日本GPでマルケスが語った「ホンダ不振」の真相

MotoGP最速ライダーの肖像 2022
西村章

戦闘力をライダーに求めるか、開発陣に求めるか

 右上腕手術後の静養から復帰してまだ2戦目のマルケスは、土曜の予選でポールポジションを獲得した。マルケスがポールポジションを獲得するのは、腕を負傷する前の2019年日本GP以来4年ぶり。日数にすれば1071日目のトップグリッドだった。

 この土曜は台風15号の影響により、モビリティリゾートもてぎ界隈は激しい雷雨に見舞われて、予選スケジュールが約1時間遅延した。そのような悪条件下にもかかわらず、あっさりと高いパフォーマンスを発揮してしまうところに、マルケスの天才性がよく現れている。

ポールポジションからスタートしたマルケス(マシンナンバー93)。決勝レースではタイヤ選択の機微で明暗が分かれたが、マルケスは最終ラップに前の選手を抜く力強さを見せた(写真/MotoGP.com)

 日曜午後の決勝レースは、冒頭にも記したとおり4位。復活後の初戦になった前週のアラゴンGPはレース序盤にリタイアを喫していたため、45分間の長丁場を全力で走りきれるかどうかは未知の領域だった。だが、4度の手術を経た右腕の状態は、24周115kmの距離を走りきっても最後まで痛みがなかった、とマルケスは笑顔で振り返った。

「安定したペースで最後までしっかりと走りきれた。右腕はだるさを感じるけれども痛みはなく、レース終盤には前の選手に勝負を仕掛けてオーバーテイクすることもできた」

 ただし、このように安定した走りを発揮できたのは、もてぎはマシンの弱点をカバーできるレイアウトであることと、土曜の雨で体力を温存できたことが大きい、とも述べた。

「だから正直なことを言えば、普通のレースなら4位ではなく、7位から9位あたりの結果になっていただろう」

 今回のリザルトは、あくまでもこれらの要素が自分に対して有利に上手く噛み合ったからこその結果で、腕の状態はまだ100パーセントではない、とマルケスは言う。では、負傷する前の2019年のような走りをいつ頃取り戻せるのか、と問われると、

「腕のレベルとバイクのレベル、というふたつの要素がある」

と説明した。

「腕のレベルは回復していて、現状で自分のライディングスタイルをどれほど取り戻しているかはともかく、今後も走るたびに確実に良くなっていく。筋肉もしっかり戻ってきた。

 一方、2019年のように乗れるかどうかについては、現在は2019年ではなくて2022年で、バイクもだいぶ変わっている。たとえば、前の選手の後ろについて走っていると、エアロダイナミクスなどの影響で追い抜くことがどんどん難しくなっている」

 走行時に前から受ける風圧をバイクの外装で受け止めて整流効果を作り出し、挙動を安定させる技術は、長年、ドゥカティが先鞭をつけてきた。ドゥカティは今も、空力技術の新しいアイディアを次々と精力的に投入している。また、コーナーからの立ち上がりで動力を効率的にタイヤから路面へ伝えるデバイスも、ドゥカティやアプリリアが先んじて導入したもので、これらの先進的なアイディアを日本メーカーは後追いしてきた。

 集団の前を走っていると、前面から受ける風を利用するエアロ効果によって、コーナー進入時にはブレーキングの挙動を安定させ、立ち上がりではウィリーを抑制させることができる。だが、誰かの後ろを走行している状態だと、前のライダーが風を防ぐことになってエアロ効果を利用できない。そのため、挙動を安定させるこれらの性能は期待しにくくなる。また、風の整流効果が生じるということは、その整流の外側では乱流が発生するということでもある。これらの要素が絡み合って、後ろにいる選手はますます前へ出ることが難しくなる、というわけだ。

前を走るマシンの後ろにつけると風の乱流で挙動が乱れる状況を改善しないと、ホンダとマルケスの完全復活は厳しいか? 先頭は優勝を飾ったドゥカティのジャック・ミラー。後続選手を引き離す独走優勝で、表彰台ではブーツの中にシャンパンを注ぎ込んで飲み干す「シューイ」を披露した(写真/MotoGP.com)

