24歳ベンチャー経営者が点火する、伝統工芸界の新しいムーブメント 第1回

Z世代、工芸に出会う

塚原龍雲

なぜ伝統工芸だったのか

経済性の追求のみでは環境が破壊され、環境の優先のみだと経済性が伴いづらい現代において、こうした日本文化の価値観には、その二項対立を乗り越えるためのヒントが眠っている。そう確信したが、これまで日本文化については、茶道、花道、伝統工芸など、いずれについても何も知らなかった。大学でのプレゼンは何とかなったが、起業となるとそうはいかない。正直に言えば、僕にとっては「経年美化」のコンセプトを伝えられるなら何でも良かったのかもしれない。ただ、自分が日本人であること、グローバルにおける優位性が出ることを考えたとき、熟練の職人さんによる工芸品に注目するのは最善の選択だろうと考えた。

当時暮らしていたアメリカから、日本の伝統工芸をネットリサーチしてみるだけでも、予想以上に現代的で素晴らしいデザインや、超絶技巧の工芸品が多数あることを知ったのも大きかった。伝統工芸というと、どこか野暮ったい壺や、「道の駅」で売られるお土産品を想像していた僕は度肝を抜かれ、これらを通じてなら、大切なモノと向き合う「経年美化」の価値観と共にアメリカで広められると確信した(いま振り返ると、当時はまだ伝統工芸の奥深さの表層しか見えていなかったのだが)。

そうと決まれば仲間集めで、僕を含む4人で創業した。まず、高校時代のアプリ開発事業から二人三脚でやっていた岡⽥佳⼈。彼は高校卒業後にシリコンバレーへ行っていたが、誘うと二つ返事でLAへ来てくれた。3人目はアメリカで知り合ったデザイナーの天野太郎(現在はアメリカの大学に通いながら現地企業で修行中)。最初はこの3人で事業についてアレコレ話していたが、やはり伝統工芸に詳しい仲間がいないと話にならないということで、帰国して人材を探した。真っ先に伝統的工芸品産業振興協会へ行くと、そこで働いていた当時大学生の吉澤果菜⼦が、頼もしい4人目の仲間に加わった。

創業当時のメンバー。右から塚原さん、岡田佳人さん、天野太郎さん、吉澤果菜子さん。

しかし、当時の僕は19歳で未成年、まだ実績もないため資金の借入もままならず、すでに同級生は就職活動真っ只中である吉澤たちに、給料を約束することも難しい。そこで公庫の創業者融資制度を申請しようとしたが「売上があれば、その分くらいまではお話聞けますよ」と、ほぼ門前払いだった。困っていた僕たちに力を貸してくださったのは、偶然知り合った鼻緒と草履のメーカー、株式会社菱屋の廣田裕宣代表だった。

ある日、地元大阪で立ち寄った商業施設で目を引かれたポップアップショップが、菱屋さんのお店だった。草履屋さんなのだが、ポスターには和服の日本人モデルではなく、半袖半パンで草履を履く外国人モデルの姿。「草履は着物に使うモノ」と思っていた僕は驚き、思わず店員さんに「日本の伝統工芸をアメリカに広める会社をやっています!」とお伝えすると、「ウチの社長が好きそうです!」と廣田社長のお名刺をいただいた。その場でお電話したところ「それはオモロいな! 飯でも行くか!」と仰っていただけた。

菱屋に依頼して作った当社オリジナル草履(限定販売品)。

廣田さんの会社は日本の伝統的な草履を扱いながら、スニーカーなどに用いるEVA素材を採用した履きやすくカジュアルな草履など、ユニークなアイデアも取り入れている。僕たちの事業にとっても学ばせてもらえることが多く、その日は盛り上がって「また来てよ!」とお別れした。その後、資金繰りで途方に暮れていると、偶然にも廣田さんからお仕事の話をいただいた。僕がもともと得意としていたウェブサイト構築などのご相談だった。打ち合わせを終えて「まだ売上がないから借入に行ったのに、売上がないと借入できないと言われました!」と半分笑い話でお話すると、「ほなええよ。1年間仕事頼むから、振り込むで」と翌日に数百万を振り込んでくださったのだ。もちろん僕はスグに「売上あがりました!」と公庫を再訪。借入も順調に進み、吉澤を雇用できることになった。

