「プロフェッショナル」としての軸を持つ
山口 可士和さんが博報堂に入社された1980年代は広告の黄金期で、「広告クリエイティブの勝ちパターンはこれだ」みたいな不文律も流布していたと思います。そこに染まっちゃうと、「業界のルールをよく分かっている、非常に使いやすい歯車の一人」になってしまうと思うのですが、でも、可士和さんにはそれに染まらない強さがあった。なぜそれができたか? ということは、今の若い人たちにとって、重要なポイントじゃないかと思うのですが。
佐藤 博報堂はいい会社だと思いますし、そこでの勤務自体も楽しかったのですが、誤解を恐れずにいえば、僕は博報堂に入りたかったのではなく、アートディレクターになりたかったんですよ。
山口 ああ、なるほど。まさに仕事を「職業」としてとらえていたのですね。「就社」ではなく「就職」というとらえ方は、欧米的というか、本質的ですよね。
佐藤 アートディレクターとして評価されたいという思いは強かったのですが、でも、会社の中で偉くなろうといったマインドは、ほぼゼロでした(笑)。
山口 そこは、今の時代に非常に効くメッセージですね。可士和さんがそう考えて、会社を辞めて「SAMURAI」を設立されたことは、まさに「課題」→「コンセプト」→「ソリューション」そのものの実践だったんだ。
佐藤 いわれてみれば、そうですね(笑)。
山口 課題って何か、と考えると、それは「ありたい姿」と「現状」のギャップと要約できます。可士和さんにとって「ありたい姿」とは、いい仕事をして、アートディレクターとして世の中でプレゼンスを発揮するということ。そこを間違えて、会社の上司から評価される、といったゴール設定をしてしまうと、今のポジションにはおられなかったことでしょう。最初の課題設定が正しかったから、独立された後もブレずに、ご自分の仕事を打ち立てられたのだと思います。
佐藤 とにかくアートディレクターとして評価されたい、ということに関しては、猛烈に忠実でした。僕は、あらゆる職業の人が自分をプロスポーツ選手のように思って、仕事に臨めばいいな、と思っているんです。
山口 会社の軸ではなくて、文字通り、プロフェッション(専門的職業)を持った「プロフェッショナル」としての軸を持つことですね。
佐藤 選手として結果を出す。そのためには、練習量の多寡は問わない。つまり、残業をどれだけしたかではなく、結果のクオリティで評価が決まる。そのような仕組みの中で、選手、つまりそこで働く人材が結果を出せば、会社自体の業績も当然上がりますよね。
山口 働き方改革だ何だと、上からいわれるのではなく、自分の仕事に対して裁量と責任を持てる職場環境にする。そんな原理が、日本でもうまく回るようになればいいと思うのですが。
佐藤 日本の企業社会が行き詰っているのなら、そのような仕事に対するマインドの転換が必要ではないか。そのことは強く意識します。
(→第2回に続きます。)
プロフィール
佐藤可士和(さとう・かしわ)
クリエイティブディレクター。「SAMURAI」代表。1965年東京都生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、博報堂を経て2000年に独立。慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。多摩美術大学客員教授。ベストセラー『佐藤可士和の超整理術』(日経ビジネス人文庫)など著書多数。2019年4月に集英社新書より、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(慶應SFC)における人気授業をまとめた『世界が変わる「視点」の見つけ方 未踏領域のデザイン戦略』を上梓。
山口周(やまぐち・しゅう)
戦略コンサルタント。専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成。1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ、コーンフェリーなどを経て、現在はフリーランス。著書に『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『世界の「エリート」はなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『劣化するオッサン社会の処方箋』『仕事選びのアートとサイエンス 不確実な時代の天職探し』(以上、光文社新書)など。