プラスインタビュー

「ヘイトスピーチ解消法」は何が足りないか?~差別とヘイトの現在~

鼎談 木村元彦×安田菜津紀×角南圭祐

木村元彦×安田菜津紀×角南圭祐
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2016年に施行された「ヘイトスピーチ解消法」から5年。路上での過激なヘイトスピーチデモは減りつつあるが、いまだネット上では差別発言が横行している。

このたび共同通信記者として現場での取材成果をまとめた『ヘイトスピーチと対抗報道』刊行を記念し、著者の角南圭祐氏、ノンフィクションライターの木村元彦氏、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏が、現在の日本社会における差別と報道、法律、行政のあるべき形などについて語り合った。

 

――角南さんが、今回の本を書こうと思ったきっかけは?

角南 私は2016年頃から本格的にヘイトスピーチの問題に関わり始めました。街頭で拡声器を使って「朝鮮人は死ね!」「日本から出ていけ!」などと口汚く罵るデモなどのヘイトスピーチが一番激しかったのは2013年頃ですが、2016年にヘイトスピーチ解消法ができてからも、デモで口汚く罵ることは前より減ったものの、インターネットなどのヘイトスピーチは全く抑えられていません。それで、もっと発展的な法律や制度が必要だとずっと感じていて、そのことを広く訴える本を書きたいと思ったんです。

角南圭祐さん

それと、ヘイトスピーチの背景には歴史の問題がある。慰安婦問題や徴用工の問題、つまり植民地支配や強制連行の問題から取り上げてヘイトスピーチを考える論考というのは、あまりなかったんじゃないかと思い、私はずっとその問題に取り組んでいたので、それも併せて書きました。

 

「国民」という言葉がもたらす疎外感

安田 この本ではメディアの姿勢というのを一つの軸にしたのが良かったと思います。メディアが差別問題に対して「どっちもどっち」であるかのような両論併記をすることで、そういう態度を市民の側に再生産してしまっているからです。その大本の部分を問うのはすごく意味があります。

この本にも出てくる神奈川新聞の石橋学さんは、今年の新聞労連大賞の特別賞を取った際のスピーチで、「記者が中立という言葉の下で無難な報道を続ければ、新たな傍観者を増やすだけだ」とバシッとおっしゃってました。この角南さんの本も「中立」という言葉に逃げ込まないという点でも、意義が大きいと思います。

木村 2014年頃に、ある在日コリアンの女性が、「私たち在日や韓国・北朝鮮をネタにしてメシを食って来た日本の学者や研究者、文化人、記者、映画人がいったい何人あのヘイトの現場に来てくれた? 言い訳ばかりして傍観していた奴らばかりの中でカウンターの人たちが出て来て、私は天使に見えた」と言っていました。その意味で第1章で「大手メディアの一員として、どう向き合ってきたか」という内省がありますが、これがド頭にあって良かった。自分の立ち位置を明確にした上で入っていくということで。

安田 まさにド頭で、テレビ番組の「今こそ全ての日本国民に問います」というセリフに対する違和感を挙げられていますね。あれは、私もすごく感じてたんです。私がこれまで関わってきた番組でも「これじゃあ国民の理解は得られません」とか「国民の間で批判が起きそうだ」とか、「国民」という言葉がしばしば使われるんですけど……。

木村 「有権者」とかね。

安田 そうなんですよ。でもその言葉で「あなたたちは仲間ではない」「あなたたちは私たちの情報発信の対象に含まれてない」というメッセージを発してしまうんだろうなって、いつも感じていました。

――2020年末の在留外国人数は280万人超(法務省発表)。「国民」とか「有権者」という言葉に含まれない人がこれほどいるわけですね。

安田 ええ。だから私は「市民」という言葉を使うようにしています。でもそうすると、いわゆるネトウヨと呼ばれる人たちから「国民って言え!」「有権者って言え!」みたいな反応が来るんですけど。

