著者インタビュー

サボりたい人こそ、むしろ今真っ当なんじゃないですかね

『サボる哲学』著者 栗原康氏インタビュー

栗原康

「はたらかないで、たらふく食べたい」を座右の銘とし、「働かざる者食うべからず」という道徳に対して中指を立て続ける稀代のアナキスト・栗原康の新著『サボる哲学』(NHK出版新書)が、これまた痛快だ。古今東西の事例から「労働」や「権力」を嘲笑(あざわら)ったかと思えば、両親の年金から「麦とホップ<黒>」を買ったと告白する。

この怪人の素顔とは?

奴隷船貿易やラッダイト(打ちこわし)運動などの歴史的事実から、『古事記』『鬼滅の刃』までをも俎上にあげ、「はたらかざるもの、食うべからず」の呪いにかかった現代人に、「労働とは」「生きるとは」を問いかける栗原さんの最新刊『サボる哲学』(NHK出版新書)。新書版1023円。

 

──前著『はたらかないで、たらふく食べたい』、そして今回の『サボる哲学』、たいへん楽しく読ませていただきました。

栗原 ありがとうございます。

──きょうのインタビューをどのアプローチでやろうかと考えたとき、形式ばったものではなく、「栗原さんと雑談がしたい」と思いました。で、実りある雑談に必要なのは、これなんじゃないかと思い至って、お持ちしました。ご著書のなかにも何回か登場する、栗原さんの大好物「麦とホップ〈黒〉」です(笑)! ぜひきょうは飲みながら語ってください!

栗原 おお、いいんですか!? では、さっそく!(と言って飲みだす)

──まず『サボる哲学』とは、ひと言でいうとどんな本ですか? というのもとても面白いのは間違いないのですが、「じゃあ、どんな本なの?」って聞かれたら、その説明が非常に難しいといいますか。

栗原 『サボる哲学』という本では様々なことを書きましたが、基本的につながっているテーマは、サブタイトルにもなっている〝労働の未来から逃散せよ〟ということです。未来をサボりたい、というのが一番軸にあるというか。

──具体的にいうと?

栗原 サラリーマンが過労死しちゃうほど真面目に働いたり、学生でも追い詰められるほどに就活を行ったりしますが、これ、将来を背負わされてるからなんですよ。「いい会社に入りたいなら真面目に勉強しましょう」とか、「就職できたとしても、いつクビになるかわからない。そのためにも資格の勉強でもしてスキルアップしておきましょう」とか。もう「将来のため、将来のため」とずっとエンドレスで背負わされる。けど、その将来っていつ来んのよ? みたいな。

 僕の友達でもいましたよ、真面目に働きすぎて精神を病んでしまったヤツとか。ずっと将来を背負わされて「働け」と命令された末に、そうなってしまった。当時、一緒に飲んだら、ストレスからか飲み方が異常で。鍛高譚(たんたかたん)をひとりで5~6本空けてて、死ぬ気か? みたいな。そいつ、最終的には会社を辞めてインドに行っちゃいました(笑)。自分でノーフューチャーをつかみとったんですね。だから会社に使い殺される前に、未来や将来を本気でサボってみませんか、ということを書いた一冊なんです。

──確かに自分が壊れるくらいなら、その前にサボるべきですね。あと、そんなことを言っても許される社会になるべきですし。

栗原 サボっているときのほうが生きている充実感を感じたりしますからね。むしろ、サボりたいと思う人間こそ、真っ当なんじゃないかと思います。

──本のなかには「街角でたばこを吸い、路上で酒を飲んだだけで犯罪」というくだりがありました。本当にそんな世の中ですし、大勢の人がそんな考えをすんなり受け入れていることこそが怖いですよね。

栗原 路上で酒飲むなんて当たり前のことですよ。学生時代なんか特に金がなかったから大五郎みたいなの買って、あれ不味()()いんですけど(笑)、校舎の前で飲んでいました。すると他で鍋やってた知らないヤツが「これ食うか?」と話しかけてきたりする。それで変な会話が始まったり、ときにはケンカになったり。でもそういった予期せぬことが起こることが一番重要なんだと思います。