 つまり、上記のマルケスの言葉は、レースでいちど後方につくと、前へ出ることが難しくなるのと同時に、これらの技術開発面でいったん後手に回ってしまうと追いかけるのが精一杯で、次に先手を取ることがなかなか難しくなってしまう、ということの比喩的な説明ともいえる。マルケスの言葉を続けよう。

「だから、今のMotoGPではバイクの要素はどんどん重要になっていて、今日のレースでもじっさいに、前のライダーをなかなか追い抜けなかった。後方にいるとエアロ効果を利用できないからバイクを減速させにくくなるし、立ち上がりではウィリーもしやすくなる。以前なら、誰かの後ろについて走るのはもっと簡単だった。今は1周だけならまだしも、レース全周回ではますます難しくなっている。

 だから、ふたつの要素について言えば、『腕の状態はどんどん距離を走り込めば良くなっていくし、バイクについては改良を進めなければならない』ということだ」

 この明快な説明を聞いていると、やはりマルケスこそがホンダのバイク改良に必要な最高の「部品」なのだろう、ということがよくわかる。事実、マルケスが戻ってきたことでホンダはポールポジションを21戦ぶりに取り戻し、レースでも久々の上位フィニッシュを達成した(マルケス不在時のホンダ勢最上位結果は10位)。

 今後、バイクの戦闘力向上を図るためには、いわゆるPDCAサイクル(Plan:計画→Do;実践→Check:評価→Action:改善→Plan→Do→……)の指針を明快に示せるマルケスのような存在はやはり不可欠だ。ただし、この「部品」は驚異的なパワーアップ力を備えている反面、これを欠いてしまうと、途端に陣営の戦闘力が下降してしまう、というのが泣き所だ。

 一方、今シーズン圧倒的な強さを発揮しているドゥカティを見てみると、この「最高の部品」はライダーではなく、技術開発の陣頭指揮を執るジジ・ダッリーニャがその役割を果たしている、と想像できる。だからこそ今回の日本GPように、前戦まで5連続表彰台を続けていたバニャイアが決勝で結果を残せなくても、もうひとりのファクトリライダーであるミラーが圧倒的な強さで優勝を飾ることができる。

 さらに、前戦のアラゴンGPや、そのひとつ前のサンマリノGPで、最新鋭マシンを駆るバニャイアと昨年型マシンのエネア・バスティアニーニ(Gresini Racing MotoGP)が熾烈なトップ争いを演じたことからもわかるように、今のドゥカティはファクトリーバイクに限らず、陣営全体が非常に安定した高水準にある。つまり、陣営の戦闘力を向上させる「最高の部品」は、バイクの内側(ライダー)よりもむしろ外側(技術者)にあるほうが、全体のポテンシャルアップに大きく貢献するのだろう。

 技術者が「最高の部品」である利点は他にもある。バイクの仕様を左右する技術規則等をメーカー間や関連団体で調整する際にも、バイクの特性を理解した〈タフネゴシエーター〉として駆け引きを行えるということだ。ひょっとしたら、MotoGPに参戦する近年の日本企業勢が欧州勢に先手を取られがちなのは、この交渉や駆け引きで先んじられるから、という要素もあるのではないか。

 勝負は、自分たちに有利な土俵をどうやってこしらえるか、というところから始まっている。相手の土俵に乗って戦うことを強いられている状態では、有利な勝負に持ち込めないのは当然だろう。この状態をひっくり返そうと思えば、土俵作りの段階から相手以上にしたたかな駆け引きをするか、あるいは圧倒的な強さを発揮し続けて土俵の形を変えてしまうか、おそらくそのいずれかしかない。

 2023年以降の日本企業勢は、強力無比であることがすでに明らかな欧州勢に対し、強靱な体力としたたかな知力をどの程度発揮して対抗していけるか。これからの2022年シーズン終盤4戦の展開と、クアルタラロ(Yamaha)vsバニャイア(Ducati)vsエスパルガロ(Aprilia)の間でもつれるチャンピオンシップの行方は、それを推し量るための試金石になるだろう。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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