癌のため、2歳にして右足の切断を余儀なくされたエリー・コール。しかし彼女は、タフだった。三輪車、スケートボード、アイススケート。健常者である双子の妹が覚えたことを、驚異の負けん気で次々に習得していく。そして、挑戦は遂に水泳へ……。WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。ノンフィクション執筆陣が、選手の舞台裏に迫る。
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
「この子の足にはmass(しこり)があるようです」
ジェニー・コールは2歳の双子の娘、エリーとブリットにシャワーを浴びせて身体を拭いていた。二人は1991年12月12日生まれ、エリーはブリットの8分前に生まれていた。二卵性ではあるが、体格はほぼ同じである。ジェニーは触っている身体から何かを感じてふと見ると、姉のエリーの右足だけが異常に大きいことに気がついた。
「蜘蛛に咬まれたのかしら…」
少し気になって夫のドンと一緒に病院に連れて行った。医師は診察の後、言った。
「これは更なる検査が必要です」
緊急の生検をするように伝えてきた。
「この子の足にはmass(しこり)があるようです」
2週間後、生検に行った。ドンとジェニーは、10分ほどで結果は出るだろうと思っていた。しかし、4時間が経過してもエリーは検査から出てこなかった。心配していると、生検から病理検査に回され、そこで言われた。
「この子の足にはprimitive epithelial neuro sarcoma(初期の上皮肉腫)ができている」
とてつもないショックを受けた。まだ2歳の幼児に、癌が巣食っているという。
「私たちにとって恐ろしい時間でした。病名をずっと忘れることができませんでした」とドンが言えば、ジェニーには、今思えば、という心当たりがあった。
「深夜に他の子どもたち、兄や姉妹が眠っている間もエリーだけが起きていて、そして泣いていたの。おむつでもお腹がすいていたわけでもない。今思えば足の神経にガンが巻きついていて夜に痛んだのでしょう。ブリットが生後12か月で歩けたのに、エリーは17か月まで歩けなかったのもそのせいかもしれない」
なぜ、我が子が、という絶望が募った。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。