──でもコロナ禍のご時世、路上飲みなんかやったら犯罪者扱いですもんね。

栗原 それどころか、今、大学構内でたばこなんか吸ってたら警備員が飛んでくるし、立て看もガンガン撤去されてしまう。たばこや路上飲みといった〝汚いとされる風景〟は、今や大学にはありません。今の大学は〝お金を払って教育を買う場〟であり、〝教育という名の知的な商品が並んでるショッピングモール〟でしかないんです。

──学生も学生で、この世に必要とされるいい商品、いい大人になろうと必死ですもんね。

栗原 僕はずっとバブー! って言ってたいですけどね(笑)。駄々をこねたい。

── 一生、赤ちゃん(笑)。

栗原 こないだ(註:10月7日)、東京・埼玉で震度5強の地震があったじゃないですか。兄が川口に住んでるから心配で、翌日昼過ぎに起きてテレビつけたら駅に大行列ができてたんですよ。

──起きたのは昼過ぎ?

栗原 はい(笑)。でもあんな大地震があった翌日、まだ電車が止まっているというのに通勤通学のために駅に向かうという気持ちがわからない。だけどそのくらい働く身体が染みついちゃっているんでしょうね。僕なら絶対休みます。

──コロナの世界的パンデミックに襲われて、テレワークを経験してもなお、相も変わらず会社に行こうとしてましたもんね。栗原さん、コロナの影響は?

栗原 もともと週6引きこもりだったのが、大学のオンライン授業化にともない週7引きこもりに変わったくらいです。ただ週7引きこもりは、若干つらい(笑)。

──リモート授業をやってみて、いいところと悪いところは?

栗原 Zoomにはホワイトボード機能もついてるし、授業資料もスキャンしちゃえば、いくらでも学生に渡せる。だからとても便利といえば便利なんですが、授業内容を伝えるという目的だけが凄い加速して、それ以外の〝授業の意味〟が全部消えたなって思いましたね。

 学生も全員カメラをオフってるから、モニターには学籍番号だけがずらーっと並んでる状態で。そこにずーっと喋りかけ続けるわけですから、「俺は何やってんのかな」って思いましたね。そうなると孤独になってくるんですが、そんなとき生徒から「いいね!」のスタンプが画面上に送られてきて。最初はあんなものと馬鹿にしてしてましたが、スタンプひとつでうれしくなっちゃいまして(笑)。

──今、栗原さんがおっしゃったなかにあった「リモートで失われた、授業の意味」とは?

栗原 授業がもつ本当の面白さって、飲み会とかと一緒で〝場の共有〟にあると思うんです。寝てる子がいてもいいし、「あいつの授業はつまらない」と言い出す子がいてもいい。するとそこに「そうだよね」と気が合う仲間が出てきて、そのままお茶に行ったりする。そういったきっかけが生まれるのが、大学の授業の面白さだと思います。けど、リモートだと生徒同士の横のつながりがまったく消えるわけで、そういう場そのものが奪われてしまうんです。

──確かにZoom会議だと、対面時にあった雑談が圧倒的になくなりましたもんね。

栗原 僕は非常勤講師だから免れているのですが、大学でも、7時間もやってるつまんねえ会議があって、そういうときにかぎって、おじいちゃん先生がずーーっと喋り始めたりするらしいんです。でもZoom会議になって、それがなくなって喜んでる人もいるんです。とはいえ、たまにおじいちゃんの言うことを聞いてあげたっていいじゃないですか(笑)。

──人としてね。

栗原 良くも悪くもですが、「つまんねえ」「長ぇよ」と同僚とおしゃべりする機会も含めて、Zoomという効率化が、かけがえのない触れ合いを奪ってしまってると思います。

──今「おじいちゃん」という単語が出ましたが、コロナ禍の行動って、その人の死生観が反映されている感じがしてて、とにかく死なない、長生きするのが大事という人が多かった気がします。それに対して、未来をサボって今を楽しめ! という栗原さんの死生観はどんなものなんですか。

栗原 死生観は、3・11辺りからけっこう考えるようになりました。地震もですが、福島第一原発が火をふいている光景をみて、こりゃ死ぬかなって。だからいつ死ぬかわからないのに将来のことを考えるなんてくだらねえ、という思いを明確に持ちました。ノーフューチャーでいいじゃねえかと。

