対談

スポーツと学校現場の今

斉加尚代×平尾剛 『何が記者を殺すのか』刊行記念対談
斉加尚代×平尾剛

いま地方発のドキュメンタリー番組が熱い。中でも、沖縄の基地問題、教科書問題、ネット上でのバッシングなどのテーマに正面から取り組み、維新旋風吹き荒れる大阪の地で孤軍奮闘しているテレビドキュメンタリストの存在が注目を集めています。
『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』は、毎日放送(MBS)の制作番組『なぜペンをとるのか』『沖縄 さまよう木霊』『教育と愛国』『バッシング』などの問題作の取材舞台裏を明かし、ヘイトやデマが飛び交う日本社会に警鐘を鳴らしつつ、深刻な危機に陥っている報道の在り方を問う一冊です。
このたび、著者の斉加尚代さん、ゲストに元ラグビー日本代表、現在は神戸親和女子大学教授の平尾剛さんをお招きしたトークイベントが開かれました。
『何が記者を殺すのか』あるいは斉加さん初監督映画『教育と愛国』について、いま学校やスポーツの現場から見えてくるものを切り口に、お二人が存分に語り合いました。
※2022年7月22日、ジュンク堂書店三宮店にて行われたトークイベントの模様の一部を記事化したものです。

斉加尚代さん(左)と平尾剛さん(右)

脱・筋トレ思考

斉加 集英社新書から『何が記者を殺すのか』を4月に出版しまして、その本をテーマにお話しさせていただけたらと思います。よろしくお願いします。

平尾 神戸親和女子大学の平尾剛と申します。映画『教育と愛国』が今年始まって、すぐに見させていただきました。『何が記者を殺すのか』も読んで、著者の方と直接話す今日の機会をとても楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願いいたします。 

斉加 私も平尾さんの『脱・筋トレ思考』を拝読しました。スポーツと学校現場で起きている出来事とつながっているところがあったものですので、拝読していろいろ感じることがありました。

平尾 早速、映画『教育と愛国』の話ですが、ほんとにおどろくべき事実が盛りだくさんで衝撃でした。道徳の教科書では、挨拶の仕方まで規定されている。道徳が教科化されたのは2018年~19年でしたね(小学校が2018年度、中学校が2019年度)。それに関しては僕も同業同士でよく話しました。これはまずいよねと。教材に登場するのが、パン屋では愛国心が養えないとして、和菓子屋に書き換えられた。
 それももちろん話題になったのですが、もう一つ、『星野くんの二塁打』というのが衝撃でした。少年野球の選手の星野君は、監督からバントの指示が出されていたのだけれど、本人の判断で打ったら二塁打になった。ところが、教科書では勝手なことをするなと、監督に怒られるんですよね。スポーツをやって来た者からすると、「いやあ、自分の判断でタイムリーやからナイスプレーやろ」っていう意見が多かったんですが、それを正しくないと教え込もうとしている。それが挨拶の仕方にまで及んで来たのが、驚きでした。

斉加 野球は指示どおりに動くということが、すごく重視されている世界なんだと経験者から聞きました。ただ、チームのために結果を出したのに、指示どおりに動かなかったということで、責められる星野くんの状況を、社会でも同じだというふうに教えることはおかしいと思いますね。道徳では、「規則の尊重」の徳目がとても重視されています。今の道徳教育の中で小学校だと徳目が20前後あって、その中で一番大事にされている徳目の視点が、この「集団と社会との関わりに関すること」。ここにその規則の尊重や公共の精神、国や郷土を愛する態度とかいっぱい入っていたんです。いかに社会秩序を乱さないように行動するかが重視されているので、私は「子どもたち、大丈夫かな」と思ったんです。

平尾 集団行動も社会で生きていく上では必要ですよね。けれど遊びの部分がないと、いわゆる一糸乱れぬ軍隊になってしまう。だから余白を残すような形で子どもたちには教えないと、息苦しくなってしまうと思うんです。

斉加 「おはようございますと言いながらお辞儀をする」「おはようございますと言った後でおじぎをする」「お辞儀の後おはようございますと言う」。どれが礼儀正しい挨拶ですか?という問題が小学二年の道徳教科書に載っているんですけども、それに正解があるというのがちょっと怖いんですよね。順序まで決められると指導する先生も苦しくなると思います。

平尾 怖いですね。それからもうひとつ、映画を観て衝撃的だったのが、東大名誉教授、伊藤隆さんの「〈歴史から〉学ぶ必要はない」という一言です。しかも育鵬社の教科書の目指すものは「ちゃんとした日本人を作る。(それは)左翼ではない」という。言葉を失いました。