その言葉に対する違和感を本のド頭に持ってきたことで「この言葉、ナチュラルに使ってませんか」という、とても大切な問題提起になっていると思います。

角南 「国民」とか「有権者」という言葉を、疎外感を持って聞いてる人たちが、間違いなくいます。でもそれに気づいてない人が多いですね。

 

「批判を呼びそうだ」「野党が反発している」というメディアの逃げ

安田 ヘイトの問題に限らず、女性差別や民族差別の問題に対して、新聞記事の終わりで「批判を呼びそうだ」みたいな書き方がよくされますよね。あの語尾に対して私は違和感を抱くというか……。言い切るということに慎重になるのは、大手メディアとして分からなくはないんですが、明らかなヘイトや差別に対して「批判を呼びそうだ」で終わるのは、すごく傍観者的な態度だと思うんです。「そう書かねばならない」というルールみたいなものがメディアの中であるんですか。

安田菜津紀さん

角南 「そう書かねばならない」と信じてる人は多いですね。今までの記事がずっとそうで、デスクもそうだったら、新人記者は最初から「こう書くもんなんだな」と思ってしまう。新聞記事って、そういう主語がない言葉がすごく多いですね。

――新聞記者は「不偏不党」「中立」であれ、ということを徹底して仕込まれて、それが骨身に染みついていて「自分の意見をバシッと表明するのはダメ」みたいな感じがあるんですか。

角南 完全にそう刷り込まれてます。

私は3年ほど韓国にいたんですが、逆に韓国は右側のメディアと左側のメディアにハッキリ分かれていて、どの記事を見てもほとんどオピニオンみたいな感じで。でも、そうするとファクトを求めようとする力が弱くなるんじゃないか、という気もします。

一方、日本の報道はあまりにもファクト中心で中立的にやろうとするから、オピニオンを出さずに「批判を呼びそうだ」とか「波紋を呼んでいる」などの便利な言い回しを使ってしまいがちですね。

木村 でもメディアの矛先の鈍り方は、やはりここ10年じゃないかと思いますね。「批判を呼びそうだ」という言い方の他に、最近すごく気になるのが「野党が反発している」と、主語を「野党」にすり替えてしまうこと。

たとえば公文書を偽造や破棄すること、国会で虚偽の答弁をすることは、明らかに社会全体で問題視すること。そういうことに対しても単に与党と野党の問題、政局にすり替えてしまう。書くべきは「野党が反発」や「SNS上で問題になっている」ではなく記者として知り得た不正をどう思うかでしょう。

角南 たとえば首相が靖国神社に参拝したり玉串料を奉納したときに「中韓の反発は必至だ」とか書くんですよね。でも僕だって反発してるし、日本の中にも反発してる人はいっぱいいるのに「なんで中韓のせいにするんだろう?」と思います。そう書くことで「なんで中韓は反発するんや!」という怒りを呼び覚まして、それがヘイトにつながっていくんですよね。

 

人は変わることができる

木村 この本を書く中で、どのあたりが今回苦労しました?

角南 マイノリティーが読んだときに「それは違うだろ」って思うところがないか、という不安はありましたね。

安田 私は、「おわりに」の文章がすごく良かったです。自分がかつて、いわゆる右翼的思想を持っていて「中国人は~だよ」みたいなことを言ってしまっていたけれど、ある先生の授業を受けて変わった、というところに感銘を受けました。一つは「人って変われるんだ」ということを示してくださったこと。そして、自分も差別的な考えを持っていたということを、正面から見つめるという真摯な姿勢が大事だと思って。

私も高校生になってから自分の父が在日コリアンだったことを知って、そこからいろんな探索の旅が始まったんですけど……。それまでは完全に、いわゆる「日本人」として育てられ、それを疑わずに生きてきたんです。民族差別の文脈でいうと「マジョリティー」として育った。で、中学時代、夕ご飯のときに北朝鮮のニュースを見てイライラしてました。「あんなマスゲームとかやってるよ」とか「あのニュースキャスターのしゃべり方、何?」みたいに。テレビの出演者にも、それを鼻で笑うような空気感があって、私も知らず知らずそういうものに同調していました。自分の学校の校則が厳しかったので「うわ、北朝鮮みたいじゃない?」と、ナチュラルに差別的なことを言っていました。