「一人の人間が発する強い思いに対しては、全く縁がなくても、必ず反応してくれる人がいるのが大阪という街である。人間同士が近くて面白い」とは、同郷の大先輩・安藤忠雄さんの言葉だが、まさにそんな思いだった。廣田さんや、職人の小椋さんは、当社をスタートラインに立たせてくださった恩人である。何か大切なことを決めるとき、いつも彼らの顔が浮かぶ。そして、職人さんへ100通のラブレターを送ることを後押ししてくれた父の言葉「商売は結局、人と人」。偶然か必然か、こうした出会いやつながりが、僕をITの世界から伝統工芸の世界へと運んでいった。

菱屋の廣田裕宣代表。ブランド「カレンブロッソ」は草履の革命児とも称される。

「美しい」とは何だろう

伝統工芸の職人さんたちと仕事をしていると、やはり「美しい」とはどういうことかを考えることになる。今の僕は、かつて「野暮ったい」と思っていた民藝調の陶器にも、パッと見て技術がわかりやすい超絶技巧の江戸切子や蒔絵にも、同じように惹かれる。用途もかたちも違う対照的なモノ同士にもかかわらず、同じ気持ちで美しいと思う。その共通点が伝統工芸であるなら、そこでの「美しい」とはどういうことかを考えた。簡単に言語化できるものではないと思うが、今のところ、僕が工芸品の美しさの説明として最も腑に落ちる表現は、岡倉天心の『茶の本』(1906)にある「人の温かな心の流れと自然の偉大さが感じられる」という言葉だろう。

たとえばIKEAやニトリで買える安価でお洒落な器と、伝統工芸の器の違いは何だろう。材料も形もデザインもさほど変わらないように見えて、価格は10倍以上の差がある。お洒落なだけなら欧米のデザインや、より安価なモノが良いというお客さんも多いかもしれない。もちろん、一方が良くて他方がダメという単純な話ではない。上の世代の方々がまず物質的な豊かさを実現してくれたからこそ、僕たちはこうした問いを考えられるのだと思う。それは、人間よりも緻密で正確な作業ができる機械が次々と開発される現代において、手仕事の価値とは何かという根本的な問いにもつながる。

僕なりにたどり着いた答えが、前述の「人の温かな心の流れと自然の偉大さが感じられる」ことだ。最初は「手仕事の温かみ」と聞いても抽象的でよくわからなかった。むしろ、それを野暮ったいとさえ感じていたかもしれない。ただ、多くの工芸品にふれ、職人さんたちと向き合いながらモノづくりの現場を見せていただくことで、徐々に工芸における手仕事の重要性が見えてきた。

それは「民藝運動」を提唱した柳宗悦の言う通り、手仕事は自由であるということだ。「一」の字を定規で書くと、始点と終点の間で決められた線にしかならないが、筆で書く際は始点と終点の間に無限の自由があると柳は考えた。手仕事においてはこの奥行きのなかで、職人さんがモノづくりの悦びを噛み締めながら、素材と対話し、あらゆる工夫を凝らしている。また、1400年続く綴織(つづれおり)職人の清原聖司さんの言葉も思い出される。「工芸は愛だから。売る人も作る人も、経済的・合理的なことだけだと、愛やこだわりは置き去りになってしまう。でも、人間からそういう感性や美意識を除いたらつまらなくないかな? 工芸にもいろいろあるけれど、使っているときに『つながり』を感じられることは健康的だよね」。

