行期間はおよそ半世紀にも及んだ。

 ここでようやくボタンの時代がいかに誕生したかという話になる。

 押しボタンという装置は、1885年から1895年頃にかけて各種機械に導入され始めた。「電気式ドアベル」「工作機械の制御装置」「火災報知器」などがその例だったとベルナルトは書いている。当時の装置の代表的な押しボタンがカメラのシャッターだ。1888年創業のコダック社は「ボタンを押すだけ、あとは私たちにお任せください(You press the button, we do the rest)」というスローガンを掲げ、ボタン操作の利便性を広めた。

 「押すだけ」。そのシンプルさが押しボタンのそれまでの制御装置との違いである。レバーであれば、微調整といった役割を果たすこともできる。ただボタンは、オンとオフの2つ(長押しがのちに登場するとは言え)。これは、機械の操作を苦手とする人たちに向けて生み出された装置でもある。つまり機械の役割が広がり、専門的な訓練を受けた人以外が使う場面が増えていく。その中で、誰もが理解し、押すだけで機能を果たす押しボタンが誕生したのだ。

 エレベーターよりも早くから押しボタンが取り入れられていた装置に火災報知器がある。19世紀後半、建物内部や街路に火災報知器が普及した。当初は、クランクや引き手による手動式で、電話線を通じて消防本部に信号を送る仕組みだったが、やがて押しボタン式に改良された。

 なぜ火災報知器にボタン式が採用されたのか。それは「押す速度が速すぎても、強く押しすぎても、消防本部には常に正しい信号が伝わる」*からだ。火災の目撃者は興奮状態にあり、冷静な操作が難しいことが多い。それでも確実に作動する装置として、押しボタンが選ばれたのである。押しボタンは、誰でも、どんな状況でも使える仕組みとして普及していった。

 一方、火災報知器はエレベーターに比べると、不穏さや不安をかき立てる外観を持つ。装置は赤く塗装されており、それは緊急時に目立つ色であると同時に、火の色と重なることで、危機感を高める心理効果も担っている。

■エレベーターはいかにして「意思を持つ機械」になったのか

 エレベーターのオペレーターたちは、押しボタン式に切り替わることで、次第に職を失っていった。テクノロジーによって仕事が失われる典型的な例である。ただし、手動式から自動式への移行には20〜30年にわたる過渡期があったともされる。エレベーター・ボーイの役割も、操縦から整備までを担うエンジニア的存在から、乗客の指示に応じてボタンを押す接客サービス業へと変わっていった。

 押しボタン式エレベーターの登場は、電気機器の普及とともに増えたものでもある。そして、とくにアメリカではヨーロッパよりも早く普及した。これはアメリカとヨーロッパの機械の向き合い方を反映している。アメリカは、自動車の普及中でもオートマチックのギアが先に完全に普及したが、ヨーロッパでは現在でもマニュアル式の操作の車がたくさん走っている。機械操作に人の関わる余地を残そうとするのがヨーロッパで、残さないのがアメリカである。

 操作する人の技術にばらつきがあったエレベーターと、機械任せでまったく人の操作技術が及ばない押しボタン式のエレベーター。当時の人々は、どちらを信頼していたのだろうか。押しボタン式が出た当初「誰が操作しているのか分からない」という不安を抱いた人が多かった*2。

 この時代、エレベーター以外の分野でも自動化を謳う機械が普及した。20世紀初頭には音の強弱やペダリングを再現する自動ピアノが一世を風靡し、自動車(オートモビル)が急速に台頭を見せていた。自動販売機もこの前後の時代に登場した。電話の自動交換機も1920年代に普及した。こうした自動化された機械の中でも、もっとも人工知能に近い動きをする装置はエレベーターだった。

 1910〜1920年代にかけて、電話や鉄道、航空などの技術をテーマにした作品で人気を博したドイツの作家アルトゥール・フュルストは、押しボタン式のエレベーターを「もはや単なる生命のない機械ではなく、自ら考える能力を持っているように見える」と書いた。

 フュルストが注目したのは次のような機能だ。たとえば、エレベーターのボックスが4階にあるときに3階で呼び出すと、ボックスは下に降りてくる。逆に、1階にいるときに3階で呼び出すと、上に上がってくる。それはあたかも、エレベーターが自ら判断して動いているように見える。もちろん、これはそう見えるように設計されているだけのことだが、当時としては画期的なインターフェースだったことは間違いない。

 もちろん、20世紀初頭頃のエレベーターは、今に比べて事故も多かったし、不安定だっただろう。移行期間の20〜30年は、技術が信頼に値するものへと進化する猶予期間であり、人々がその不安を克服するため、「慣れのため」の期間だったのだろう。

