著者インタビュー

『他者を生きる』をめぐって 3

磯野真穂×小川さやか

磯野真穂×小川さやか

快適な暮らしのために提示される数々のリスク管理と、健康を得るためのハウツー。
「自分らしくあれば良い」という声援。
どれももっともらしいけれど、これらは「この私」の救済に本当になりうるのでしょうか。
人類学の知見を用い、他者と生きる人間の在り方を根源から問うたのが、磯野真穂さんの新刊『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)です。
本書の刊行を記念した対談のゲストには、『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』の著者・小川さやかさんをお迎えしました。
同じ人類学者かつ同世代というお二人。
『他者と生きる』のテーマであるリスクや「自分らしさ」などを、コロナ禍における社会状況とも絡めながら、人類学の知見をもとに縦横無尽に語っていただきました。

※2022年2月27日、大阪・梅田 蔦屋書店にて行われたトークイベントの模様の一部を記事化したものです。「『他者と生きる』をめぐって」磯野真穂×松本卓也、磯野真穂×重田園江対談につづく第3弾記事となります。

 

磯野真穂さん(左)と小川さやかさん(右)

 

長く生きることは絶対的に良いことなのか? 「生存率」への違和感

小川 徹夜とたばこと酒が欠かせない私には、磯野さんの『他者と生きる』に書かれている2つのリスクの違いが実感的にわかります。一つは、身体的な経験を通じた「実感としてのリスク」で、もう一つが「情報としてのリスク」です。磯野さんのご著書では、今の情報化社会では、「情報としてのリスク」が身体的・経験的な「実感としてのリスク」を侵食していく、といったことが書かれているのですが、確かにたばこでがんの罹患率が何パーセント上がるといった情報を見るとね……。

磯野 影響されますか?

小川 それはもう。ああいうのを見ると、自分は長生きする気がしないなあって。

磯野 この本は、その「長生き」について問いかけている本でもあります。そもそも大学の教員の皆さんは、今(2月下旬)、ぐったりしている時期なんですよね。入試業務があったり、報告書の提出があったりして。そんなときに来ていただいて、ありがとうございます。

 この本を書くにあたって、念頭にあった違和感の一つが「生存率」のグラフです。例えば医師が一般向けに開くシンポジウムに参加した時、こんなやりとりがありました。がんの標準療法だと生存率はこのくらい、でも代替療法だとX年も短いんです。ほら、だから代替医療は間違っていて標準療法が正しいんですよ、というやりとりです。その時はおそらく参加者のほとんどが標準療法推しだったので、その通りという顔でみなさんうなづいていたのですが、私はなんだか居心地が悪かった。なぜならその生存しているX年間の間、その人たちがどう生きていたか、亡くなった人たちがどう生きていたかの議論がすっ飛ばされて、時計の時間だけが判断の基準になっているからです。長く生きていることがとにかく素晴らしいという揺るがしがたい価値観に違う価値を提示したいと思ったんです。

小川 わかります。磯野さんの本のなかで、長く生きることが良いことだという言説がつくられていく過程に「平均人」という発想が出てきたと書かれています。みんなこのくらい生きているから、それを超えるといい人生だったと。でも、実際は「平均人」なんてどこにもいない。どこにもいないのに、私たちは、病気になる人は何パーセントという統計的な数値を見て、平均的人間像を描きつつ自身の人生や自身の行動を評価しようとするんですが、こういう考え方は、私が調査しているタンザニアの人びとにはあまりないですね。

磯野 彼らの人間観ってどんなものですか? これは小川さんの『チョンキンマンションのボスは知っている』にも書かれていますが。

小川 日本の人たちに伝えるのはなかなか難しいのですが、一つには、未来はよくわからないよねっていう実感をより自然に持っています。たとえば、路上商売を頑張って少しずつ仕入れる古着を増やしていき、そろそろ露店を構えようかなとなった時に、突然、路上商人を取り締まる警察にすべての古着を没収される。そういった個人の努力がある日突然にすべて無に帰すみたいな事態が当たり前に起こるのが、インフォーマル経済の世界です。

 もちろん私たちだって、明日恋に落ちるかもしれないし、不幸のどん底に落ちるかもしれないわけですが、それは、日々のある程度安定した生活の中に、幸運や不運が時々発生するという感覚だと思うんです。タンザニアの人たちは逆で、安定した状態がとても短く、基本的には運、不運を前提とした世界に生きている。つまり未来がまったく予測できないので、平均的な人生とは何かを気にして、普段の行動を気にかけても仕方がないのです。