 当時、僕は大学院を出たばかりで、大学の専任教員になる道も考えていました。「将来」を意識してしまう自分もいたんです。つきあっていた彼女にも「ちゃんと働け」と急かされ、「専任教員目指して頑張ります」と口では言って内心冷や汗、みたいな(笑)。でもやっぱ3・11で「人はいつ死ぬかわからない」と思ってからは、好きなことを思う存分やってやるという考え方がより強まったんです。なにものにも縛られない「生」をつかみ取らなきゃだめなんじゃないかと。

 3・11の原発に現在のコロナ禍、死の恐怖がみんなにあると思います。でも、そんなときですら、いやそういうときこそ将来に(とら)()われてしまう。本来なら「明日死ぬかわからねえなら、いま好きなことやろうぜ」と思うのが自然なはずですが、「明日死にたくないのなら、お国や会社の言うことに従いましょう」となっちゃう。権力者はいつも危機を利用します。死にたくなければ、われに従えと。

──なるほど。そういえば栗原さんはコロナに罹患(りかん)されたと本のなかでも書かれています。何か考え方は変わりましたか?

栗原 いや、1日だけちょっと微熱が出ただけなんで、コロナで考え方が変わることはなかったです。最初、風邪かなあと思っていたら、コロナで陽性反応が出た友人が「PCR検査」を受けろと。それで調べたら陽性で。というのもその友人とカラオケ行ってたので、ばっちりかかってしまっていたんです。

──(笑)。

栗原 でも、実際コロナになってみたら、みんなやさしい言葉をかけてくれるんですよ。この本の担当編集さんはビールを送ってくれたりして。だから「しめしめ」と思って、もう友達何人かにメールや電話で「コロナになっちゃった」と言ったんですよ。

──だから、何かよこせと(笑)。

栗原 ある友人が「それは大変だ。何か必要なものあったら送るよ」と言ってくれたので、「麦とホップ〈黒〉が欲しいっす」と答えたら、「死ね、バカ」って言われてしまいました(笑)。

──何せ、栗原さんの座右の銘は「はたらかないで、たらふく食べたい」ですもんね。

栗原 そうですね。働かずに、たらふく食いたいっすね。

栗原さんの座右の銘がタイトルになっているこちらの本は、増補版として今年2月にちくま文庫版から発売。文庫版902円。

──そもそも「働く」って、何なんですかね。

栗原 好きなことを全力でやることが、本来の「働く」とういことだと思うんです。でも、みんなの抱く労働観が、悪い意味でのマゾヒズムになってしまっている。これはデヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ』で言っていることですが、苦痛に耐えることが労働であり、それこそが神聖なことなのだと思われるようになっちゃっている。努力した証をたてよと。無駄な仕事や会議を毎日やって、その苦痛に耐えた分だけたくさんお金をもらうんだ。そんなふうに苦痛を昇華させている。

 だから僕なんかもそうですが、好きなことしかやらない人間に対しては、「お前は労働という苦痛に耐えてない。だから賃金が出なかったり社会的にクソみたいな評価を受けるのは当たり前なんだ」とみなされてしまっている。

──やりたいことを我慢し続けた人にとって、栗原さんのような自由人は許せないんでしょうね。

栗原 あと、例えば、ケアワーカーという仕事は、人のためになる仕事でやりがいがあるとされている。でも、やりがいがあるってことは、労働の苦痛が少なかったりするよね、じゃあ賃金や社会的評価が低くても当然だよね、という考え方に晒されてしまっている。

──やりがい搾取ですね。やはり「働くことの意味」というものを、もう一度考えてみる必要があるし、そのヒントが『サボる哲学』にあると思います。

栗原 サボることに躊躇(ちゅうちょ)している人にこそ、読んでほしいですね。

──ブラックな状況で頑張っても、身と心が削がれていくだけですし。

栗原 サボるというのは、本当の意味で一番自分の身を守れる行為かもしれませんね。だから最近とみに思うことは、弱っちいことはいいことだということです。それはセンサーが働いてる証拠で、「何か会社に行きたくないな、嫌だな」と脳が感じている。でもそういった感覚を理屈で抑え込む訓練ばかりしてるわけで、だからこそそういった「勘」が凄く大事なんです。嫌なものは嫌、もう理屈じゃない。