*2 NPR (米国公共ラジオ放送)「Remembering When Driverless Elevators Drew Skepticism」Steve Henn https://www.npr.org/2015/07/31/427990392/remembering-when-driverless-elevators-drew-skepticism

■ホラーがエンターテインメントになる理由

 19世紀、エレベーターがまだ人々に恐れられていた時代の記憶、そして手動で操作されていた頃の痕跡は、ディズニーリゾートのアトラクション「タワー・オブ・テラー」に色濃く残されている。

 このアトラクションは、19世紀末の高級ホテルで起きた架空のエレベーター事故をモチーフにしており、ディズニーの他のコースター型ライドと異なり、垂直方向の上昇と落下のみでスリルを演出しているのが特徴だ。

 舞台となるホテルには、細かな時代設定が施されている。「タワー・オブ・テラー」の建物は、ヴィクトリアン様式の華麗な建築に改装された旧財閥の邸宅で、モデルになっているのは、ウォルドルフ・ホテルやアストリア・ホテルなど、かつて五番街に実在した超高級ホテル群である。

 ホテルの所有者であるハイタワー三世は、最上階を自室とし、そこまではエレベーターで直結している。もともとは5〜6階建てだった建物を、エレベーターの導入とともに10階以上へと増築したという設定も、当時の建築事情を踏まえたリアリティのある描写。外壁が構造を支える建築では、20階近くまで増築が可能だった。それ以上の回数になると鉄骨構造でなければ難しい。

 ホテルではある悲劇的なエレベーター事故が発生し、ハイタワー三世も姿を消す。それ以来、ホテルは閉鎖され、廃墟と化した──というのがアトラクションのプロローグだ。

 訪問者である私たちは「ニューヨーク市保存協会」のメンバーという設定で、事故の真相を調査するため、このホテルを訪れ、エレベーターに乗り込むことになる。時代設定は1912年。ハイタワー三世が最後に目撃されたのは1899年の大晦日であり、その13年後という設定である。

 「タワー・オブ・テラー」では、ハイタワー三世がアフリカの奥地、コンゴ流域から持ち帰った呪いの人形「シリキ・ウトゥンドゥ」が、エレベーター事故をもたらした存在として登場する。人形がレバーをいたずらし、ケーブルを切断しようとするなど、エレベーターを混乱させる演出が加わる。照明は点滅し、ボックスは急上昇や揺れ、突然の自由落下を繰り返す。

 もしシリキ・ウトゥンドゥがケーブルを完全に切断したとしても、爪状安全装置が働くからボックスは落下しない。エレベーターの技術に明るい人であれば常識の知識だが、それは現代の我々より、19世紀の人々の方がよく知っていたかもしれない。機械についての知識は、むしろ機械任せにしてしまっている現代人の方が疎くなっている。

■なぜエレベーターだけが特別な進化を遂げたのか

 「タワー・オブ・テラー」には、古いテクノロジーに対する不安、魔術や呪術への怖れといった、さまざまな要素が混ざり合っている。なぜ多くの人がこのアトラクションに惹きつけられるのか。 精神科医の春日武彦は『恐怖の正体』の中でこう述べる。人が恐怖に強く惹きつけられるのは、恐怖によって生まれる 極限の状況には、「めまい」のような感覚があり、それに少しでも触れてみたいという欲望を持っているから。ただし、本物の恐怖に直面するのは困難である。だから人は安全が確保されたうえで、その恐怖に擬似的に近づいてみたいと疑似的な体験やホラーコンテンツとして接種する。

 絶叫系アトラクションもホラー映画も安全が保障された上で提示される「恐怖」だ。これを春日は、「恐怖の抜け殻」または「恐怖におけるカニカマみたいなもの」だというが、むしろ「「まがいもの」のほうがより心の奥に訴える場合がある」ということも、人は心のどこかでよく理解している。

 20世紀に入り、エレベーターが日常の乗り物となっても、なお「落下」への原初的な怖れは完全には消えない。だからこそ人はそれを試してみたくなる。そして、この試みが「現代のエレベーターの事故」をテーマにしたものだったら、それは成立しなかっただろう。最新のテクノロジーで制御される現代のエレベーターへは万全の信頼を寄せている。もしこの関係が崩れるようなアトラクションがあり、日常的にエレベーターに恐怖心を抱くようになると、これまで170年かけて築いてきた人とエレベーターの信頼関係は、くずれてしまう。「タワー・オブ・テラー」がエンターテインメントとして成立しているのは、それが19世紀の「まだ怖かった頃」へのタイムトラベルを通した「事故のアトラクション」だからなのだ。