磯野 今の話、すごくいいですね。小川さんの『チョンキンマンションのボスは知っている』に登場するタンザニア人のカラマは、儲かりそうならちょっと危ない橋でもいっちょやってみよう、みたいなところがありますよね。拙著に照らすために言葉を変えると、リスクに飛び込んでいくみたいな。他方で医学的なリスクに縛られてゆくと、あれもリスク、これもリスクとなって生活の厚みがどんどん消えていく。

 小川さんの話を聞いて、あるへき地で診療をされている医師の方が話してくれた、ある糖尿病患者さんのエピソードを思い出しました。その患者さん、薬を毎日、決まった時間に飲んでくれなくて、糖尿病のコントロールがうまくいかないと。こういうときって、患者さんの知識不足や理解不足が原因でコントロールがうまくいかないから、「患者教育を!」という流れになりやすいんですが、その医師の方は、この患者さんが元漁師であることに注目していました。で、ここから小川さんの話に通じるんですが、漁師ってものすごく不確定な仕事なんですよね。天候に左右されるし、1か月間不漁でも、ある日の1日の大漁でその不漁を取り返せるかもしれない。今日と明日が同じだという予測の中では生きていないわけです。そういう人生観で生きていると、糖尿病治療の前提にある、今日と同じ明日が1ヶ月後も、1年後も来るように、今を保ったままずっと生きていけるように毎日薬を飲み続けましょう、という価値観がうまく共有されないわけです。

小川 本当はリスクって、何か平均的なリスクがあるのではなく、人それぞれなんですよね。

磯野 そうなんですよね。実は私、『チョンキンマンションのボスは知っている』が出版された頃は、いろいろ重なった時期で時間が取れず、読めていなかったんです。今回の対談にあたって初めて読みました。たくさん賞を受賞されたのは知ってたんですけど。

小川 ありがたいことですが、アンラッキーなことだけでなく、ラッキーなことも、やっぱり偶然だと謙虚に思っています(笑)。

 

ベストセラーに続々登場 「狩猟採集民」という現代の神話

磯野 この本の中で、「狩猟採集民」について考察した章はお気にいりの一つです。なぜ私たちが今こうなっているかの説明として、狩猟採集民の脳から変わってないからだとか、狩猟採集民の生活からの乖離が今の問題を作っているんだというふうに、主張の根拠を狩猟採集民の生活スタイルや脳の機能に求めていく実用書ってすごく多いんです。これ、面白くないですか?

小川 めっちゃ面白い。“人類普遍”みたいな感じで。

磯野 そう。人類という普遍的なものが存在していて、そのはじまりである狩猟採集民に、人間の普遍的な特徴や本質を見出してるんですよ。

小川 磯野さんの本には『スマホ脳』や『FACT FULLNESS』といった、最近流行った実用書に狩猟採集民が登場すると書かれていますが、経済書にも出てくるんですよ。

磯野 そうなんですか!

小川 AIなどを含むテクノロジーの進化が加速して、広いネットワークの中でシェアしたり贈与交換したりできる経済が生まれると、狩猟採集民のようにそのつど必要なものをネット上から「採集」して暮らす幸せな世界が待っているといった感じの言説ですね。

磯野 狩猟採集民って、現代の「神話」だと思うんです。グローバルに共有できてしまう神話。私はダイエットの歴史も調べているんですが、糖質制限が流行る前は、ダイエットといえば油の制限で、日本人はもともと油を摂る生活はしていなかった、だから糖質で必要な栄養をとりましょうという本が、80年代、90年代にベストセラーになったことがありました。ところが糖質制限になると、この説明はできない。日本は米食文化でしたから。

小川 だから、狩猟採集時代までさかのぼって、狩猟採集民はコメを食べてなかったってなるわけですね。人間は変わってないんだからって。

磯野 そう。プラス面白いのは、そこまでの過程には、めちゃくちゃ科学の言葉が出てくるんですよ。論文やデータがばんばん引用されて、生理学の分析やら、たんぱく質の構造やらの説明があり、それらと狩猟採集民の脳や身体や生活はこうだったと予想が接合される。科学的根拠に基づくことが大切といいながら、最後、そもそも大した資料が残っていないような狩猟採集民という雑駁なカテゴリーに突然話が飛躍し、そこが落とし所とされる。これは一体何なのか、と。

小川 集団としての人間の望ましさを構築しようとするときに、「普遍的」な人間像だとか、「平均的」な人間像が出てくると思うんです。でも本当は、私たちは一人ひとり、身体だって全然違う。狩猟採集民だって、現代にもリアルな狩猟採集民はいますけど、昔の狩猟採集民とだいぶ違うと思いますし。

