FBIの「スパイ容疑」をでっちあげる!
しかし、トランプ大統領がモラー特別検察官を激しく攻撃するのは、裏を返せばそれだけ捜査を恐れ、精神的に追いつめられているということであろう。
大統領の司法府への攻撃はとどまる所を知らない。5月21日には何の証拠も示さずに、「FBIが2016年大統領選で、私の陣営にスパイを送り込んでいたことがわかった。捜査を要求する」とツイートした。この批判はその数日前のニューヨーク・タイムズ紙の記事がきっかけで、その記事はFBIが2016年大統領選中に情報提供者を使ってトランプ陣営の関係者(リック・ゲーツ元選対副部長とジョージ・パパドプロス元外交顧問)に接触させ、ロシアとの関係をさぐらせたという内容だった。
しかし、その情報提供者は米国人の大学教授で、自分の身元を明かしてトランプ陣営の関係者と面会しており、スパイではなかったという。同紙の記事にも、「スパイが送り込まれた」とは書かれていなかった。また、専門家によれば、法執行機関がこのような情報提供者を使うのはよくあることで、通常はスパイ活動とは見なされないという。にもかかわらず、大統領は「FBIが政治目的でスパイを送った」と激しく批判したのだ。
トランプ大統領が根拠のない主張を声高に繰り返すのは初めてではない。過去にも「オバマ大統領は米国生まれではない」「大統領選中にオバマがトランプタワーを盗聴していた」というような発言があった。
スパイ疑惑のツイートを発した翌日、トランプ大統領は司法省に対し、議会の有力議員や自身の弁護団に向けてFBIの捜査についてのブリーフィングを行うように命じた。
下院情報委員会の民主党の有力メンバーであるアダム・シフ議員はこのブリーフィングに参加した後、ABCの番組でこう話した。
「FBIがトランプ陣営にスパイを送り込んだという“スパイ説”を裏づける証拠は全くありません。大統領がでっち上げ、繰り返し主張するプロパガンダの1つです。大統領は誰々がこう言っていると前置きしてから、こうこうこうだと主張する。以前にも見られたパターンです」(ABC”ジスウィーク“、5月27日)
FBIのスパイ疑惑をでっち上げることで、司法省とFBI、さらにはモラー特別検察官の信頼性を損ない、ロシア疑惑捜査から国民の目をそらそうという大統領の思惑が透けて見える。
同じくブリーフィングに参加した共和党のトレイ・ガウディ議員も「FBIの捜査に問題はなかった」として、トランプ大統領の“スパイ説“を否定した。下院監視委員会の委員長として、オバマ政権の「ペンガジ疑惑」(2012年にリビア東部ベンガジで起きた米領事館襲撃事件をめぐる”情報隠蔽”など)の調査で音頭を取った、共和党有力議員のガウディ氏が大統領に異議を唱えた意味は大きい。
しかし、それでもトランプ大統領は主張を変えることなく、ローゼンスタイン司法副長官とレイFBI長官をホワイトハウスに呼びつけ、FBIのスパイ疑惑の内部調査を行うように命じた。大統領が司法省に対してこのような命令を出すのは極めて異例で、司法省の独立性に反する可能性がある。そのため、同副長官としては命令を拒否して辞任するという選択肢もあったのだが、自分が辞めたら、トランプ大統領の好みの人物が新しい司法副長官に任命され、結果的にロシア疑惑捜査の独立性と信頼性が損なわれる恐れが出てくるということで大統領の要求を受けて、その件を監察総監に調査させるという巧みな対応をした。同氏はトランプ大統領のロシア疑惑の捜査に関わっているので、スパイ疑惑の件は他の人に任せた方がよいとの判断だったと思われるが、この対応は専門家からも賞賛された。
ローゼンスタイン氏はトランプ大統領からいつも厳しい批判を受け、苦しい立場に立たされている。しかし、それに屈することなく、司法副長官であると同時に連邦検察官として、「大統領より法の支配に対して忠実であるべき」とのスタンスを貫いているように思える。このような人物が専横的なトランプ大統領と闘っているからこそ、米国の民主主義と法の支配はなんとか守られているのである。
「ウォーターゲート事件」以来の司法への攻撃
それにしても、これだけ司法府を目の敵にして攻撃する大統領はいないだろう。トランプ大統領はセッションズ司法長官に対しても、彼が「ロシア疑惑の捜査に関わらない」と決めたことを激しく非難している。セッションズ氏は大統領選中に駐米ロシア大使と面会したことを議会に公表しなかった責任を取る形でそうしたのだが、大統領はそれが気に入らなかったようだ。それによって、ローゼンスタイン司法副長官がロシア疑惑捜査の指揮を取ることになり、モラー特別検察官を任命したからである。
トランプ大統領としては、選挙戦中から自分を強く支持してくれたセッションズ氏が捜査の指揮を取っていれば影響力を行使できて(セッションズ氏なら自分の意のままになる?)、今のようにモラー特別検察官に追いつめられることはなかったのではないかとの気持ちがあるのかもしれない。しかし、そう考えること自体、司法省の独立性を完全に無視しているということである。
ブッシュ(子)政権で司法次官を務め、現在ハーバード大学ロースクールで教鞭をとるジャック・ゴールドスミス教授は、このような状況に深い懸念を示す。
「トランプ大統領は1年にもわたってロシア疑惑捜査に関わる職員を虐待し、圧力をかけ、悪口を言ってきました。こんなことは初めてです。自ら司法長官や副長官、FBI長官に任命した人たちを脅し、彼らの人間性に疑問を呈してきた。ウォーターゲート事件以来、現在進行中の捜査に大統領がここまで干渉し、脅しをかけるようなことは一度もありませんでした」(PBSニュース、5月21日)
ゴールドスミス教授が指摘したウォーターゲート事件について少し説明しよう。これは、1972年に再選を目指していたニクソン大統領(共和党)の関係者が民主党全国委員会(DNC)本部に盗聴器を仕掛けようと不法侵入して逮捕され、
大規模な盗聴や選挙妨害、隠蔽工作など一連の疑惑が発覚した事件だ。当初、ニクソン政権の報道官はホワイトハウスの関与を否定したが、その後、政権の幹部が次々に逮捕され、彼らの証言で違法行為が判明したのだ。
ウォーターゲート事件は米国の民主主義の根幹や憲法、法の支配を危険にさらしたが、ロシア疑惑もそれに匹敵するか、あるいはそれ以上の大事件に発展する可能性が指摘されている。ロシア疑惑では物理的にDNC本部に不法侵入していないが、DNC本部へのサイバー攻撃やクリントン候補にダメージを与えるための工作、捜査の妨害などの疑惑が出ている点で、ウォーターゲート事件とよく似ているのだ。
プロフィール
矢部武(やべ たけし)
1954、埼玉県生まれ。国際ジャーナリスト。70年代半ばに渡米し、アームストロング大学で修士号取得。帰国後、ロサンゼルス・タイムズ東京支局記者を経てフリーに。銃社会、人種差別、麻薬など米深部に潜むテーマを描く一方、教育・社会問題などを比較文化的に分析。主な著書に『アメリカ白人が少数派になる日』(かもがわ出版)『大統領を裁く国 アメリカ トランプと米国民主主義の闘い』『携帯電磁波の人体影響』(集英社新書)、『アメリカ病』(新潮新書)、『人種差別の帝国』(光文社)『大麻解禁の真実』(宝島社)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)。