大規模監視社会の到来を他人事としないために 金平茂紀
NSA=米国家安全保障局職員だったエドワード・スノーデン氏が文字通り、命を賭した内部告発を行ったのは2013年6月。テロ対策を理由とした市民に対する大規模監視活動の実態をNSAから持ち出した膨大なデータをもとに告発した。それに基づき欧米の有力メディアが独自の裏付け取材によって大規模監視の実態を報じた。これは民主主義の根源に関わることがらだ、と。
残念ながら日本の反応は鈍かった。筆者の知る限り、日本側が直接スノーデン氏に包括的なインタビューを試みたのは2回だけだ。ジャーナリストの小笠原みどり氏によるものと、もうひとつが本書第1章に収録されている東京大学で行われた自由人権協会(JCLU)70周年シンポジウムにおけるインタビューだ。私たちが毎日のように使っているスマホやインターネットでのコミュニケーションが、政府によって全データが取得されていて、しかもそれが私たちの知らないうちに行われているとは。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』がある意味で現実化していたのだ。
この事態は日本人にとって「対岸の火事」では全くない。そのことが本書第2章のシンポジウムで浮かび上がってくる。日本の公安警察に詳しい青木理氏が、警視庁外事三課によって実施されていた日本国内のイスラム教徒監視を報告している。警察の監視対象となった人物の銀行口座情報の細部までの入手は、金融機関の「協力」なしにはあり得ない。プライバシーはどこに行ったのか。同様の監視はニューヨーク市警によっても行われ、あちらでは大規模訴訟になって制度的な歯止めがかけられたことがマリコ・ヒロセ弁護士の報告で語られる。日本はどうだろう? 米自由人権協会ベン・ワイズナー弁護士の引いたアリストテレスの言葉が重く響く。「人々が政府のことについてすべてのことを知っていること、これが民主主義だ。政府が多くのことを知っているが人々が政府のことを知らない。これは専制政治である」。
かねひら・しげのり ●TBS「報道特集」キャスター、早稲田大学大学院客員教授
青春と読書「本を読む」
2017年「青春と読書」5月号より