その後、そういう加害性に気づいたのは、自分の中でとても大きなことでした。でも「自分にそういう血筋があることに気がつかないと変われないのか、声を上げられないのか」というと、そうじゃないですよね。

自分に血筋があろうがなかろうが「これってダメだよね」と気づけば、人は変われるんだということを、角南さんがこの本の最後に示してくださったことは、大切だと思います。

 

差別問題はマジョリティー側が変えなくてはならない

木村 「日本人の側からこそ、ヘイトはダメだと言わなきゃいけない」。これはヘイトスピーチやヘイトデモに対抗して無効化しようと戦っているカウンターの人たちもそうだし、記者もそうだと思うんですが、逆に、ヘイトを浴びせられている人たちを矢面に立たせるのはすごく酷なことです。

日本社会の問題であり、日本人の記者や日本のメディアが真っ先にやらないといけない問題です。

木村元彦さん

角南記者は、この問題に後発の自分が書いて良いのかという葛藤を書かれていましたが、そんな躊躇は必要無くて、多くの記者がやらなくてはいけない。誤解を恐れずに言うと、よく戦場取材の自慢をするジャーナリストがいますが、日本人記者は戦場取材に行く方がイージーです。紛争地は行くだけでその希少価値からページになり、日本のパスポートがあれば邦人保護で帰国出来る。しかし、ヘイトの現場は地続きの日常で常に自分が問われる。紛争地には行くけれどもヘイトの現場に来ない日本人記者を自分は信頼していない。

角南 いろんな在日コリアンが言うんですが、ヘイトスピーチがあると、メディアの人が必ず「どうですか」とコメントを求めてくる、と。「そりゃあ『嫌です、やめてほしいです』と言うに決まってるじゃないですか。なんでそれをわざわざ自分に言わせるんですか? 差別発言をする日本人の問題だと思うのに」というようなことをおっしゃっていて。確かにその通りなんですよね。

でも私も記事を組み立てる上で、在日コリアンにコメントを求めることがよくあるんです。「必要ないのにな」と思うんですけど。それでも一番最後、記事がキュッと締まるので、つい聞いてしまう。

安田 ただ、あんまりそれに偏っていくと「結局、差別を向けられる側と向ける側、当事者間の問題でしょ」っていうふうに問題が矮小化されてしまいますね。

民族差別だけでなく、セクシャル・マイノリティーの差別などでもそうですが、差別の矛先を向ける側も、向けられる側も、その間にいる人たちも、実はいろんなグラデーションの人たちが存在しているんです。

「差別はダメだ」と思っていても、どうしていいか分からない人とか。逆に、ヘイトデモでプラカードを掲げるまではいかないけど、ちょっと隣国に嫌悪感を持っている人とか。マジョリティーの側にもいろんなグラデーションの人がいて。そこにいる人たちがどう動いてどう声を上げるかで、この問題は変わっていくはずです。

セクシャル・マイノリティーの話でいえば、私が大学生のときはまだLGBTという言葉さえ「何それ?」って感じでした。当時はようやく少しずつ、狭い意味での「当事者」の人たちが使い始めたところで。でも今は本当にたくさんの人たちが、この言葉を認識しています。2018年に杉田水脈議員が「LGBTには生産性がない」という発言をしたときは、自民党本部前に本当にたくさんの人たちが集まって抗議の声を上げましたし。

昔からの友達にセクシャル・マイノリティーの当事者がいるんですが「10年前、あの光景は考えられなかった。自分たちがただただ我慢して、沈黙してやり過ごすしかなかったのに、変わった」と言っていました。