「美しい」は「美味しい(おいしい)」とも似ている気がする。「美味しい」が決して味だけでは説明し切れないように、「美しい」もそのカタチや素材、技術だけで言語化はできない。「美しい」は情緒的で、かつ作り手、自然、素材、カタチ、文化、場所、使い手、時間、実にいろいろな要素から創られる。そして、たくさんの美しいモノにふれ、自分の中に美しさの物差しができてくると、これまで見えていなかったものが観えてくる。

清原織物の清原聖司さん。

そして「観えること」は「嬉しいこと」だ。アメリカの作家、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの思想を表した言葉に、「It’s not what you look at that matters, it’s what you see.」(大事なのは何を見ているかではなく、何を見出すかである)という一文がある。これも漢字で書くと、「見る」と「観る」の違いだろうか。これまで見えなかった、気づけなかった美しいものの本質に気づけるようになるのは、人としての大事な喜びだな、と実感している。それは暮らしの中に平穏をもたらし、暮らしを豊かにすることだと思うからだ。

モノだけでなく、その背後にある景色も観ること。すると、これまで見えなかった何かが自分の知識や経験と紐づいて、心が動かされる。そんな経験は、人生をちょっぴり豊かにしてくれるだろう。これは「自分を観る」ことでもあって、特に良い工芸品と出会うと、自らの心の機微を鮮明に感じ、自分の「好み」を見出せる。そうして己を知り、自らの美意識と響き合うモノを暮らしに取り入れることは、自己実現の手立てにもなるだろう。さらに、好みのモノを長年愛でるなかで愛着がわくと、そのモノに自分の心が内在するような感覚が僕にはある。そうして自身とモノの境目が融和し、一体となったとき、肉体や精神にとらわれず、より広く深く生きることができるのでは、と思うのだ。

いいものを正しく届ける

海洋学者・文学者のレイチェル・カーソンが書いた『センス・オブ・ワンダー』に、こんな一節がある。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない”センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性)を授けてほしいとたのむでしょう。

『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮社刊)より


工芸の楽しみかたも、美が目に見えるモノのなかに在る性質ではなく、モノに触発された心の世界の問題、感じ方の問題だと考えるところにあると思う。そして、工芸を通してそうした心を育むことができれば、どれだけ日々の暮らしが彩られることかと思うのだ。

一方で、日本の伝統工芸の現場に目を向けると、厳しすぎる現実があるのも事実だ。令和2年時点でその市場規模は870億円。対して従事者数は5.4万人で、1人当たりの生産額は161万円となっている。これでは1人分の生活費にもならないので、職人さんたちはギリギリの状態で、ファイティングポーズをとっているのが現状だ。僕らは、個々の工芸品の価値を広く伝えることだけでなく、この構造を変えていく橋渡しもしたいと考えている。

僕にとって、工芸品を「正しく届ける」ということは、気が遠くなるほど長い年限をかけて技術を継承してきた先人の職人さんに敬意を払い、いまその役割を担う職人さんの尊厳を守り、こだわりや情熱を捨てずにモノづくりができる環境を共につくることだ。それは、彼らとの健康的な関係性を構築・維持することでもある。今後も「美しいモノを、正しく届ける」という一点に向き合い、取り組んでいきたい。

塚原さん(左)と、手しごとにこだわる家具工房・KOMAの松岡茂樹さん。

連載の次回以降では、伝統工芸について語る上で避けて通れない、柳宗悦の提唱した「民藝運動」に思うことや、僕が会社経営を続けながらインド仏教の僧侶として出家したわけなどもお話ししていけたらと思う。

編集協力:内田伸一

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プロフィール

塚原龍雲

(つかはら りゅううん)
2000年生まれ。高校卒業後、米国大学に入学。留学先で日本文化の魅力と可能性を再認識したことをきっかけに、日本の美意識で世界を魅了することを掲げ、「KASASAGI」を創業。伝統工芸品のオンラインショッ「KASASAGIDO」や、伝統技術を建材やアートなどの他分野に応用する「KASASAGI STUDIO」を展開。いろいろあってインド仏教最高指導者、佐々井秀嶺上人の許しを得て出家し、インド仏教僧に。

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