文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。
【前回までのバイブス人類学】
文化人類学を学んでいた長井優希乃は、メヘンディ(植物を用いた身体装飾)を描く人々の暮らしを調査するためにインドに渡る。そして、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ描きで三児の母、マンジュリの家に住むことに。マンジュリの娘、ミナクシとラヴィ―ナとともに路上商をしながら暮らしていくなかで、インドの文化や価値観にぶつかり、打ちのめされながらも、インドでの生活に深く入り込んでいった。
第5回目はインドの衣服事情について。仕立屋に布を持ちこみオーダーメイドで衣服を作ることが一般的なインドでは、多くの人が色とりどりの服を着ている。しかし、マンジュリの娘のミナクシはジーンズを好んで履いている。その理由を辿っていくと、インドの女性たちを取り巻く社会構造が見えてきた。
「イケてる」格好
世界中の光を集めたかのようにキラキラと眩しく、ガラスの当たる音が爽やかな腕輪、チュリ。動くたびに揺れる金糸、銀糸の刺繍つきの色とりどりのやわらかい布。驚くほど鮮やかな色彩を放つ衣装たち。デリーの路地を歩いていると、道行く女性たちの装いが目に飛び込んできて、心臓をつかむ。目に飛び込んでくる色に対して、それを形容する言葉を考える隙もなく、ただただ美しいという感情がひたすら湧いてくる。路地をただ歩いているだけなのに、感覚が忙しい。
インドに住み始めて、私がどうしてもやめられなかったこと――それは衣装を仕立てることだ。
インドでは、布地セットを買って仕立屋さんに持っていくと、自分の好きなデザインで衣装を仕立ててくれる。
市場を歩くと、いろんな布屋さんの軒先にかかっている色とりどりの布地セットが目に飛び込んできて、自分の好きな色やデザインに出会うと一瞬で心を奪われる。その場で買わなかったとしても、ずっと「あの布地セットはもう売れてしまっただろうか……やっぱりもう出会えないから、買いに行ったほうがいいかな」ともんもんと考え、結局は市場に戻り、買ってしまう。出会いを逃すと、もう同じものには出会えないのだ。
しかも、仕立屋さんでは自分にぴったりのサイズで服を仕立ててくれるのだ。私自身、日本に住んでいると気に入った服のサイズがないことがよくある。可愛い服を見つけても袖や裾の長さが足りず、どうにかごまかして着ていたり、試着したパンツが小さくて着られないなどということがざらにあって、我慢することが多い。でも、インドで仕立ててもらう服は自分の身体にぴったりだ。裾が足りないこともなく、上半身も下半身も、私のサイズで一番身体が綺麗に見えるように、いちから作ってもらうことができる。
とくに、トップスは膝が隠れるくらいの長さでボトムスはパンツスタイル、そして首に巻く薄い布ドゥパッタがセットになった「スーツ」(パンジャビドレスともいう)をよく仕立てた。日本では普段着としてはなかなか受け入れてもらえないような、大好きな鮮やかな色を上下で組み合わせる。濃いピンクと、ターコイズブルー。エメラルドグリーンと、紫。そんなワクワクするような色の組み合わせが、インドでは当たり前のように転がっている。そういえば、日本で電車に乗っているときに周りを見回すと、暗い色や淡い色の服が多い。どうしてか、日本だと鮮やかな色を身に纏うと「浮いている」感じがしてしまう。だけど、本当はいつだって鮮やかな色彩を身に纏いたいのだ。
マンジュリの家族と住みはじめてから、私は出かけるときはいつも鮮やかな色彩のスーツを着ていた。せっかくインドにいるんだから、日本ではなかなか着られない服を着たい。スーツは可愛い上に動きやすく、機能的だ。暑いときには首にかけているドゥパッタという布を頭にかけると、日除けにもなる。スーツに色とりどりのチュリやピアスを合わせて、外に出る。スーツを身に纏うと毎日がハッピーに過ごせるように感じた。
対してマンジュリの長女のミナクシと次女のラヴィーナは、毎日ジーンズだった。スーツは、お祭りのときや特別な時しか着ない。スキニージーンズに、ラフなトップス。ジャラジャラしたアクセサリーもつけない。これが彼女たちのスタイルだった。
ミナクシはしばしば私に「ユキノはどうしてジーンズを履かないの?」と訊いてくる。私は「スーツが可愛くて好きだからだよ」と答えるのだけれど、私にとってはどうして彼女がそんなにジーンズにこだわるのかが不思議だった。ミナクシは、私にジーンズを履いて欲しいみたいだ。一緒にショッピングモールや映画館に出かけるときは「あなたはスーツでももちろん素敵だけれど、せっかくショッピングモールに行くのに、どうしてジーンズを履かないの?」と訊いてくる。私はもともと日本でもスキニージーンズは履かないので、正直、スーツの方が下半身は締め付けられないし、暑くないし、楽だった。