 こうして見ていくと、エレベーターの進化とは、技術の発展とともに「いかに恐怖を克服してきたか」の歴史でもある。人はもともと垂直方向の移動が得意ではない。歩く、走る、跳ねるといった水平運動は本能に近いものとして身についているが、木に登る、空を飛ぶ、上昇・下降するという垂直運動は苦手だ。たとえば、空から急降下してきたトンビにアメリカンドッグを奪われてしまうのも、私たちが“上”からの動きに対して極めて鈍感だからだ。

 人は視野も反応も、水平方向に最適化されている。だからこそ、垂直移動を可能にする装置には、特別な信頼性と安心感が求められた。

■人に不安を与える装置とインターフェース

 機械の操作方法が、レバーやクランクから押しボタンへと進化した。

 誰もが使える機械の操作方法として、誰が押しても動くオートマチック式の機械は、機械音痴のために生まれたものでもある。もっとも、押しボタンでありさえすれば、誰しもが安全に使えるというわけではない。人類最大の事故は、ボタンの操作ミスから引き起こされたものでもある。

 1979年のスリーマイル島原子力発電所事故のコントロールルームには、無数のレバーやボタンによるスイッチが並んでいた。事故の直接的な要因は、圧力逃がし弁(PORV)が開いたままになっていたにもかかわらず、インジケーターが「閉」と表示していたことだった。これにより、異常が認識されなかった。原発設備には冗長的な冷却系が複数あり、1つが機能しなくても大事には至らない設計だった。だが、約1100の計器のうち600以上から同時に警告が発せられ、現場は混乱。緊急アラームが一斉に鳴り響き、技師たちは適切な判断を下せなかった*3。

 原子力発電所のコントロールは、典型的な専門的な訓練を受けた人に向けて設計された装置だ。エレベーターと同じような初心者向けのユーザー・インターフェースを備えていないということはない。ただ、のちの調査では、スイッチ類の配置に統一性がなく、非常時の情報伝達にも問題があったと指摘された。

 もちろん、運転員はマニュアルを熟読し、状況を頭に叩き込んでおくことが前提とされていたが、現実には赤いランプとブザーに囲まれた中で、冷静さを保つこと自体が困難だった。

 この事故の調査に関わった認知心理学者ドナルド・A・ノーマンは、「大して意味のない情報があまりに多く与えられると、本来機械を制御する側であるはずの人間が圧倒されてしまう怖れがある」*3と指摘した。当たり前のことのように思えるが、当時の装置の設計には、その思想が欠けていたのだ。このノーマンは、人間が直感的に理解し操作できる設計の必要性を痛感し、「ユーザビリティ(使いやすさ)」という概念を提唱することになる。そして、ノーマンは1990年代にアップルに迎えられ、製品設計に深く関わることになる。スリーマイル島事故は、その後の機械デザイン、主にユーザー・インターフェースという分野にとって大きな教訓となった。

*3『「ユーザーフレンドリー」全史 世界と人間を変えてきた「使いやすいモノ」の法則』クリフ・クアン、ロバート・ファブリカント

■暴走する機械と警告の赤いランプ

 スリーマイル島原発事故では、無数の赤い警告ランプとアラームが一斉に鳴り響き、技師たちは冷静さを失い、適切な対応を取れなかった。そもそも「赤いランプ」が警報の象徴となったのは、いつからなのか。

 19世紀、鉄道の信号機に赤が採用され、都市部では赤く塗装された火災報知器が設置された。赤は可視光の中で最も波長が長く、遠方からでも目立つ。また火を連想させ、危険を示す色として定着していった。以後、計器や機械の異常を知らせる色として広く使われるようになる。

 映画史上、最も有名な赤いランプといえば、スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』(1968年)に登場する人工知能・HAL9000だろう。この映画は、キューブリックがSF作家アーサー・C・クラークとともに、人類の進化とテクノロジーの関係を描いた作品である。

 そして、映画史上、もっとも有名な「赤いランプ」と言えば、スタンリー・キューブリック監督による『2001年宇宙の旅』(1968年)に登場する人工知能・HAL9000だろう。

 HAL9000は、宇宙船ディスカバリー号の航行と管理を担う汎用AIとして描かれた。未来的なビジュアルを目指したキューブリックは、当時IBMのセレクトリック・タイプライターをデザインしたエリオット・ノイズらインダストリアルデザイナーに協力を仰いだ。ノイズは、乗組員がコンピューター内部に浮かぶ「ブレイン・ルーム」を提案したが、この案は却下され、後にボーマン船長がHALのチップを派が脂肪層を食い止めようとする場面のデザインに反映された。

