バイブス人類学 第6回

ぐちゃぐちゃなメヘンディとインドの結婚

長井優希乃

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。 

【前回までのバイブス人類学】

文化人類学を学んでいた長井優希乃は、メヘンディ(植物を用いた身体装飾)を描く人々の暮らしを調査するためにインドに渡る。そして、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ描きで三児の母、マンジュリと父ハリシュの家に住むことに。マンジュリの娘、ミナクシとラヴィ―ナとともに路上商をしながら暮らしていくなかで、インドの文化や価値観にぶつかり、打ちのめされながらも、インドでの生活に深く入り込んでいった。

今回はインドの祭りが終わった閑散期と結婚式の儀礼に呼ばれたエピソードから、インド社会におけるメヘンディの持つ「力」を考える。

 

ゆるやかな1日と「paan」

 

2015年11月5日、今日もマンジュリとハヌマーン寺院の広場に座って客引きをしている。

先日、カルワチョートというお祭りが終わって一気に客足が少なくなった。次のディワリというお祭りまでの小休止だ。今日はお客もまばらだし、このあとすぐに仕事を抜けてインド研究者の先輩とパハールガンジに行くのだ。パハールガンジは、バックパッカーが集うたくさんの宿やレストランが集合している場所。彼女はデリーに一時滞在しており、遠く離れた調査地に行ってしまう前に、そこでランチでもしようということになったのである。

仕事を抜けると、パハールガンジのメインバザールにある彼女が泊まっているホステルで合流した。そのままメインバザールを歩き、いつものオクラ丼を食べた後、彼女は携帯電話を買いにコンノートプレースに行かなくてはならないという。コンノートプレースは、私たちがいつもメヘンディを描いているハヌマーン寺院が位置するエリアだ。デリーの中心地であり、イギリス植民地時代に建てられた白い柱の建物が円状に並び、レストランや商店などが集合し、なんでも揃う。コンノートプレースにショッピングに行くなら一緒に行きたいとミナクシとミナクシの友人イェシも合流し、4人でCromaという電気屋に行くことになった。コンノートプレースは色々なエリアに分かれていて、初めての場所だとわかりづらい。しばらく歩いて、やっとCromaにたどり着いた。先輩は無事に、一番安いNOKIAの1600ルピー(約3000円)の携帯電話を手に入れた。調査の間はこういうシンプルな携帯電話が一番使いやすいので、旅先では欠かせない。

 

帰り道、ミナクシとイェシの二人に、美味しい路上フードがあるよ!と言われ、ミナクシがそれを買ってくれた。看板には、「paan」と書いてあるがなんだかわからない。お店のお兄さんに差し出されたそれは、葉っぱのようなものに包まれた何かだった。しかも、火がついている。「え、絶対熱いじゃん!なにこれ!なに!」と言っていたら、お兄さんが「大丈夫だからとりあえず口を開けろ」と言い、私の口に無理やり押し込んだ。

軽くパニックになりつつも口の中に押し込まれたその物体を、「噛んで!」と言われて、考える間も無く噛んだ。その瞬間、感じたことのない匂いが脳天を突き抜け、脳みそに衝撃が走った。不味い。こんなに不味いものは、人生で初めてだ。大体のものは好き嫌いなく食べることができると思っていたけれど、これは、無理だ。ガソリンみたいな味がするし、絶対に食べ物じゃない。反射的に吐き気に襲われた。でも路上で吐いてはいけないと思い目の端にとらえたゴミ箱までダッシュし、口の中のものを吐き出した。なんだこれ。マジでなんなんだ。私の様子を見て、ミナクシとイェシは爆笑していた。「え、なにこれ、マジで不味いんだけど、死ぬかと思った。絶対身体に悪いよね?」と二人にいうと、「大丈夫、大丈夫!」とまた笑った。極悪だ……。先輩が、「なんだこれ?ケロシンじゃない?」とか言うから、余計不安になった。後から調べてみると、これは檳榔(びんろう)を使ったパーンと呼ばれる嗜好品だという。ああ、毒ではなかった。けれど、もう二度と食べたくない……

 