斉加 私自身、伊藤さんの『歴史と私 史料と歩んだ歴史家の回想』(中公新書)という本を読んで、すごく緊張して取材に臨んだんです。やっぱり自分は東大歴史学の権威者だという自信を持っておられるので、言葉の一つ一つが重たいんです。でもその中身が、え、どう受け止めたらいいんだろうって、自分自身動揺している感じが映画の場面の中にも出ているんです。近現代史を研究する上で、伊藤隆さんの論文は避けて通れないと言われています。そういう権威ある歴史学者が、今の学校現場は「自虐史観」「左翼史観」だと言い切ってしまわれるところにこの社会の問題があるのかもしれない。
 その意味で、教育の抱える課題という観点からも平尾さんの『脱・筋トレ思考』を面白く拝読しました。

平尾 筋トレって、基本的には運動生理学の考え方に基づいているんです。いわゆるウエイトトレーニングは、ターゲットを絞って筋肉に負荷をかけて筋繊維を破壊する。破壊されると体の組織は前よりも太く大きく回復するから、その材料のタンパク質をたくさん取って、睡眠を十分にとって成長ホルモンを出す。そのサイクルを回せば体は大きくなるんです。
 だから、ある意味ウエイトトレーニングをやるっていうのは目的意識がはっきりしています。でも基本的に、スポーツでも日常生活でもそうですけど、人は身体を使いながらコツやカンを偶発的に掴んだりするものですよね。その瞬間にバージョンアップするんです。つまり身体の使い方が上手くなる。筋トレはこのプロセスを奪うんですよね。コツやカンを掴む瞬間って、いつ訪れるかわからないから、ずっと試行錯誤を続けなければなりません。でも筋トレは量をこなせばよいし、結果は必ずついてきます。筋トレに慣れてしまうと、結局、目的がないとやる気が出ないということに繋がるんじゃないかと。

斉加 サッカーをやっていたうちの次男坊が高校生の時に、朝練で筋トレしていたんです。みんなで朝集まって筋トレすると、体も大きくなるし楽しい。でも監督さんは、体が重くなるから筋トレをし過ぎるなと言う。その意味が拝読してよく分かりました。

平尾 ラグビーの世界では体を大きくすることが何よりも大事ですから、多分サッカーよりも筋トレをすると思うんです。でも筋肉付け過ぎでパスを投げられなくなって、筋トレ禁止になる選手が各チームには何人かいます。付けた筋肉って重りでしかないんです。これはもう経験的な実感なんですけど、筋トレ後、サッカーならサッカー、ラグビーならラグビー、野球なら野球の動きにちゃんと沿うように、付けた筋肉を使える筋肉に変えていく。それにはちょっとタイムラグがあるんです。

斉加 筋トレはすぐに成長が見えるじゃないですか。そうするとやっぱり目の前の見える成果に飛び付いてしまう心理もすごくよく理解できます。でもコツとか勘とか技というのは実感するのに時間がかかるんですよね。
 今の学校現場を見た時に、テストの点というものにすぐ飛びついてしまう先生たちの思考ともちょっと似ていると思いました。

平尾 まさしくそうだと思います。子どもたちに考える時間がないんです。じっくり自分の疑問点や知りたいことに対して向き合う、そういう脳みその使い方をする時間が奪われているような気がしています
 今やスマホですぐに答えらしきものがみつかってしまいます。学校の教育現場の中もそうですし、私たちの生活環境、特にデジタルメディアのこれだけの普及は僕たちの生活から余白を奪っている。

斉加 そうだと思います。コロナでオンライン授業もなされるよ うになって、いろんな教え方を先生方が模索しているんだけども、やっぱり対面で目の前の子どもたちに向けて授業をするのが基本だと、ベテランの先生たちはおっしゃるんです。ところが、今の教科書の制作過程を取材していくと、どうも文科省は誰でも同じような授業ができる教科書を作りたいんだろうなと。特に道徳とか歴史とか、ちゃんとした日本人をつくるためには、同じような授業をしてくれという圧力が充満しているところに問題を感じます。

平尾 ほんとに怖い。画一化の方向にどんどん向かっているわけでしょ。

斉加 「主体的、対話的で深い学び」と文科省は方針を掲げ、国際社会の中で活躍できる子どもを育成するアクティブラーニングを推進する。一方で、対話的であるべきだという理念は掲げるのに、政治の圧力は政府見解を一方的に押し付けたり、道徳を押し付けたりしているんです。矛盾した課題を押し付けられているので、現場の先生たちは真面目な人ほど苦しくなります。自分で真剣に考えて授業をやろうと思えば思うほど苦しくなっていく。むしろ指示どおりに動いたほうが楽にできるとおっしゃる先生もいます。
 大阪は特に政治主導の教育改革が進むにつれて、勝ち組になろうという教育が子どもを駄目にしている。とにかく勝たなきゃいけないという圧がすごいんだそうです。