磯野 そうそう。ただ面白いのは、狩猟採集民を出されると、私たちが頷いてしまうことなんです。私たちってもともとどういう存在で、だからこうなってしまったという「物語」をどうしても欲してしまう。それが、人間を考える上でのある種の面白さなのかなと。

小川 ほんとうにそうですね。『他者と生きる』には新型コロナウイルスについてのリスクの実感がどうやって作られていったかも書かれていて、そこも面白かったです。

磯野 私は特に、まだコロナに感染した人が少なかった初期の頃の、多くの人の従順さが衝撃でした。

小川 コロナに限らず狂牛病のパニックのときも、「正しく恐れよ」とよく言われましたよね。でも、正しく恐れるにしても選択肢が多すぎるし、そもそも、何を恐怖と感じるかは人それぞれだろうって。私なんかは、アフリカの危険地域にもふらふら行っちゃうタイプなので。

磯野 小川さんは、けっこう危ないところにポンと入ってゆきますよね(笑)。

小川 でも、締め切りの催促はめちゃくちゃ怖い。だから「正しい恐れ方がある」という認識が明らかに誤りだなと思います。

磯野 はい。正しく恐れるって、引用元(寺田寅彦「小爆発二件」)をたどると、「正しく恐れるのは難しい」という文脈で使われていたらしいです。内田麻理香さん(科学技術社会論)に教えてもらいました。

小川 大事なところが取れちゃった。

磯野 そうなんですよね。

小川 『他者と生きる』では、志村けんさんや岡江久美子さんの死を、メディアがどう伝え、社会の恐怖が高まっていったか、という話も興味深かったです。人々のリスク意識を高めるために、有名人の死が伝えられるわけですが、刺激が常に与えられ続けていると、人はよりショッキングな情報でないと恐れなくなっていく。で、次第に伝えられ方がホラー化していくというか、ショッキングさの消費がポルノ化していくというか。

磯野 おっしゃる通りですね。私は「朝日新聞デジタル」の「コメントプラス」のコメンテーターをやっているため、朝日デジタルをよく見ているんです。ある時まで、トップページはオミクロン関連のニュースばかりだったのに、ロシアのウクライナ侵攻が起きた瞬間から、それらがロシアやウクライナ問題に一気に置き変わった。コロナが無くなったわけではないのに、これは何なんだろうと。もちろん海の向こうで大変なことが起こっているから、情報を提供しようという大義名分はわかるんですよ。でも、それだけでは語り切れない、気味の悪さをちょっと感じたんです。

小川 より大変なリスクを求めて、人々が情報をホッピングしているような……。あれもリスク、これもリスク、のようなかたちで。

磯野 そう。そしてそれらリスクは表面的には「“大切な命”について考えるため」といった道徳的な観点から報じられているんですよね。

 

「自分らしさ」なのに、他人の承認を必要とする

小川 そうしてリスクまみれになって、突然出てくるのが「私らしさ」ですよね。今日はこの「自分らしさ」についてもお話ししたいと思っていました。すべてにリスクを感じていたら、人間、壊れちゃう。だから、ある程度、自分はこういうふうに生きようと決めると、急に「私らしさ」とか「自分らしく生きる」といった言葉がマジックワードとして出てくるのでしたよね。

磯野 もうね、平成に入って、「自分らしさ」は爆上がりしてるんです。新聞記事(読売、朝日のデーターベース)に使われている回数を比較すると、80年代から90年代は約45倍、2000年代になると約135倍にも増えている。「自分らしい」受験、「自分らしい」選択、「自分らしい」最期、「自分らしさ」がありとあらゆる問題の回答として使われます。これはいったい何なのか。考えてみたいのは、「自分らしい」という言葉が暗に前提とすることです。例えば、「自分らしさ」っていうと、「小川さやか」という人間の中に、「小川さやか」らしさが眠っていて、それを引っ張り出してきた、みたいな感じがありますよね。

小川 よくわからないですよね。あなたらしさは何かって聞かれたときに、自分らしさとはこうである、と答えられる人はほとんどいない気がします。それができるのはたぶん、喋り慣れている人。ツイッターとかで大勢とは違う自分をパフォーマンスする中で生まれてくるのが、今言われている、私らしさだと思います。

 だから本にも書かれていますが、私らしさって、結局は、誰かに承認を求める何かでしかないんですよね。内面から湧き上がってくる「自然な私」として使われながらも、実際には、大勢とちょっと違うから、他人と違うから、私っぽくない?って。