 採用されたHALの外観は、シンプルに「赤いランプ」がひとつだけ。この外観は、ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人「ギガンテス」から着想を得たという*4。しかし、赤いランプは、単純なアラートの信号として、暴走するテクノロジーへの不安を強く印象づけるものでもある。

 『2001年宇宙の旅』にはエレベーターも登場する。宇宙ステーションでフロイド博士が乗る円筒型エレベーターは、10人ほどの乗客用。ボタンは壁面には見当たらないが、エレベーターガールが座る肘掛けにコンソールがあり、彼女が操作している。最初の台詞「メイン・フロアです」は彼女のものだった。

 また、キューブリックは『シャイニング』(1980年)でもエレベーターを重要なモチーフとした。オーバールックホテルの赤い扉のエレベーターが開き、中から大量の血のような赤い液体が溢れ出す場面は、予告編にも使われた有名なシーンだ。

 なぜ血だったのか。ホテルを一つの生命体として描き、その警告なり悲しみの表現として、エレベーターから血があふれ出るシーンが用意された。『2001年宇宙の旅』と『シャイニング』は似た構造を持つ映画だ。人工物が意思を持ち、中にいる人を、すべて殺そうとする。キューブリックが描こうとしたのは、常に「根源的な恐怖」である。

*4『2001:キューブリック、クラーク』マイケル ベンソン (著), 中村 融 (翻訳), 内田 昌之 (翻訳), 小野田 和子

■「機械を使う感覚」を先取りしてきたエレベーターの未来

 エレベーターの進化は、今後どこへ向かうのか。

 たとえば、乗るだけで自動的に行き先を決定するエレベーター。人の意思を直接読み取る技術はまだ先の話だが、顔認証や行動パターンの解析によって、勤務先や頻繁に訪れる階を推測し、自動運行するシステムなら、現代でも十分に実現可能だ。

 セキュリティ強化が進む都心のオフィスビルでは、近い将来、ボタンも操作パネルもないエレベーターが当たり前になるかもしれない。その空間は、なにもないシンプルなものになるのか。もしくは、側面が巨大なサイネージとなり、何かしら広告や天気予報が流れ続けるのかはともかく。

 とはいえ、こうした変化に戸惑う人も必ず現れるだろう。ボタンが消え、機械が行き先を決める世界に、どこか馴染めない人たちが生まれるのは自然なことだ。

 すでに取り上げたようにアメリカでは「プラシーボ・ボタン」と呼ばれる、実際には機能しないボタンが存在している。ただ押すことで人は「自分で選んだ」という納得感を得ることができる。エレベーターの押しボタンも、操作の単純さだけでなく、操作をしている感覚そのものをもたらす存在でもあった。そのボタンが消えると機械を使う感覚も大きく変わる可能性がある。

 アメリカの「プラシーボ」ボタンのように、それを押すことで「自分で選んだ」と人は納得感を得る。機械を操作しているという感覚を自然と持てることは、エレベーターのユーザー・インターフェースのよい部分。ボタンがなくなることでその安心感は失われるかもしれない。

 映画『チャーリーとチョコレート工場』には、工場内のどこへでも移動できるガラス張りのエレベーターが登場する。これは、上下だけでなく、斜めにも水平にも進むことができた。エレベーターの進化の方向として、水平移動の未来もある。現実にも、垂直移動に限らないエレベーターはすでに開発・運用が始まっている。2014年にドイツの企業ティッセンクルップ(現ティーケー・エレベーター)が発表した「MULTI」は、リニアモーターによってキャビンを駆動させるケーブルレス方式が採用されている。

 こうした進化は建築設計にも大きな影響を及ぼすだろう。すでに一部の高級マンションでは、エレベーターの扉を降りると、すでに自分のへの内部に接続する「ワンフロア・ワンレジデンス型」が存在するが、将来は水平エレベーターによって、エントランスと各住戸を直結するような設計も可能になる。この方式ならエレベーターホールという空間が不要とな、デベロッパーとしては、面積当たりの戸数を稼ぐことができる。それだけでなく、ボタン1つで全方位に移動できる感覚は、エレベーターの未来に新たな可能性を示している。

 これまで、エレベーターの進化は、我々の「機械を使う感覚」そのものを先取りしてきたところがある。この先、エレベーターがどっちに進むかで人類の進む道にも影響を与えそうだ。

(次回へつづく)

 第14回
21世紀のテクノフォビア

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。

プロフィール

速水健朗

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。

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