──心が「逃げろ」と言うのなら逃げたほうがいいと。

栗原 3・11で原発が爆発して、日本もチェルノブイリみたいになってしまうのではないかとみんなが不安になったのに、それでも会社に行こうとしてしまうのが現状です。けど、誰か友達のひとりが「田舎に逃げようぜ」と言ってくれたら、その状況からサボることができるかもしれない。

──そういった友達、必要ですよね。本のなかでは〝相互扶助〟という言葉が使われています。

栗原 ふとしたときに出てくる手ですよね。助けてくれる。

──コロナ禍において、だいぶ相互扶助という考えがみんなの頭にあったと思うのですが。

栗原 でも、それが大義や理想になってしまうと、気持ちが悪いんですよ。助け合うためには、みんなでこうしましょう、ああしましょうと、変な決まりやシステムみたいなのができてしまうので。

──確かにそれは窮屈だし、今までと変わりがない。

栗原 僕の知り合いに、めちゃ個人主義的なアナキストがいて、その人は相互扶助という考え方に中指を立てているような人なんです。その彼が夜勤明けの疲れているなか、ふと見ると道でおばあさんが血を流して倒れていた。普段は相互扶助に異を唱えてるのに、そのおばあさんを見たら体が勝手に反応し、気づいたら助けてあげていたそうなんです。だから彼は「相互扶助なんて馬鹿にしてたけど、いざ困ってる人を見たら意識せずに助けちゃうものなんだな」と感心してました。

 ところが、おばあさんを助けたあと、素に戻ったんでしょうね。「そういえばあのババア、咳してやがった。コロナだったら俺にうつるじゃねえか!」と、全身を消毒したそうです(笑)。

──アハハハハ! どちらも本当の自分なんでしょうね。そういえば栗原さんは32歳のとき400万円の借金をこさえたとか。

栗原 奨学金ですね。635万円です。あれ、20年で絶対返済しなきゃいけないという謎の規定があって。「30年にしてくれ」って言っても聞き入れてくれないんですよ。もともと月3万円返済しなきゃいけないんですけど、僕、今定期的な収入は月6万円しかないんです。そんなの無理じゃないですか。「頑張っても5千円、できれば0円、いきなり1億円とか入ったら返しますんで」と言っても無視されて。

──そりゃそうでしょう(笑)。駄々っ子じゃないんだから。

栗原 駄々イズムですよ(笑)。

──当時栗原さんは、ご実家に住まわれてたんですよね? ご両親の反応は?

栗原 親はやっぱり世間体の人ですから、30過ぎた男が2階に引きこもってるなんて恥ずかしかったみたいですね。だからご近所さんが遊びに来ているときは2階から降りてくるな、みたいな。僕も金もないし部屋にひきこもってるしかない。だからすでに持っていた大杉栄全集をひたすら音読してて、それはそれで楽しかったですよ。

 それで自室の窓を開けると目の前がアパートで、そのとき誰も住んでなかったんですよ。それでそのアパートのオーナーが保護犬を連れてくる人で、各部屋に1頭ずつ犬を住まわせていたんです。で、夕方くらいになるとその犬たちが一斉に「ワオーン、ワオーン」と遠吠えをやりだして、そこに合唱するように僕も大杉栄を音読してました。敬愛する大杉が「野獣になれ」というメッセージを残したので、僕もその瞬間、野獣になれたんだと思いました。これも動物による相互扶助かなと(笑)。

──普通ならそこは「うるせえ!」とキレるところなのに流石です! ビール空いたようですが、よろしければもう1本……。

栗原 いいんですかー? すいませーん(プシュッ)。

 

取材・文/村橋ゴロー 撮影/五十嵐和博

 

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プロフィール

栗原康

くりはら やすし

1979年、埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師、政治哲学者。専門はアナキズム研究。主な著書に『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』(NHK出版新書)『はたらかないで、たらふく食べたい・増補版─「負の負債」からの解放宣言』(ちくま文庫)『大杉栄伝~永遠のアナキズム』(角川ソフィア文庫)『村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝』『アナキズム~一丸となってバラバラに生きろ』(岩波書店)『死してなお踊れ~一遍上人伝』(河出書房新社)などがある。

 

 
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サボりたい人こそ、むしろ今真っ当なんじゃないですかね