そうして16時くらいにハヌマーン寺院の広場に戻ってきた。それでもまだ客は来ず、暇だったので広場で生まれた子犬を抱っこして写真を撮ったり、寺院の中を行ったりしているうちに、ようやくお客さんが一人来て150ルピー(約250円)の代金をもらった。そのあと、ミナクシとメトロで家に帰った。近所で、ネパール人の夫婦がやっているチョウメン(焼きそば)とモモ(ネパール餃子)とチーズバーガーとコーラをテイクアウトして、家に帰ってハリシュやマンジュリに見つからないようにこっそり部屋で食べた。パーンは最悪だったけれど、なかなか楽しい1日だった。徹夜でメヘンディを描き続けるカルワチョートより、こんなふうにゆったりとメヘンディを描ける環境の方が好きだなあと思いながら、ミナクシとラヴィーナに抱きつかれてミイラのようになりながら眠りについた。

 

これが、お祭りのない時の私たちの日常だ。カルワチョートやディワリのようなお祭りがないときには、あまり広場で一見のお客さんをあてにすることはできない。この日も結局、私がメヘンディを施術したお客さんはたった一人。このような時期には、メヘンディ描きはどのように稼いでいるのか……主な収入源は、「メヘンディ・キ・ラート」と呼ばれる結婚儀礼の出張だ。

 

(2015年11月5日撮影 広場で生まれた子犬を、広場で寝泊まりしている子供達と一緒に可愛がる。ここは彼らの住処)

(2015年11月5日撮影 子犬を可愛がってラジオを聴かせているおじさん)

(2015年11月5日撮影 広場で生まれた子犬を可愛がるミナクシ(左)とミナクシの友人イェシ(右)、とちょっと迷惑そうな子犬)

 

 

あるメヘンディ・キ・ラートの出張で

 

現代のインドにおいてメヘンディが最も重要とされるのは、メヘンディ・キ・ラートと呼ばれる儀礼である。メヘンディ・キ・ラートとは、花嫁花婿にメヘンディを施す儀礼であり、結婚式数日前から前日のどこかの日程で一日行われる。

 

ある日、マンジュリとラヴィーナと私の3人で、結婚のためのメヘンディ・キ・ラートに出張に行った。

出張先はびっくりするくらいお金持ちの家で、お城みたいだ。ディズニーのお姫様が顔を出しそうなバルコニー、屋根からは色とりどりの布が垂らされて飾られていて、今日のメヘンディ・キ・ラートを盛り上げている。

 

(2016年10月24日撮影 メヘンディ・キ・ラート当日のお客さんの家。屋根から垂らされた布が美しい)

 

家に入ると、明らかにお金持ちのマダムが迎えてくれた。花嫁の母親だ。玄関は大ホールのようで、奥にどのくらいの部屋があるのかも見当がつかなかった。なんでこんな豪華な家に私たちが呼ばれたんだろう……?そう不思議に思いながらも、案内された場所でメヘンディを描き始めることになった。花嫁のメヘンディはマンジュリが担当、花嫁の母親は私が担当することになったのだ。

描き始めてしばらく経った頃、怒りの叫び声が聞こえた。

「この汚いメヘンディはなんだ!こんなの結婚式にふさわしくない!違う人にやらせろ!」

マンジュリが花嫁の腕にメヘンディを描き始めてしばらくした段階で、花嫁の母親がものすごい剣幕で怒鳴りはじめたのだ。

 

花嫁の母は、激昂しながら私に向かって、「あなたのデザインは良いから、花嫁の片方の手はあなたがやってくれない?」と告げた。私は、「花嫁のデザインはやったことないし、花嫁のメヘンディはママの仕事だからできない」と断ったけれど、「初めてでもいいから試してみてよ!」と言う。でも、私はマンジュリのメンツを潰して仕事を奪うようなことはしたくなかったので、また断った。すると、ラヴィーナが施術していた隣のおばさんが、「両手で違うデザインになったら変だから、このままママにやらせたほうがいい」と助け舟を出してくれたので、花嫁の母も「そうね」と納得した。

マンジュリは、そんなふうに周りがいくらマンジュリのデザインのことで揉めていても、まったく動じない。マンジュリは花嫁の母親と周囲の女性たちをなだめ、「まだまだデザインが始まってないんだよ。これからデザインが始まるから」と言って、先ほどとは打って変わって明らかにゆっくりメヘンディを描き始めた。さっきまで、あんなに雑に速く描いていたのに。花嫁の母親はずっとそわそわしていたが、途中からは、「ちゃんと縁起の良い柄が入ってるし、これなら結婚式のデザインと言える」と怒りは収まったようだった。明らかに細部が雑だったけれど、なんとかなってしまうものなのか。マンジュリって、すごい。これは一種の才能だと思った。