それはマジョリティーのグラデーションの中で変化があったからだと思います。そうした変化を起こす契機を、メディアはちゃんとつくっていかなければいけないと思う。この本がその一助になってほしいですね。

 

「言語化する」ことで認識を広める

木村 メディアの役割としては、安田さんが言うように「言語化する」ことが大事だと思います。LGBTと言えば、今はイメージできるじゃないですか。セクシュアル・ハラスメントとか、ドメスティック・バイオレンスなども、定義する言葉が出てくる前は「いや、親愛の情だよ」とか「ただの夫婦ゲンカだろ」と言って済まされてしまうことが多かった。でも概念が言葉で定義されたことで、認識されるようになった。概念を定義してアナウンスしていくということも、メディアの役割として、あるでしょう。

安田 確かに。ヘイトスピーチなんかも、この言葉が輸入されるまでは「単なる悪口」という感じで扱われることがありましたね。

木村 「憎悪表現」という呼び方もあるけどヘイトスピーチはまさに差別、そして暴力扇動です。有りもしない「在日特権」を流布して、「俺たちが苦しいのはこいつらのせいだ。こいつらを殺れ」っていう。そういう差別煽動がユーゴスラビアでは内戦につながったし、日本でもかつて関東大震災(1923年)のときにあった。「朝鮮人が井戸に毒を入れている」というデマを、政府の官報でも広げた。そのせいで実際に大勢の朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた。当時はそれが口コミ、今はインターネットでヘイトがどんどん流布されていく。それをメディアが煽ってきた部分もある。

角南 そうですね。「はじめに」で書きましたが、今の社会状況は関東大震災の頃に似ていると思います。上から下まで差別がはびこっている。丹念に差別の芽を摘み取っていかないと、災害時の虐殺という最悪の歴史を繰り返してしまうことになりかねません。

 

ヘイトスピーチには国レベルで刑罰を伴う法制化が必要

安田 今回の本や記事などで発信を続けて、角南さんが目指したいものは何ですか? 「官製ヘイト」の問題も、この本の中ですごく深く掘り下げていらっしゃいますね。その先に、たとえば「報道自体が変わっていくべきだ」と考えるのか、「政治が変わっていくべきだ」と考えるのか。

今年、3月11日より少し前に大きい余震が起こりましたが、そのときにツイッターで「朝鮮人が福島の井戸に毒を入れた」というデマが流されて、私は「100年前と変わってないの?」と驚きました。でも、あのツイートをした人を罪に問うのが難しいわけですよね。

熊本地震のときに「ライオンが逃げた」とツイートした人は、「熊本市動植物園の業務を妨害した」ということで偽計業務妨害の疑いで逮捕されましたが、多くは野放しのままです。

木村 そういうSNSによるデマや煽りのせいで、煽られた人々が実際に行動してひどい状況になったのが、トランプ支持者による連邦議会の占拠じゃないですか。あれも「大統領選に不正があった」というツイートによって、あそこまでの問題が起きた。

今回のミャンマーの軍事クーデターでも「選挙が不正だ」と軍側のメディアが流しました。同時代でこういう事例が既に出てきている。

日本にはヘイトスピーチ解消法ができましたが、解消法についてはどう思ってますか?

角南 解消法はできたけれど、今もヘイトスピーチは全然なくなっていないから、解消法は理念としては良かったけれども実効性がない、ということがもう完全に露呈していると思います。当初は、警察がヘイトデモ側を閉じ込めて、カウンター側に対する警備が甘くなるという面も見られましたが……。

木村 解消法ができて一番最初に行われた川崎でのヘイトデモでは、そんな感じでしたね。そして、途中でデモを続けることを断念させた。でもそれが今、どんどん変わってきた感じがします。

一つの前進といえるのは「ヘイトスピーチは罪だよ」と言えるようになった。それで最初は警察も動いた。ところが、その後は再びヘイターのほうを警察が守ってしまっている。非常に恣意的な流れを感じざるを得ません。