勝利だけに価値が置かれる社会

平尾 スポーツでもようやく、今年の4月に全日本柔道連盟が小学生の全国大会を廃止したんです。その背景にあるのがいわゆる勝利至上主義であると。具体的には、親が自分の子どもの対戦相手に罵声を浴びせるとか、審判に文句を言う。それが結局、限度を超えてしまっています。スポーツは勝ち負けがありますから、それを「何であかんねん」っていうのは、ちょっと複雑な理路を必要とするんですけど、要は勝ったもんが偉いっていう考え方があかんということですよね。いわゆるマジョリティー、あるいは勝ち組の言うことが正しいとされるような考え方は絶対良くないと思います。

斉加 小学校の場合はまだ発達段階が途上で、勝ち負けの意味も多分自分ではあまり主体的に感じ取れていない。そんな時に勝たなあかんっていうふうにされて、負けて怒られている子供を見ていたら、こっちがかわいそうになってきてしまいます。

平尾 スポーツは基本的に競争原理から逃れられない。でもそれはある範囲内で収まっていると有用なんです。競争原理を導入した時のほうがやる気になる。で、結果的に全体の質が高まる。

斉加 政治家はそれを切磋琢磨(せっさたくま)と言います。

平尾 でもこれが行き過ぎると、だんだん勝利だけに価値が置かれるようになっておかしくなるんです。
 競争主義の行き過ぎを自己点検するには、チームメイトを「ライバル視」しているか、それとも「敵視」しているかを自問してみればいい。現実的に選手はこの間を揺れ動くんだけど、表向きには絶えずやせ我慢する必要があると思うんです。それを通じて、だんだんバランスを学んでいくんじゃないかと思うんです。ただ、友達とレギュラー争いするというのは子どもにとって、大人が思っている以上に過酷ですよ。

斉加 それで食欲なくなってしまう。翌日試合だというとしょんぼりしちゃうこともありますからね。

平尾 心が波打ちまくっているんだと思います。期待をかける親や指導者は、ついよかれと思って励ますんだけど、それがかえって子どもを追い込むことにもなりかねないですね。だから、まずは大人の意識を変えないといけないと思います。「がんばれ!」という言葉がけを飲み込んで、じっと見守るような態度もまた必要です。チームとして共存する大切さを社会に示すロールモデルとしてスポーツがあるはずなのに、逆ロールモデルになってしまっている。勝ち組は偉いっていう。
 
斉加 ラグビーはルーツや国籍を問わずそれぞれ選手として一つのチームになるというのがとても魅力的ですよね。例えば、『教育と愛国』の映画の中では「日本人というアイデンティティーを備えた国民をつくる」と、政治家のそういう言葉が出てくるんですけど。

平尾 ラグビーは国籍主義じゃないんですよ。よく言われるのは、所属協会主義。例えば皆さんがご存じのリーチ・マイケル選手は16歳の時に札幌に来て、日本の学校に通う。卒業して東海大学に行き、そこからずっと日本で生活している。本人はニュージーランド生まれで、ルーツはフィジーです。
 代表選手になる三つのルールとしては、3親等以内にその国の出身者がいる、その国で生まれた、その国に5年以上住んでいた、このいずれかを満たしたらいい。彼はニュージーランド、フィジー、かつ日本代表の資格もある中で日本を選んだんです。このルールはほんとにいいと思います。
 ただ、ものすごく批判もあったんです。ちょうど僕が代表になった99年の頃、チームには7人の外国籍選手たちがいました。ルールにのっとっているのに、世間、メディアは大バッシングです。助っ人の力を借りてまで勝ちたいんかって。でも「助っ人」ではないんです。国籍が異なるだけの歴としたチームの一員なんです。

斉加 メディアの悪いところですね。

平尾 それが払拭されたのが2015年、南アフリカに勝った時。五郎丸選手が言ったんです。僕らは国籍は違うけれども一つのチーム、日本代表だ。それを分かってください、と。そこからです、今みたいにラグビーっていいスポーツだねって言われ始めたのは。