 

(2016年10月24日撮影 マンジュリが施術した花嫁のメヘンディ)

(2016年10月24日撮影 マンジュリが施術した花嫁。衣装を着てとても美しい)

(2016年10月24日撮影 花嫁の母。メヘンディにはガネーシャなどの縁起の良い柄を入れた)

 

メヘンディ・キ・ラートの参加者たちは、明らかにお金持ちで、キラキラしていた。私が施術したファッションデザイナーだという女性は、ボリウッド女優かと思うほどの輝きを放っていた。しかもとても優しく、日本の話や自分の服の話などいろんな話をした。あまりにも素敵だったので、失敗しないように緊張しながらメヘンディを描いた。どうにかその日の参加者たち全員にメヘンディをやり終えると、その日のパーティーの立食ビュッフェを食べ、お腹いっぱいで、あとは代金をもらって帰るだけだ。

 

(2016年10月24日撮影 輝きを放つデザイナーの女性)

 

この日の売り上げは、7000ルピーだった。もともと打ち合わせしていた値段だ。マンジュリは、「予定より参加者が多かったじゃないか!たくさん追加でやったのにこれだけか!」と花嫁の母に怒る。けど花嫁の母は、「このメヘンディ・キ・ラート全体の値段、ということで頼んだんだから、これで十分でしょ!」と言い返した。しかしマンジュリは引き下がらず、結局、400を交通費として上乗せして7400ルピーをもらって帰路につくことになったのだ。

その売り上げのなかで、花嫁ひとりのメヘンディは3100ルピー。7000ルピーのなかの3100ルピーだから、ほぼ半分は花嫁ひとりのメヘンディに対するお金だ。それに対して、私は14人施術して1200ルピー、その半分の600ルピーをマンジュリからもらった。一人当たり約85ルピーといったところだ。花嫁のメヘンディと、他の参加者のメヘンディだと値段に約35倍もの差があるのだ。

 

オートリキシャでの帰路、「なんだかすごいパーティーだったなあ」と思いながら、あらためて、あんな豪華なパーティーでも動じずに「雑に」メヘンディを描こうとするマンジュリってすごいなあ……と今日のことを思い出していた。私だったら、お客があまりに華やかなので、その雰囲気に合わせてサービスをしてしまいそうなものなのに。

 

(2016年10月24日撮影 夜はキラキラと会場が輝いていた)

(2016年10月24日撮影 準備中の会場で記念撮影をしたがったマンジュリ)

(2016年10月24日撮影 メヘンディ・キ・ラートの花嫁が美しいパラソルの下に座っている)

家に帰ると、ミナクシがいた。ミナクシがラヴィーナと私に、「出張はどうだった?」と訊くので、私はiPhoneで撮った今日のマンジュリのメヘンディをミナクシに見せた。

すると、ミナクシは「げえ!なにこれ!」と言って、画像をズームしながら「全部線で埋めてあるし、なにこの柄!それに男女の顔の模様もひどい。それに線がすごく太い!」「ママはいつもそう。線で埋めて可愛いデザインもあるけどこれは、違う。ただの線だらけ」と、ラヴィーナと二人で言い合った。

そして、「マミー!」とマンジュリを大声で呼び、「なに、この柄?なんでこういう風にしたの?いつもいつも、ママは太いデザインばっかり!」とマンジュリに問い詰めると、マンジュリは「なんで!綺麗でしょ!良いデザインだし花嫁も喜んでいたよ!それに、私は描くのが速い」と反発した。それに対しミナクシは、「速くても、こんなデザインはダメだ!これを見て学んでよ」と、他のメヘンディ描きがやった細くて綺麗なデザインを見せた。

マンジュリは、メヘンディ・キ・ラートでもハヌマーン寺院広場においてメヘンディを描くときと変わらず、儲けを優先した「速く描く」という手法を常に取る。

 

(2016年11月12日撮影 マンジュリがある日のメヘンディ・キ・ラートで花嫁の親族に描いた速く、太い雑な線のメヘンディ)

(2016年10月22日撮影 ミナクシがマンジュリに見せた「細くて綺麗な」デザイン)

 

マンジュリが雑なメヘンディを施術してお客さんの怒りを買うのはよくある話なのだが、たとえ雑だったとしても、花嫁のメヘンディは7000ルピー中の3100ルピー分と、高額を占めている。前述したように他の参加者へのメヘンディの約35倍の値段だ。

なぜ、このような高額が支払われるのだろう?