磯野 そうなんです。女はこうすべき、男はこうすべき、家庭を持ったらこうすべき、といったいわゆる「伝統的な生き方の指針」が否定された後に、それへのアンチテーゼとして現れたのが「自分らしい」なんだと思います。そこしか残らなかった、というか。今言われたように、それは言葉とは裏腹に、社会の承認を必要とするものです。そもそも、体の中に発露すべき、かけがえのない私の命が埋まっている、という人間観の成立にはかなり長い年月が必要であったことを人類学は教えてくれます。

小川 そうです。私というユニークな個人とか、唯一無二の自己、みたいな人間観を、人類学は意外と描いてこなかった。むしろそういった近代的個人とは違う人間観を探る営みを続けてきたのが、人類学だと思います。

磯野 人類学者のマルセル・モースは慧眼だと思うんです。個人が存在していて、その中にかけがえのない何かが眠っているという観念、それをここでは「人間観」と呼んでいますけど、そういう人間観は、19世紀にやっと成立したと、モースは言ってるんですね。私たちが今受け入れているものとは全く別の人間観が、世界には、たくさん存在している。たとえばニューカレドニア島のカナク人には、「身体」という概念がない。現地をフィールドワークした宣教師であり、のちに人類学者を教えることになるモーリス・レーナルトが『ド・カモ』に記しています。

小川 私の入れ物としての身体、みたいな概念がないのですね。他にも、人類学者の木村大治さんが報告されたバカ・ピグミー(熱帯アフリカ狩猟採集民)の会話も面白かったです。私たちは会話するとき、私が喋る、次に磯野さんが喋る、その間は私が黙る、みたいな順番がありますよね。2人が同時に喋ると「ごめん、どうぞ」ってなるし、逆にシーンとなると、「やばい、何か言わなきゃ」っていう感じになる。個人と個人がちゃんと存在していて、だから会話はキャッチボールになるんです。

 一方、バカ・ピグミーは、一人が喋り出すと、みんなバラバラバラって、同時に喋り始めるんですよね。会話に会話を重ねていく感じ。で、誰かがぷつっと会話を切ると、シーンとなることがあるんだけど、彼らはそれに居心地の悪さを感じない。彼らにも「私」という実感はあるんです。でもそれは、みんなと一緒に喋ってるよね、という関係性の中から生まれてくるような存在。

磯野 ある時立ち上がっては、消えてゆく感じですよね。

小川 そう。だから、会話はむしろ重なったほうがいいんです。いわゆる女子トークにも、そういうところがあるかもしれません。何か主張したいとか、会話のキャッチボールをしたいんじゃなくて、「そう、そう」って頷きあいたいときってあるじゃないですか。仲間と共に在る私を感じたいというか。他者と切り離されて在るだけが、個人ではないと思うんです。

磯野 よくわかります。その上で関係性の中から自分が立ち上がってくるとしたら、そこで流れる「時間」はどうなっているんだろう、と考えたのが、この『他者と生きる』の最終章(「生成される時間」)になっています。かなり抽象的になるので、何言ってんの? みたいな感じかもしれませんが……。

小川 この最終章が大事なところです。

磯野 最初にお話しした「生存率」という発想のベースに流れている時間って、私たちの体の中にかけがえのない「私の命」があり、その命が生物学的に終わったときがその人間の終わりであるから、長く存続し続けることに価値がある、という直線的な時間です。でも、関係性の中で自分が立ち上がるとした場合、そのような直線的な時間の前提が届かなくなる。

 

だまされないための、タンザニアの知恵

小川 やっぱり、「出会いに驚く」ということが、私たちの人生に流れている時間を変えたり、ずらしたりしていくきっかけになると思うんです。出会いは必ずしも人間でなく、新型コロナウイルスとの出会いでもいいんですけど、何かの偶然に驚くことで、突然これまでとは違う方向に進み始めることってありますよね。その後、軌道修正して元の道に戻ってくることもできますけど。そうやって、他者との関係によって、時間の厚みができてくる、ということかなと思いました。

磯野 そうですね。時間を考えるとき、最終章に書いた木村さんの『見知らぬものと出会う』が鍵になりました。「宇宙人」とのファースト・コンタクトを手がかりにしながら出会いとその後の共在を考えるという、一見奇を衒ったアプローチに感じるのですが、それは表層的な話で、誰かとともに生きるということを考える上での本質的な議論がなされています。あまりに感動して、一時期どこにいくにも持ち歩いていました。

