鼎談

いま男性の性暴力被害について、わたしたちは何を語るべきか

熱田敬子×宮﨑浩一×西岡真由美 『男性の性暴力被害』刊行記念鼎談
熱田敬子×宮﨑浩一×西岡真由美

「心のケア」と社会運動

熱田 私は、弱者嫌悪というのは当事者の問題ではなく、社会的なものだと思っています。社会の中に弱者嫌悪があるということに、私たちがどう取り組むかという問題だと考えているんですね。

 「弱者嫌悪」というとセンセーショナルにも聞こえるけれど、実はこれは既存の社会構造を強く反映した言葉でもあります。差別のヒエラルキーが存在する中で、社会全体に「弱い立場になる」ことへの嫌悪感が強くある。だから被害者もそうした感情を持ってしまうわけで、その社会構造自体を早く乗り越えて、被害を受けた人が堂々と「被害者になれる」社会をつくらなきゃいけないんじゃないかと思っています。

 日本軍性奴隷制・戦時性暴力の被害者の証言集会が日本で開かれたときに、台湾の黄阿桃さんという被害者が名前も顔も隠すのを見て、韓国の被害者の方が「なぜ隠すのか、自分が恥ずかしいのではない。日本政府の方が恥ずかしいのだ」と言ったそうです。その次の日から、黄阿桃さんは顔を出して証言することに決めたのだと(柴洋子、2021「台湾の元『慰安婦』裁判支援の中で」『部落解放』804号)。

 そんなふうに、「恥ずかしい」「自分が悪い」と顔を出せなかった方が、出せるようになっていく。それは、周り、社会、そして他の被害者が、その人の証言を受け止める中で起きていくものであって、一人の心の中で完結するプロセスではないんだと思います。

西岡 それはすごく重要なことだと思います。臨床心理をやっている人の中でもいろいろな考え方があるでしょうが、私は被害者へのケアというのは、個人の中だけで完結するものではなく、社会との相互作用によって実現するものだと考えているんです。社会の中のアンコンシャスバイアスや政治のあり方が、個人の心のありように与える影響は大きいんじゃないかと。

熱田 いくら「被害者の恥から加害者の罪へ」と言っても、世の中のまだ多くの人が恥だと思っているのが現状ですよね。そして、日本はその点でもっとも遅れている国の一つだと思います。

 日本軍の性奴隷制や戦時性暴力の問題を考えても、この30年で韓国も台湾も変わった、でも日本は変わっていない。数年前に韓国人被害者の一人だった金福童さんが亡くなったとき、彼女がにっこり微笑んでいる写真を使って、映画スターみたいな等身大のポスターが作られてあちこちに貼られていたことに衝撃を受けました。

 それで言えば、ジャニーズ事務所の性加害問題の被害者についても、ポスターが街に貼られるくらいでないとおかしいし、そういうふうにしていかないといけないと思う。性加害問題への取り組みを、被害者への「心のケア」にとどめてしまってはいけないと思うんです。

西岡 心のケアという言葉は、政府は被害者のために何かやっていますよ、という言い訳に使われている面もあるかもしれませんね。根本的な問題を解決しようとしないまま「心のケアを提供します」ということだけが言われるとしたら、それは大きな問題だと思います。

 心のケアはもちろん必要だと思うのですが、それだけでは足りない。やっぱり社会の変化がなければ、どうしても被害から回復していけないような方はたくさんいるんじゃないかと思います。

宮﨑 心のケアというときに想定されているのは、何らかの身体的な症状だったり、そこから付随して出てくる精神的な症状をコントロールすることによって、その症状を気にならなくさせたり、日常生活を送れるようにしたりすることですよね。そうしたケアをする技術は、ある面では必要だと思うのですが、それだけがケア、あるいは心理的な支援ではないとも思います。

 ただ、ずっと個人へのカウンセリングを学んできた臨床心理士にとって、それを「社会を変える」こととどうつなげていくのかというのは、かなりハードルが高いなとも感じるんです。

リモート参加の西岡真由美さん(左)

被害者を受け止めるのは、心理士だけではない

熱田 臨床にいらっしゃるお2人のお話、すごく興味深いです。同時に私は、被害者を受け止めるのは臨床心理士だけではできない、心理の専門家だけの役目ではないと思うし、それをはっきりと言わなきゃいけないと考えています。