斉加 私は大阪市生野区で公立小学校や中学校を取材することが多くあって、スポーツが人生を大きく変えることもあるんだというのをその取材の中で感じ取りました。

平尾 ラグビーは昔からコンタクトスポーツですし、青少年の更生スポーツだとかって言われています。ドラマ『スクールウォーズ』の影響もあります。

斉加 そうですね。すごくエネルギーのある生徒って、それをどう使ったらいいか分からなくなる時ってあるんですよね。だから非行に走ってしまったりするけれども、そばにすごくフィットした指導者がいると、そこから急に力を発揮する。ほんとこれは全然数値化できないんですけども、その子のタイミングに合った声掛けとか、関わり合いとか、突き放しができる指導者がいると、すごく伸びると思います。

平尾 学校も一緒ですよね。映画『教育と愛国』に出てきた、社会科の平井美津子さん。この先生が僕の中学時代にいたら、絶対、社会科をもっと好きになっていたなと思いました。授業作りや教え方の工夫ができる物理的な時間を先生に持ってもらうために、教育現場にフリーハンドを与えるべきだと思うんです。
 部活動も、練習時間が多すぎると思います。僕の経験でいうと、神戸製鋼で優勝した年の練習時間は週3日なんです。「だって家族いるでしょ、家族と過ごさなあかんやろ」みたいに言うんです。焦るじゃないですか。こっちは1年目でまだレギュラーにもなってないし。そうすると、チームメイトに誘われて練習日以外に自主的に行くんです。自主的に行った練習って楽しいんですよね。のびのびと前向きにグラウンドに行けるし、すごくいいサイクルでできているんです。教育改革を考える上では部活動をどうするかというのも合わせて考えなきゃいけないと思うから、僕はそこをちょっと懸念しているんです。

斉加 本来、公教育というのはビジネス感覚、つまり目先の損得とか数値による結果とは対極にあるはずだったと思うんですけども、どうも愛国的な振る舞いとビジネス主義というのが相まって、今の公教育に注入されていると私は感じるんです。
 さらにすごく問題だなと思うのは、地域の子どもたちのために教育委員会は役割を果たさなきゃいけないのに、今は文科省から降りてきたものだけを追認する機関になってしまっている。これは深刻な問題だと思います。もともと教育委員会は戦後、政治から距離を取るということで各都道府県の市町村に発足されたのに……。

平尾 その事実を共通理解として、多くの人が知っておかなきゃいけない。

斉加 このせっかちな世の中で、長い目で物事を見ることがみんなできなくなってきているのかなと。教育改革の変化というのは5年後、10年後、20年後、遅れてやってくるんですよね。そういうのを意識していないのかもしれないと取材の現場で思いました。

平尾 短期で利益を上げていかなきゃいけないビジネスマンにしてみれば、「何のんきなこと言ってんの」って見えるんでしょうね。だけど教育って、言うなれば何十年もかけてようやく結果が出てきたりするものであって、ビジネスマンと教育者の中に流れている時間感覚は全然違うと思う。

斉加 見ている視野が違うっていうのもあると思います。
『脱・筋トレ思考』を読んで、ハッと思ったのは、ずっと鍛錬を続けていくと上空からチーム全体が俯瞰的に見えるって書いてらっしゃったじゃないですか。

平尾 僕の場合は、グラウンドで見た時に、例えば20人がこっち向いて立っていたとしたら、それぞれの前後の距離って分からないじゃないですか。それが分かる時があるんです。そういう感覚って観察から始まると思っていて。そのプレーに至るまでに相手や味方がどう動いていたのかというのが、記憶で残っているんです。だから「よく見ている」ってことです。

斉加 私は今回の取材を通して、政治家はなぜ社会をよく見ないんだろうかと思うんです。

もの言わぬことも、十分政治的である

平尾 映画『教育と愛国』を見た時に、それまでは単に危機感や半信半疑で終わっていたのが、今の教育と政治、その関わりというものが可視化されて、つながりました。とても大きな問題だと思いました。そしてお書きになった『何が記者を殺すのか』も読んで理解がさらに深まりました。映画とこの本は両輪としてみなさんに触れていただきたいですね。

斉加 ありがとうございます。拙著はちょっと過激なタイトルになっているんですが、それはまさに危機感からで、教育現場だけじゃなくメディアの現場も窒息しそうな状況に置かれているんじゃないかと思うようになったんです。

平尾 斉加さんの前で言うのもなんですけど、メディアもしっかりしろよってずっと思っていたんです。『何が記者を殺すのか』で、記者がどう殺されていくのかが分かりました。ただ、その中で奮闘されている方がいることは忘れてはいけない。