小川 宇宙人って、究極の他者ですよね。宇宙「人」だから、いちおう人間なんだけど、地球外生命体だから、私たちと共通した何かを持っているかどうかはわからない。笑いかけたら、いきなりビームで殺されるかもしれないし。そういう宇宙人と出会ってしまった後に、どうやって関係を作っていくか、ということを、木村さんは書かれていますよね。

磯野 私たちってどうしても、分からないことがあるとマニュアルを探してしまうんですけど、他者と関係性を作る上での絶対的なマニュアルって、実はない。それを宇宙人との出会いが照らし出す。

小川 そうそう。あると思いがちなんだけど。

磯野 だからこそ、木村さんが定義するところの「投射」という行為、つまりこうやったら関係性が続くかもしれないという可能性に賭けて、相手に言葉や身ぶりを投げかける。それによって関係が生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。そういう未来に向かって共在の枠を立ち上げようとする身構えと身振りが「投射」なんですが、投射が道徳的に素晴らしいということではなく、そうすることで私たちは関係性を作っているんだ、という木村さんの論は、私の足りないところを補ってくれました。

小川 私は、道徳や倫理もこれが絶対的な正しさと上から押し付けるだけじゃなくて、その都度、その都度、了解されていくことが大切だと思っているんです。人間ってやっぱり普遍的な存在でも、統計的な存在でもなく、晴れの日もあれば雨の日もあるんですよ。もし磯野さんが今日遅刻したとしても、今日は体調が悪かったのかな、でも次はちゃんと守ってくれるだろうと、その時の状況を想像しながら、人と人は付き合っていくものですよね。

 いまは監査文化が蔓延した監視社会になって、ネット上の炎上を見ても、みんながみんなを評価するのが当然になっている。しかも判断基準や罰則が数量化・指標化されているんですよね。これをしたら即アウトで、ルールに違反したら罰金いくらで、それが積み重なるとこうなって、みたいに。取引する人間を「星2点」と評価する暴力を、暴力と感じないような世界になっている気がします。

磯野 でもそれって、暴力でありながら、人々が求めている安心でもあると思います。関係性をその都度作っていくって、けっこう勇気がいることですよね。失敗するかもしれないし、傷つくかもしれないわけで。昨日と同じ状態が今日も続くことを求める気持ちってわかりますし、だから医療は強いと思いますし、社会の不安が強まれば強まるほど、そういう傾向が高まるのかなと。

小川 それはわかるんです。わかるんですけど、あまりにもそれに慣れすぎると、生きている現実感覚までオートメーション化されていくのかなって。

磯野 はい、私も小川さんと完全に懸念は共有するんですが、他方で、世界はそうなっていくんだろうと思います。そのほうが傷つかないし、楽だし、快適だから。

小川 これはよく話すんですが、タンザニアの商人たちは、大きくだまされないために、小さくだまされろ、って言うんです。適度にだまされたり、ちょっと失敗したりする経験を積んでおくと、いざ、人生の落とし穴みたいなものを前にしたとき、勘が働いてはまらないからと。つまり、小さな失敗をしていない人間って実は脆弱なんだと思います。

磯野 コロナは完全に、そうした脆弱さが露わになった事態ですね。私がフィールドワークに行った地域は感染者ゼロであったにもかかわらず、隣の市で感染者が出たという報告だけで、ありとあらゆる公共機関が閉まりました。小さな公園も含めてです。小さなトライ&エラーがないことが、極端な対応を生み出してしまう。

小川 そう。トライ&エラーがどんどん小さく少なくなっていく。だから小さな失敗って人生の汚点などではなく、他者や世界の複雑さを見極める知恵がつく機会なのだと思うのです。今日は、人類学的に考えると、こんなに面白い世界があるんだよという話をしたいと思って来ました。そういう話ができていたらよかったなと思います。■

撮影/野本ゆかこ

構成/砂田明子

関連書籍

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プロフィール

磯野真穂×小川さやか

磯野真穂(いその まほ)

人類学者。専門は文化人類学、医療人類学。2010年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか--拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界--「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想--やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書)、共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。

 

小川さやか(おがわ さやか)

愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在同研究科教授。『都市を生きぬくための狡知――タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社)で2011年サントリー学芸賞(社会・風俗部門)、『チョンキンマンションのボスは知っている--アングラ経済の人類学』(春秋社)で2020年第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。そのほかの著書に『「その日暮らし」の人類学--もう一つの資本主義経済』(光文社新書)がある。

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