 

メヘンディ・キ・ラートと女の身体

 

メヘンディ・キ・ラートで花嫁や花婿に施されるメヘンディは、いつも路上で施している「おしゃれ」のためのメヘンディとは意味合いが異なる。一生に一度の儀礼のためのメヘンディ、それがメヘンディ・キ・ラートのメヘンディだ。

メヘンディ・キ・ラートは、結婚の前段階の儀礼であり、メヘンディを花嫁・花婿に描く時間は“shagun (ヒンディー語で「縁起の良いもの」という意味)”と言われる。花婿のメヘンディなどは、手のひらに小さなメヘンディしか施術しないにも関わらず、花嫁と同じように高額な代金が支払われる。

 

北インドでは、お見合い結婚が多く、「家」にぴったりな相手を親が決めるというのがスタンダードな結婚の方法だ。新聞を開くと、「結婚相手募集」のページがある。「弁護士の家族、白い肌、高等教育を受けています」……そんなメッセージ広告が載せられる「お見合いページ」だ。新聞上でお見合い相手を探すなんて変な感じがするが、インターネット上の婚活よりも新聞社に広告を出しているというだけで安心感もあるなあと思った。また、ある日ハヌマーン寺院の広場で、親と親族の数人で、娘のお見合い相手を探すために「プロフィール帳」のようなものを開いてああだこうだ言っている場面に遭遇したこともある。このように家が基本となる見合い結婚のため、婚約から結婚式までの間に結婚する当人同士はたった10分しか会ったことがないなどという話はよく聞く。そのような状況で、婚約中の男女が、「花嫁/花婿」になるという儀礼がメヘンディ・キ・ラートなのである。

メヘンディ・キ・ラート当日は、バンケットホールや自宅に親族が集合する。花嫁側と花婿側はまだ顔を合わさず、別々の場所でメヘンディ・キ・ラートを行う。午後になると親族が集まり、メヘンディ描きが会場に到着すると、すぐに花嫁(もしくは花婿)、そして親族のメヘンディに取り掛かる。花嫁のメヘンディを描くには数時間かかる。その間、親族は歌ったり、踊ったり、喋ったり、食事をしながら過ごす。

どうしてそんなに時間をかけてメヘンディを施すのかといえば、北インドのヒンドゥー教徒の花嫁のメヘンディは、柄が細ければ細かいほど美しいとされるからだ。メヘンディ・キ・ラートでは、花嫁がメヘンディを描かれている間、親族の女性達から、結婚にあたって妻としてどう振る舞うべきかというアドバイスを受けることが慣例とされているそうだ。メヘンディの模様が細ければ細かいほど、メヘンディを描き終えるのに時間がかかる。ゆえに、細かい柄のメヘンディを施された花嫁を見ると、人々は「妻としてのアドバイスを充分に受けた良き女性」をそこに見る。ゆえに、「細かい柄=美しい」という感覚が人々の中に生まれたのかもしれない。

また、結婚式の花嫁のメヘンディには、縁起がいいとされる柄を必ず入れる。好まれるデザインは、花嫁/花婿の顔が入ったデザイン、カイラッシュ(結婚の儀礼で使われる壺のようなもの)、2匹の魚(夫婦を表し多産の象徴)、ガネーシャ(象の顔をしたヒンドゥー教の神様。富の象徴)、孔雀(愛と富、美の象徴)など、様々な縁起のいいモチーフを入れ込む。そして一番重要なのが、花婿の名前のイニシャルを隠して柄の中に入れ込むということだ。初夜にベッドの中で花婿が花嫁の肌を辿って自分のイニシャルを探し名前を完成させる、という慣習がある。それでよく知らない二人でも仲良くなれる、らしい。