安田 私も先週、川崎に行ってきて、まさにおっしゃった通り、柵の中にヘイターたちを囲って警察がそれを守るような形になっています。あの構図を毎月のように見せること自体が、逆のメッセージになってしまう。「警察が守ってるんだから、彼らのほうが正しいんだ」みたいな印象を与えてしまいかねない。

ヘイターたちは、警官隊に守られて鉄格子に囲まれて安全な場所で「来い来い」と手招きみたいなことをして挑発しているわけですよ。でも、本当にシンプルに、ダサいと思います。

川崎で、全国に先駆けて刑事罰を規定した条例ができたのは、すごく画期的だったと思うけれど、国家レベルでさらに踏み込んだ法体系をつくらないとダメだと思います。そうでないといつまでも、矛先を向けられた人たちの我慢と、カウンターの人たちの努力の問題にされ続けてしまいますから。

木村 法による規制に反対する弁護士を一度、ヘイトデモの現場に連れて行きましたが、彼は「こういう非暴力の直接行動で防ぎ続けていけばいいじゃないか」と言うのですが、いやもうカウンターの人たちが、ヘトヘトになります。

安田 4月11日も朝5時頃から、カウンターの人たちがヘイトデモの現場になるであろう所に張り込んで、へイターたちにいつもの場所を使わせないようにして、規模を若干縮小させるみたいなことを何とかやっていて……。

 

法律をつくるだけでなく、啓蒙も必要

木村 「なぜその法があるのか」というところをちゃんと啓蒙・啓発していない、ということを強く感じますね。解消法ができた後、名古屋でヘイト街宣があったとき、僕はただの通りすがりみたいな感じで、警備の警官に「何が起こってるんですか」って聞いてみたんです。すると警官たちは、ヘイターとカウンターを指して「こっちは日本の人、こっちは韓国の人」って。

安田・角南 え~っ? 

木村 その程度の認識なんですよ。「差別主義者が法に抵触するようなことをしようとしているのを、非暴力で止めようとしている市民たちだ」という認識がない。デモの警備に来ている警察が「日本人対韓国人」という構図でしか見ていない。これはすごく大きな問題です。

角南 大阪府警の機動隊員が沖縄で、米軍のヘリパッド移設工事に反対する人たちに対し「ボケッ、土人が!」って言ったのもそうですね(2016年)。啓蒙・啓発どころか、逆の教育がされている。

木村 しかも「土人発言」の後、松井一郎大阪府知事(当時)は「よくやっている」的なことを言いましたから。

――「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのが分かりました。出張ご苦労様」と松井知事はツイートしましたね。

安田 差別発言にお墨付きを与えたわけですよね。

木村 それは地域住民と国家権力という非対称な関係なのに「混乱を引き起こしているのはどちらなのか」と「どっちもどっち」論を展開していきました。

 

川崎の条例も刑罰にいたるまでのハードルが高すぎる

――ヘイトスピーチ解消法はできたけれども罰則規定がない。刑罰がないのも大きな問題だと、角南さんは書かれていますね。2020年7月に施行された川崎市の条例ではヘイトスピーチを繰り返した場合、最高50万円の罰金刑が科せられることになりましたが、この条例ができてもヘイトデモは変わらず続いているのでしょうか。

角南 ええ。川崎では罰金刑、刑事罰ができたといっても、そこに至るまでのハードルが高くて。

――ヘイトスピーチだという警告を受けてから、さらに3回繰り返した場合、しかも半年以内という規定がある。確かにハードルが高すぎる。しかも、ネット上での発言は対象外になっているし。

角南 ええ。本当に、罰金までたどり着く人がいるのか、と思いますし、この本にも書きましたが、ネットでの差別発言や脅迫に近いことを言われて、本当に苦しい思い、辛い思いをしている方もいるんです。それなのに、ネットでの差別発言は野放しに近い状態です。

ただ、初めて「ヘイトスピーチは犯罪だ」ということを条例が示したことの意義は大きくて。今までネットに踊らされたりして「何となくそうかもしれない」と思ってヘイトデモに参加していたような人たちは、条例ができて、どんどん減っていったと思います。

――ヘイトデモの参加者数は減った?