斉加 沈黙したほうが得だというのも、やっぱり政治の圧なんでしょうね。でも言わないことは今の政治の状況を容認してしまったり、時に強化してしまったり、悪い方向に行くことに加担してしまう行動じゃないかと私は思います。

平尾 スポーツなんか特にそうです。スポーツ選手のくせに政治的発言をするのは良くないとか、アーティストは音楽をやっとれとか言う人いるじゃないですか。そのことがむちゃくちゃ自分の中で忸怩があります。
『何が記者を殺すのか』の中で、沖縄の基地に反対しておられる農家の儀保(昇)さんの発言。「政治的でないことが世の中にあるなら教えてほしい」「モノを言わないことが政治的なんですよ、十分に」とおっしゃっていましたよね。まさにそうだと膝を打ち、溜飲が下がりました。この言葉は、これからずっと大切にしたいと思っています。

疑問やためらいを手放す陰謀論

会場からの質問A 大阪で個人的に英語を教えています。平尾さんのライバル視と敵視についてのお話にすごく共感しました。ある程度はライバル意識とか敵視とかは必要だと思うんですが、やっぱり大阪にいると維新の教育方針に染まって、友だちも勉強を競う上で敵視してしまうことがあります。それは斉加さんから見てどうでしょうか。

斉加 テストの点は学力の中のごく一部だということをもっとみんな言い続けなきゃいけないと思うんです。でも、いわゆる首長と教育委員会の総合教育会議において教育振興基本計画という目標を掲げて、それにひもづいた形で各学校がテストの平均点などの目標を公表しなきゃいけない仕組みになっているから、ビジネススタイルに似ているんです。

平尾 勝ち負けの話ですけど、ライバル視と敵視は区別したほうがいいと思います。そのバランス管理が教育。もう勝ち負けは廃止しようと、運動会で手つないでゴールとか、それは僕は違うと思うんです。それをしちゃうと面白くもなんともない。でも「それはその勝負だけやで、終わったら関係ない」という切り替えがだんだん大人になればなるほどできていく。それがスポーツをする意味だと僕は思います。

会場からの質問B 『何が記者を殺すのか』の中で一番圧倒されたのが、余命ブログの主への取材でした。安倍元首相の事件以降、どうしても統一教会に焦点が当たっていますが、余命ブログもデマを飛ばすカルトじみていて、そういう背景というのは取材の中でどれぐらい感じられたかということをお尋ねしたいです。

斉加 余命ブログの主宰者でいうと、陰謀論に凝り固まっておられるんです。一人カルトみたいな感じで、ご自身の中で考えが固まっている。それはもう明らかに差別主義であって、自分でつくりあげた信仰に近いような闇を感じたんですよね。一方でそれが快楽ともつながっているから、自身の活動の会社名が「生きがいクラブ」なんです。そこに私は人間の弱さを感じました。
 ただ、他者を否定する宗教色を帯びた活動というのは本当の宗教なんだろうか、とすごく思っています。対立や分断を生む原因にもなりうるので、それこそ人類の研究テーマでもあるかもしれないですよね。

平尾 自分に真理がある、他者は悪であると考える二元的な思考、カルトマインドが日本社会に広がっていると思います。疑問やためらいを手放す陰謀論って簡単ですよね。このカルトマインドは、これからの社会を考える上でキーワードになるかなと思いました。

斉加 スポーツで起きていることは学校現場で起きていることとも繋がっていて、この社会で起きていることと全て繋がっているんだというのが今日お話しさせていただいて実感したことです。今日はどうもありがとうございました。

平尾 こちらこそありがとうございました。■

撮影/李信恵
構成/木村元彦

関連書籍

何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から

プロフィール

斉加尚代×平尾剛

斉加尚代(さいか・ひさよ)
1987年に毎日放送入社後、報道記者等を経て2015年から同放送ドキュメンタリー担当ディレクター。担当番組は『なぜペンをとるのか─沖縄の新聞記者たち』『沖縄 さまよう木霊─基地反対運動の素顔』『バッシング─その発信源の背後に何が』など。『教育と愛国─教科書でいま何が起きているのか』ではギャラクシー賞テレビ部門大賞。映画『教育と愛国』で初監督。個人として「放送ウーマン賞2018」を受賞。著書に『教育と愛国―誰が教室を窒息させるのか』(岩波書店)、『何が記者を殺すのか-大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)がある。

平尾剛(ひらお・つよし)
1975年大阪府生まれ。神戸親和女子大学教授。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。京都新聞、みんなのミシマガジン、プレジデントオンラインで連載中。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。

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スポーツと学校現場の今