 先ほど言ったように、日本軍性奴隷制の被害者たちがなぜ顔を上げられるようになったかといえば、心理士でも弁護士でも記者でもない一般の市民が──私自身もその一人だと思っていますが──「話してくれてありがとう、それによって社会は変わります、私たちが変えていきます」と言ったからなんですよね。カウンセリングがいらないというのではなく、心理の専門家がすべてを背負うというのは違う。被害者を受け止めて、支えられるような社会を私たちはつくれていないじゃないかというところを問うていかないといけないんだと思います。

宮﨑 お話を聞いていて、どこかで過剰に責任を負おうとしていた自分に気づきました。臨床心理士という資格を持っている以上何かしなければならないという思いが、ある種の押し売りのような姿勢につながっていたかもしれません。

 以前、指導教員に、インタビューのときの態度を「相手を守ろうとしすぎている。向き合い方が家父長制的だ」と厳しく怒られたことがあるんです。指摘されて「本当にそうだ」と思いました。相手を一方的に守ろうとする自分のエゴというんでしょうか。そういう面があることにも今、改めて気づきました。

西岡 私自身、カウンセリングルームで被害者の方と話をしていても、無力感を抱くことがあります。これだけじゃどうしようもない、社会が変わらないと何も変えられない、と思ったりすることもあるんですね。

 だから、この問題を考えなくてはならないのは心理士だけではなく、研究者の方たち、そして市井の方たち一人ひとり。そう言っていただけたことで、すごく勇気づけられた気がしました。

熱田 私が教えている大学で、ジャニーズ事務所の性加害問題の被害者の方に話をしに来ていただくんですが、事前に学生たちに「話を聞く準備ができていますか」と聞いてみたんです。そうしたら、「怖い、でも聞きたい」という声がかなりありました。私はこれは、とても大事な感情だと思っています。

 被害者の話を聞くというのは、自分が信じてきた社会が、自分自身が揺るがされるということですから、怖いのが当たり前なんです。怖くないというのは逆に、感受性がないということで危ない。その上で、怖いけど話してくれるなら聞きたい、受け止めたいという能動的な聞き手がどのくらい出てくるかというのは、被害者にとってとても大事なことなんじゃないかと思います。

西岡 被害者の方が声を上げるって、非常に勇気がいるし怖いことだと思いますが、おっしゃるように一方で聞く側も怖いんですよね。それでも、被害者が勇気を持ってあげてくださった声をしっかりと、それも心理士だけではなくいろんな立場の人が受け止めて、そこから議論を始めていくことがとても大事なんじゃないかと思いました。

宮﨑 先ほど、日本社会がこの30年変わっていないという話が出ましたが、その「変わらない」構造の中で起こったのがジャニーズ事務所の問題なんだと思います。おそらく今もあちこちの会社や学校、部活動などで、似たようなことは起こっているんじゃないでしょうか。今回の『男性の性暴力被害』が、その日本社会の「変わらなさ」について考えられる本になっていればうれしいと思います。

熱田 私は、何十年、何百年かかっても、被害者に正義を返したい。正義を勝ち取れる社会にしていかないといけないと思っています。専門家であるお二人がこの本を書いていただいたことはもちろん重要だし、同時にそれだけでもダメなんですよね。私のような社会学をやっている人間、それからこのお話を聞いて下さった一人ひとりが、社会をどう変えるかということを一緒に考えていければと思います。

撮影/野本ゆかこ
構成/仲藤里美

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関連書籍

男性の性暴力被害

プロフィール

熱田敬子×宮﨑浩一×西岡真由美

熱田敬子(あつた・けいこ)

大学非常勤講師、「ジェンダーと多様性をつなぐフェミニズム自主ゼミナール~ふぇみ・ゼミ」及び「ゆる・ふぇみカフェ」運営委員。専門は社会学、ジェンダー・フェミニズム研究。共著に『ハッシュタグだけじゃ始まらないー東アジアのフェミニズム・ムーブメント』(大月書店)がある。

宮﨑浩一(みやざき・ひろかず)

1988年、鹿児島県生まれ。立命館大学大学院人間科学研究科博士課程後期課程。研究テーマは男性の性被害。臨床心理士、公認心理師。

西岡真由美(にしおか・まゆみ)

1976年、佐賀県生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程研究指導認定退学。臨床心理士、公認心理師、看護師、保健師。

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