角南 ええ。でも、条例の隙を突くように、確信犯的な差別主義者たちが今、川崎をターゲットにしています。

コアな差別主義者たちというのは、たぶんいつまでも残り続けると思います。その人たちが野放しにされることで、どんどん差別主義者が増えてしまうから、やはり刑罰を伴う法律が必要だと思います。

安田 どんな条例も法律もそうですけれど、「できて終わり」ではなくて「ここが欠けてる、ここが足りない」というのをあぶり出して市民の中で育てていくものだと思うんですよね。

ヘイトスピーチ解消法も川崎の条例も画期的なものではありましたが、まだまだ理念として浸透してないので、ヘイトデモがあるときに川崎市民に対して「ここで今何が起こっていて、これに対しては、こういう条例がある」ということを届けないといけない。それで市民団体の人たちがヘイトデモの現場に行って、そばでビラを配り「こういう差別を禁止する条例があります」と一生懸命、現場で声を届けようとしています。でもそれが市民団体の人たちの自助努力だけになってしまってはいけないですよね。公的機関、行政の側がプレゼンスを高めて「これはダメなことです」というメッセージを発していくべきだし、国としての法的な枠組みも必要ですね。

 

ヘイトスピーチを見かけた際にできる“小さなカウンター”

――ごく一般の人がヘイトスピーチを見かけた場合に、何か対抗できる方法はあるでしょうか。

角南 ヘイトデモなどに対抗するのは、とても勇気の要ることだし、場合によっては危ないケースもあるので、ハードルが高いかもしれません。でも、ちょっとしたヘイトスピーチ、そこら中にあふれている差別的な言葉に対して、その場で抗議したり、何かできる場合もありますね。

たとえば子どもと一緒に電車に乗っているときに、中吊り広告などで雑誌の嫌韓記事のタイトルを見てしまった場合。一緒にいる大人がどうするかで、子どものその後が変わると思います。だから、子どもに「こういう言葉は差別的だから良くないよ」とか、「あんなこと言っちゃダメなんだよ」とフォローするとか。

また、行きつけの居酒屋とか、身の回りの場所でヘイト発言を見聞きしてしまった際も、その場にいるお客さんの中にマイノリティーがいるかもしれないし、その人を守るためにも、何かやれることがあるんじゃないでしょうか。

差別発言をしている本人に直接伝えると、逆ギレされて暴力を振るわれたりする可能性もあるかもしれませんが、直接伝える以外の方法もあります。

たとえば、私がこの本に書いたある居酒屋では、こういうシーンがありました。中年男性2人組が、ずっと韓国の悪口を言っていたんですが、それを聞いた周りのお客さんたちが「先月、韓国に遊びに行ったんだけどさ~」「あ~、私も去年行って、こんなことがあって楽しかったよ」と言ったり、K―POPの話をしたり、みんなで大声で韓国のいいところを話し始めたんです。そしたら、その2人組は黙り込みました。

木村 2014年に浦和レッズのサポ-ターが、日本国籍を取得した在日の選手に向けて「Japanese Only」という横断幕を掲げました。FIFAも差別はゼロトレランス(不寛容)をうたっていますから、これは一発アウトなのですが、当初、警備員とクラブ側はこの横断幕を看過していました。しかし、見つけたレッズのサポーターが、問題視して即座に運営側に外すように伝えたこと、写真を撮ってネット上で提起したことでうねりとなってJリーグの村井チェアマンも処分に動きました。レッズサポの起こした事件ですが、レッズサポが自浄しようと動いたわけです。いきなり剥がさずに、主催側に訴えて全体化することで効果的なカウンターになった。レッズの槙野選手も横断幕に対して見逃さずに「これではチームがひとつになって戦えない」とあくまでもピッチに立つ選手の立場から、毅然とツイートしました。広島ユース出身の選手はさすがだと思いました。

