著者インタビュー

歴史的大事件を生きた人々の青春

『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』 著者インタビュー
安田峰俊

それにしても、なぜそれだけの手間ひまをかけて、天安門世代を取材したのか。

「文化大革命、天安門事件、そしてウイグルやチベットの民族問題、外国人の目にもわかりやすい中国のタブーはこの3つですが、うち天安門事件だけが、人々の評価に開きがある。これはなぜだろうという疑問がありました。

東洋史学の学生だったときに留学してから、中国をたびたび訪れていますが、現地の人と接していると、民主化はよいことだと言う人はいても『天安門の時のような民主化運動をもう一回やるべきだ』とは誰も思っていないということを肌感覚ですごく感じます。

理屈で考えたら、もう一度民主化運動をすべきとも思えるのに、現場の感覚とは明らかに違うのはなぜなのか。この間に広がる大きな懸隔(けんかく)について、言語化されていないのはどうしてなんだろう、という疑問が強くありました」

『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』著者・安田峰俊氏 (撮影:内藤サトル)

本書に登場する主要な証言者のうち、徐尚文という人物だけは安田氏が直接インタビューしていない。彼は天安門事件当時、北京師範大学に留学していた日本人留学生佐伯加奈子(現在主婦)の恋人として、佐伯の回想のなかに登場するのみである。

1989年当時、「大学の講師だった徐は、当時の北京の青年知識人を絵に描いたような、明るく実直な人だった」。ところが佐伯によると事件後は「すっかり性格が変わっていたんです。斜に構えてひねくれて、(中略)昔は陽気でさわやかな人だったのに」、金のことばかり口にするようになったという(本書86頁)。

やがて二人の気持ちの食い違いは修復不可能になり、佐伯は徐と別れ帰国する。「一方で徐尚文は、彼女と別れてほどなく大学の講師を辞め、香港系の外資企業に転職していったようだが、その後は消息が知れない」(同前)。

佐伯を自転車の後ろに乗せて北京の街を案内するような好青年が運動の挫折後、拝金主義者に変貌する。ほろ苦いエピソードである。しかし、徐尚文のストーリーは、この世代の典型の一つかもしれない。

現在、第一線で活躍する50歳代の中国人ビジネスマンの中には、徐のような屈折した元知識人も少なくない。だが、著者はそれを変節とはとらえない。人生を狂わせるような過酷な青春を、莫大な人数が経験したのである。

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八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

プロフィール

安田峰俊

ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員研究員。1982年、滋賀県生まれ。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、運営していたブログを見出されて著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について執筆を行っている。著書はデビュー作である『中国人の本音』(講談社)をはじめ、『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』『境界の民 難民、遺民、抵抗者。国と国との境界線に立つ人々』(いずれもKADOKAWA)など。編訳書に『「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄』(顔伯鈞著、文春新書)など。2018年、『八九六四―「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)で第5回城山三郎賞および第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

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