そういえばミナクシはよく、マンジュリの妹のグディヤ叔母さんの装いを揶揄していた。グディヤはいつも派手な色のスーツを着て、金のアクセサリーをジャラジャラつけ、派手なキラキラの大きいビンディ(眉間に貼るシール)をつけている。そして、ときには結婚式で花嫁がつけるような鼻と耳を結ぶピアスまで身につけていた。ミナクシはそんなグディヤの装いを「田舎から出てきた人みたい」などと、私にこっそり耳打ちしてきたりしていた。彼女はあまり、派手な装いは好きじゃないようだ。私はミナクシの言う「田舎者」の感覚がわからなかったし、グディヤの装いは確かに派手だけど、いかにも「インドの女性」という感じがして美しいなと思っていたので、ミナクシのその反応が興味深かった。たしかに、インドに来てから出会ったいわゆる「ハイソサエティ」な感じがする女性たちは、みなシンプルな装いをしていた。スーツを着るにしても、質の良さそうな柔らかいコットンのシンプルなスーツで、ビンディは小さな黒い点だけ。そんなシンプルな装いは、確かになんだか「都会的」な香りがするのだった。
ある日、ミナクシとミナクシの恋人のヨギーと、市場におでかけすることになった。その日は、私が沢山持っているスーツのなかから、ミナクシが選んだスーツを着て出かけた。そのスーツは刺繍などが入っているゴージャスなスーツではなく、薄いプリント地の生地の軽いスーツだった。ミナクシ曰く、このスーツは可愛くてお出かけにいいらしい。私にとってはどのスーツも可愛いし、なんなら刺繍が沢山入ったゴージャスなものの方が好みではあるのだが、ミナクシのチョイスに身を委ねることにした。
ヨギーとは近所のマーケットを抜けた先のオートリキシャ乗り場で待ち合わせをして、一緒にオートリキシャに乗り込んだ。もちろん、家族にはヨギーも一緒に行くということは内緒だ。
最初の行き先はパハールガンジだ。私の提案で、バックパッカー向けの「日本食風」レストランに行ってランチをすることにした。そこで目玉焼きが乗り醤油がかかったオクラ丼を頼んだ。私にとってこのオクラ丼は、インド料理に疲れた時にこっそりひとりで食べに来る、オアシスのような存在だった。ちゃんとした日本食レストランに行くと結構な値段がするのだが、このオクラ丼は150ルピー(約250円)で食べられる。二人がずっと日本料理を食べてみたいと言っていたので、とりあえずここに連れて来てみたのだ。いざオクラ丼が運ばれてくると、ミナクシは美味しい!と言って食べていたが、ヨギーの顔は少し曇ったように見えた。手も止まり、周りをキョロキョロし始めた。あまり好きじゃなかったようだ。「俺はインド料理が大好きだ……」と言いながら、オクラ丼を残していた。手持ち無沙汰になったのか、ヨギーがなぜか私に腕相撲を挑んできた。私も腕相撲には自信があったので、喜んで受けた。「3、2、1、GO!」 プラスチックの頼りないテーブルがたわむ。力は拮抗している。ヨギーが両手を使い始めた。ずるい!ズルをして勝とうとするヨギーを見て、笑いながら近くのおじさんがジャッジに入ってくれた。結局ズルをしながらヨギーが勝った。なんだかとってもおかしくて、みんなで爆笑した。
そんな楽しい雰囲気のままコンノートプレースの近くにある露天商たちが集まる市場に向かった。道中、道端の商品を見てあれこれ言いながら歩いていると、路上フードをヨギーがおごってくれたりした。ヨギーがおごってくれたのは、パニプリという、小麦粉を薄く伸ばして揚げた球体の殻の中に美味しいスパイシーな水を入れてわんこそばのようにどんどん食べる、という路上スナックだ。口に放り込むと、サクッとした殻の中から水が口の中に広がって、それがびっくりするほど美味しい。ひとつ10ルピーでお手軽な路上スナックだ。ひとつ食べると美味しくて止まらず、もうひとつ、もうひとつ、とみんなで何個もお代わりをした。
二人と街をぶらぶらして買い物に行くのは、インドでの家の暮らしや、広場でメヘンディを描いているときと違って「お出かけ」をしている感じがしてとっても楽しい。一人で歩くのも楽しいけれど、二人と歩くと埃っぽいデリーの街がより魅力的に思える。デリーの若者ってこうやって遊ぶんだ、ということがわかって、なんだか嬉しかった。
しばらく歩いてたどり着いた露天商たちの店が連なる市場は、いろんな商品が綺麗に天井すれすれまでディスプレイされている。アクセサリーばっかり売っているお店や、女物のセカンドハンドであろう服の店、絶対にオリジナルではない「google」とか「facebook」などの怪しいロゴが印字されたカバンたち、そしてジーンズばかり売っている店があった。下から上まで所狭しとハンガーにかけられたジーンズたちを、お客さんたちは指差して選んでいる。
ふと思い立って、私はそこで、「一本ジーンズを買おうかな」と二人に言った。なんだか、こうやってデリーの街を二人とぶらぶら歩いたり、遊びまわるには、スーツでいるよりジーンズの方が似合う気がしていたのだ。ミナクシとヨギーは「ええ!最高!ユキノ、絶対に似合うよ!絶対にいいよ!」と私がジーンズを買おうとしていることに大喜びだった。やっぱり、ジーンズのほうが、「イケてる」らしい。日本と違って、サイズもたくさんある。所狭しと掛けられたジーンズの中から、紺色のスキニーデニムをひとつ選び、買った。
家に帰って履いてみると、暑くてピッタリして動きづらい感じはするが、インドの「イケてる」若者になった感じがして、すこしワクワクした。ジーンズを履いた私を見て、ミナクシは「ユキノ、やっぱりジーンズが似合うじゃん!これからはそれで出かけよう!」と嬉しそうだった。
文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。
プロフィール
「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。