安田 素晴らしいですね。

角南 いろんなやり方が、それぞれ “小さなカウンター”になりますね。私が話したのは居酒屋のカウンターであったことですけど。

安田 カウンターでのカウンター、いいですね!(笑)

今のお話を聞いて思い出したのが、最近ちょっと話題になった、女性に対する性暴力を見過ごさない、という啓発の動画です。2つのバージョンが合わさって1セットになっているんですけど。

1つ目は差別や暴力を見過ごしているバージョン。たとえばエスカレーターで、目の前の男性がスカートの中を盗撮しているのを目撃したけど「あ、どうしよう?……でも、怖いから見ないふり」みたいな動画や、路上で女性が男性にバーンってぶつかられたり、女性が男性にしつこく声をかけられてるのに「うーん……俺、関係ないし」って見過ごすパターンのものです。

でもこれに、2つ目の動画として、「そんなふうに無関心を決め込むんじゃなく、小さなやり方で助けることができる方法があるんだよ」というのを示すものが続くんです。

たとえば盗撮している男性に気づいたら、大きな咳払いをして「俺は気づいてるぞ」という意思表示をしてみる。これは、痴漢をしている現場を見つけた際にも使えますね。

また、ぶつかられた女性に対しては「大丈夫ですか。警察に行きますか」と声をかけてみる。

しつこく声をかけられている女性に対しては、友達のふりをして「あ~、久しぶり。元気?」とか「ごめんごめん、待った?」などと声をかけながら寄っていく。

真正面から対抗するのはすごく勇気がいるし、加害者側から何をされるか分かりません。身体的なリスクもあるので、まず、無理はしないでほしいです。

でも、「こんなふうに等身大で、深刻なリスクを冒さずにできることがあるよ」というのを共有できたらいいな、と思うし、私たちも提示をしていく必要があるな、と今のお話を聞いていて思いました。この女性差別や暴力の問題と、民族差別の問題って、たぶん通底しているんだろうなと。

角南 そうですね、その咳払いする、とかも“小さなカウンター”ですね。でも、小さなことではあってもリスクを冒さずにできるし、それによって、そこにいる誰かを守ったりできるかもしれない。

それに「差別や性暴力はよくない」と示していくことで、少しずつ社会を変えていく力になる可能性もあると思います。

構成/稲垣 收  撮影/甲斐啓二郎

 

関連書籍

ヘイトスピーチと対抗報道

プロフィール

木村元彦×安田菜津紀×角南圭祐

 

 

木村元彦(きむら ゆきひこ)
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター。東欧やアジアのスポーツや民族問題を中心に執筆活動を行う。主な著書に第16回ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作『オシムの言葉』(集英社文庫)、『蹴る群れ』(集英社文庫)、『無冠、されど至強 東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代』(ころから)、『13坪の本屋の奇跡 「闘い、そしてつながる」隆祥館書店の70年』(ころから)などがある。

 

安田菜津紀(やすだ なつき)
1987年神奈川県生まれ。上智大学卒。フォトジャーナリスト。国内外で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。写真を担当した『しあわせの牛乳』(ポプラ社)は、第2回 児童文芸ノンフィクション文学賞を受賞。主な著書に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)など。現在TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

 

角南圭祐(すなみ けいすけ)
1979年愛媛県出身。大阪外国語大学卒業。愛媛新聞記者を経て、渡韓しフリージャーナリストに。2009年共同通信入社。大阪社会部、福岡編集部、社会部を経て2020年から広島支局次長。「共同通信ヘイト問題取材班」の一員。日本軍慰安婦や徴用工など日韓の戦後補償問題について長年追い続けている。共著に『戦争への想像力』(新日本出版社)、『ろうそくデモを越えて』(東方出版)など、単著に『ヘイトスピーチと対抗報道』(集英社新書)がある。

 
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