WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第3回

義足で立ち上がったエリー

双子の妹が、彼女の負けん気に火をつけた
木村元彦

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

再び、歩き始める

 化学療法が開始された。しかし、症状は改善されず、幼いエリーは毎週、輸血を受けなければならなかった。髪の毛はすべて抜け、眉毛も無くなった。免疫力が落ちて、感染症に何度もかかった。9か月が経過して行われたMRIによる検査では、素人目にも画面にくっきりと腫瘍だと分かる影が画面に映っていた。ドンは医師に説明をされなくてもその時点で癌が再発したことを知った。そして治療の選択はもう切断しかないということも。

 ドンはエリーに、あなたは右の足が悪いのでそれを切って新しい足を作らなくてはならない、という説明を施した。

 「それが果たして3歳の子にどれだけ理解できたのかは分かりません。覚えているのは、切断の手術後、目を覚ました彼女が20分くらい泣いていたことです」

 こう語るドンは、エリーの足が切断される際に、手術台の上に義足を載せていた。

 「だから彼女は切断されたまま目が覚めたのではないのです。新しい足がそばにあり、一緒にベッドに運ばれてきたのでです。これはどういうことなのか、3歳でもすぐに頭の中で繋がったのだと思います。それが火曜日でした。木曜日なるとどうも足のサイズが違っているようなので、取り換えるために医師が一度義足を外しました」

 その途端、エリーは不機嫌な声をあげて叫んだ。彼女の中ではすでに義足は自分の肉体の一部という認識になっていたのである。エリーはすぐに立ち上がろうとした。手に届かないものがあると、テーブルを伝わって足を引きずって取ろうとした。家族はエリーが普通の赤子のように再び自分の足で歩き出そうとしているのを知った。

 ジェニーは当初、エリーが癌に冒されていると聞いて、もうこの子の人生は終わってしまった、とさえ思っていた。

 「切断の手術に至っては、足を切ってしまったら、あの子はこれまでのあの子と違う子になってしまう、私が生んだ赤ちゃんとは違ってしまう、と考えてしまったのです」

 人間はまったく未経験のことに出くわすと思考が止まり、悲観的になる。

 「でも手術のあとのあの子を見たら、すべてが、以前と同じだと気付いたんです。あの子は足を失っただけだと。なぜあんなふうに考えてしまったのか、今では分からないくらいに」

 手術の2日後、エリーは元気いっぱいで、スケートボードに腹ばいに乗って病院の廊下を行ったり来たりしていた。

 エリーは何も変わっていなかった。そして再び義足で立ち上がった。このときの喜びをドンはこう言い表した。

 「私たちはとても幸せな親です。なぜならエリーが初めて歩き始めたときのビデオ映像が二つもあるのですから」

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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