歴史学者・磯田道史氏は2020年1月に最新著『歴史とは靴である――17歳の特別教室』(講談社)を出版された。高校で行った特別講義の内容をもとに、本としてまとめた一冊だ。
そんな磯田先生のご自宅を訪れ、直接取材した。歴史を情熱的に語る、気さくなお人柄は、テレビで見たイメージの通りであった。
広坂 学者さんにしては、ずいぶん、気さくですね。
磯田 そうですか。好きな歴史をやっているだけですから。そもそも、古文書や遺跡を見て暮らせれば……と始めたことで、学者とか職業とか仕事でやっているつもりはないんです。
そう言って、笑われる。素顔の磯田先生も、どこまでも、自然体な人である。最新著の『歴史とは靴である』(講談社)によれば、磯田先生は、魚類学者のさかなクンとも、親交があるらしい。
磯田 さかなクンも、ふだんから、テレビのままです。驚きました。
広坂 映画化もされた磯田先生の『武士の家計簿』(新潮新書)も読ませていただきました。無味乾燥なはずの江戸時代の家計簿や古文書から武士の暮らしが生き生きと再現されていました。
磯田 ありがとうございます。その『武士の家計簿』、ごらんになります? ちょうど、ここに実物がありますよ。
驚愕した。まことに、気軽に、研究のもとになった一次史料、金沢藩に代々仕えた猪山(いのやま)家に伝えられていたという古文書を、見せてくれたのだ。
1.武士の家計簿
広坂 えっ、実物ですか? 貴重品じゃないですか?
と驚く私たちの前に、磯田先生は、うれしそうに、その古文書を出してくる。
磯田 いや、いいんですよ。史料は保存しながらも公開と活用をしないと。
大福帳のような入払帳(幕末の武家の出納(すいとう)帳)を披露してくれた。 磯田 緻(ち)密(みつ)でしょう? 小さな字で細かく書き出してあります。
広坂 かなり綺麗な形で残っているんですね。
磯田 はい。これ、この部分が献立ですよね。
広坂 ここに書いてあるのは、日にちと物品と数字だけですが、ここから当時の武士の暮らしぶりとか人間関係まで読み解けるのですか?
磯田 小さな兆候、兆(きざ)しから、「これは何を意味しているんだろう」と考える、いわば探偵のような推理力も要るのが歴史研究です。「これとあれが繋がるのか」という発見が大事なんです。
例えば、“お膳○○皿、鯛××匹”と書いてあるとします。そして、そこに名前も書いてある。そうすると、「これは娘が生まれたから誕生祝いをやった時の記録だな」とわかる。その祝いの宴席にどの範囲の親戚が来たのかを、ほかの史料が残っていれば名前から突き止められるわけです。
そこで、「武士の家庭では、子どもの誕生祝いや冠婚葬祭の行事にどのぐらいの範囲の親戚が家に上がり込んでくるのか」が復元できます。皿の枚数や食べた鯛の数でそれを解析していくわけです。
あるいは、お酒の消費に注目すると、どういう時にどんな風に呑んでいるのかもわかる。人数とお酒の消費量を手掛かりにすれば、どのぐらいの規模で、どれだけの時間呑んでいたのか、誰が大酒呑みなのか、といったことまで推測できるかもしれない。
広坂 素人から見ると、この古文書からどうやってそこまでわかるのか、不思議な気もします。史料を読み解くためのコツのようなものはあるのですか?
磯田 それはやはり、好奇心とか問題意識をもって史料を見るかどうかです。
例えば、この「武士の家計簿」の場合、虫歯の治療はどうしたのか、という視点から、歯について支出した箇所をさがして見はじめると、虫歯で誰がどのくらい医者にかかっていたかという分析も可能になります。そうやって史料を眺めると、それまで見えなかったものが見えてきたりするのです。
問題意識=心中の問いかけがなければ、史料に限らず、森羅万象、何を見ても、何も見えてはきません。
プロフィール
歴史学者。1970年岡山県生まれ。国際日本文化研究センター准教授。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授を経て、2016年より現職。著書は、『近世大名家臣団の社会構造』(文春学藝ライブラリー)、新潮ドキュメント賞受賞の『武士の家計簿』(新潮新書)、日本エッセイスト・クラブ賞受賞の『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)、映画『殿、利息でござる』の原作となった『無私の日本人』(文春文庫)、新書大賞2018で第9位入賞となった『日本史の内幕』(中公新書)、『歴史とは靴である――17歳の特別教室』(講談社)、『感染症の日本史』(文春新書)など。