『原発、いのち、日本人』 浅田 次郎 藤原 新也 Peter Barakan Lena Lindahl 辻井 喬 豊竹 英大夫 野中 ともよ 想田 和弘 谷川 俊太郎 今井 一 著

すこしでも諦めが頭をもたげたら 落合恵子

 人権週間のただなか、2011年3月11日以降はじめての総選挙(都民には都知事選も)を目前にした曇天の月曜日に、この原稿を書いている。

 ひとは一体、「怒り」をどれぐらい持続できるのだろうか。
「持続可能なエネルギー」について話し合うたびに、わたしはふと、自らをも含めてひとの内なる「怒り」のエネルギーについても考える。むろん個人差はあるはずだが。

「怒り」という言葉に問題があるとしたら、「異議申し立て」のエネルギー、異議から始まって、社会を拓くエネルギーと言い換えることもできるだろう。「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人のひとりとなってから、各地の集会やデモに参加したり、それをテーマとしたメッセージを日々書き続けてはいる。けれど時々、疲労と失望からの、こんな声を受け取ることもある。「何も変わらないのではないのか」。

 確かに、まるで原発事故などなかったかのように政治は動いている。無念なことではあるが、そんなにすぐには変わるはずはない、諦めるのは早すぎる、と考えるわたしがいる。単体の原発そのものだけではなく、この国に根をおろした原発的構造、「原子力ムラ」的体質はいまも存続されている。

 が、本書の中で藤原新也さんがおっしゃっている言葉を借りるなら、「一つの流れ」の元となる「個人個人が小さな祈りもって立ち向かうこと」を放棄してはならない。諦めない、後ずさりしない、けれど疲れてはならない。改めて、自分とそう約束する。

 七夕の短冊に平仮名で「ほうしゃのう こないで」と書いたあの子に会ったのだから。那覇から羽田空港についた途端、「とうきょうは、オスプレイ飛ばないの?」と母親に聞いたあの子に会ったのだから。

「お任せ民主主義」から抜け出すために、諦めが小さく頭をもたげた時、本書を読みたいところから読んでみよう。それぞれに共通する「祈り」と、それぞれの立ち向かいかたの違いもまた興味深い。向かうこと」を放棄してはならない。諦めない、後ずさりしない、けれど疲れてはならない。改めて、自分とそう約束する。

おちあい・けいこ●作家

青春と読書「本を読む」
2013年「青春と読書」2月号より

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