新しい家に嫁ぎ、メヘンディが身体に残っている間は新婚の花嫁として扱われるが、メヘンディが身体から消えることによって、「本当の妻」になるそうだ。

 

メヘンディ・キ・ラートのメヘンディは、男女の柄を入れ込み、夫婦の愛を強調する。また、花嫁の身体に一定期間、ほぼ面識のない夫の名前を一時的にせよ文字通り身体に残す。そして、メヘンディを描かれている間に「良き妻になるためのアドバイス」を花嫁は受ける。そして新しい家に嫁ぎ、メヘンディが身体に残っている間は新婚の花嫁として扱われるが、メヘンディが身体から消えることによって、妻となる。

メヘンディを施すことによって、花嫁の身体は、妻としての規範を与えられ、夫の名前を描かれることで、未だよく知らない夫の存在が身体に交じり合う。そうして、夫と不可分な妻としての身体に変容してゆくのだ。

このような例から、メヘンディ・キ・ラートにおいてメヘンディを描くということは妻としての家父長的規範・役割を身体に与え妻の身体に変容させるという行為であるといえる。

このように「身体を変容させる」儀礼であるからこそ、人々はメヘンディ・キ・ラートのメヘンディに大きな価値を置き、高額を支払うのだ。

 

1980年代ごろから始まったインドの経済自由化に伴って、もともと儀礼と家の領域における文脈でのみ行われていたメヘンディが、商業的なものとなり、路上へ飛び出した。現代インドにおいては、メヘンディ描きは出稼ぎでやってきた路上で働く「下層の人々」としての眼差しを投げかけられる存在だ。

しかし、儀礼においては、花嫁の身体に妻としての家父長的規範を与え、その身体を「夫と不可分な妻としての身体」に変容させるという重要な役割を持つ。そのようなメヘンディ描きが持つ身体を変容させる力に対して、報酬が支払われるのである。儀礼でメヘンディ描きが身体変容の力を持った特別な存在となることによって、ビジネスチャンスが生まれ、報酬を得て、メヘンディ描きたちは日々暮らしてゆく。

 

「おしゃれ」としての路上のメヘンディ

 

それに対して、いつもの路上のメヘンディは、儀礼のメヘンディとはちがい、日本の女の子が「ちょっとネイルでも行こうかな」というようなノリで自らの気分を上げる「おしゃれ」としても存在する。少し運気の良いおしゃれという感じだろうか。

そのようにおしゃれとして施されるメヘンディは、女性たちがもっと自分を美しくしたい、装いたい、自らの好きな自分でいたいという欲求を満たすものである。それは、儀礼のメヘンディのような「夫ありきの身体」とは相反する「私の身体」を実現するためにおこなわれる。

模様も、縁起の良い柄を必ず入れなくてはいけないわけではないし、細かい模様にしないといけないわけでもなく、太い塗りの多いメヘンディや様々なアイデアで描き出される。

しかし美しい模様を期待して路上でメヘンディ描きに頼んでも、マンジュリのようなメヘンディ描きにあたると、雑にぐちゃぐちゃなメヘンディを描かれてしまうこともあるのだけれど……

 

伝統的な儀礼のメヘンディと、路上の「おしゃれ」のメヘンディ。女性に家父長的規範を与えることもできるし、女性が自分の身体を実現する手助けもできる。そんな、相反する力を持つメヘンディ描きたち―― 彼女たちは今日も女たちの身体に模様を描き出し、その報酬で自分の生活をつくりだしている。マンジュリのぐちゃぐちゃなメヘンディも、マンジュリが自らの人生、そして他人の人生を送り出してきた重要なしるしだ。

マンジュリは、「将来ユキノの結婚式では私が絶対メヘンディをやってあげるから!」とよく言ってくれる。その時も、マンジュリは雑なメヘンディをするのだろうか?もしいつか結婚するならマンジュリにぐちゃぐちゃなメヘンディをされるのはいやだな、と思いつつ、マンジュリはこうして自らの人生を切り開いてきたんだ、というリスペクトが胸を満たす。

今日も、マンジュリは客と大げんかしている。たぶん、明日も。最初は嫌だったぐちゃぐちゃなメヘンディが、どんどん愛しく感じてきた。

 

(2016年10月21日撮影 マンジュリがお客さんに描いた、これぞ雑!なメヘンディ)

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バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

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プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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