文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。
【前回までのバイブス人類学】
文化人類学を学んでいた長井優希乃は、メヘンディ(植物を用いた身体装飾)を描く人々の暮らしを調査するためにインドに渡る。そして、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ描きで三児の母、マンジュリと父ハリシュの家に住むことに。マンジュリの娘、ミナクシとラヴィ―ナとともに路上商をしながら暮らしていくなかで、インドの文化や価値観にぶつかり、打ちのめされながらも、インドでの生活に深く入り込んでいった。
今回はハヌマーン寺院広場での路上メヘンディ描きと警察の攻防から、「美しい都市」と排除の関係を考える。
「はあ〜暇だなあ」
2017年4月10日、この日もいつもどおりハヌマーン寺院広場でメヘンディの客を待っていた。特に祭りもなく、人通りも少なく、とにかく暇である。手相の占い師のおじさんも、だらりとした姿勢で客になりそうな人が通るのをただ待っている。あまりに暇なので、マンジュリの店の向かい側に店を出している若いメヘンディ描きのシェカールの隣に行って、たわいもないおしゃべりをしていた。
すると、急に皆がざわざわして慌てて道具やアルバムをしまい始めた。あたり一面に不穏な空気が流れている。
誰かが叫んだ。
「警察が来たよ!」
シェカールは、みんながバタバタしている中、のんびりしている。私は状況をよく飲み込めていなかったが、みんなが道具を片付けているので「シェカールも片付けないと!」と言ったら「大丈夫、大丈夫。この小さな棚くらい平気だよ」と返事をするだけで動かなかった。
警察の集団が向こうから歩いてくるのが見える。私は何が起こるのか記録したかったので、少し離れた場所からスマートフォンでムービーを撮り始めた。
警察官たちがメヘンディ描きたちの前を通り始めると、いつもよくしてくれるおばちゃんメヘンディ描きのラジニは警察を睨みながら「こんなふうにされたら私たちは仕事ができないだろう!」と言った。
警察の動きを追ってムービーを撮っていると、なんとさっきまでおしゃべりしていたシェカールが警察に腕を掴まれているではないか。先ほど「このくらい平気だよ」と言っていた棚も、メヘンディの写真が入ったアルバムも、警察に運ばれようとしている。シェカールは腕を掴まれながら懇願しているが、それも虚しくそのまま連れて行かれてしまった。シェカールが連れていかれる様子を撮っていると、警察の一人が私の方に向かってきた。警察は「録画しているのか?なぜ録画しているんだ!」と言った。私は「ただ何が起こったのかと思って」と慌てたが、警察は、「これ以上録画するな」ときつい口調で私に言った。
警察が去った後、ラジニが、「こっちにきて!みんな、ユキノがムービーを撮ってたよ!見て!」とみんなを集めた。顔馴染みのメヘンディ描きや占い師たちが続々と集まってきてぎゅうぎゅうになって、みんなで私の携帯の小さな画面に釘付けになった。
動画には、しっかりとシェカールが連行される様子が写っていた。
「ウォー!ちゃんと撮れてるよ!」
皆、悲しいのか嬉しいのか、大盛り上がりだ。
占い師が、「よくやった!インターネットに動画をアップしろ!モディの電話番号知ってるか?モディに送れ」と叫んだ。モディとは、インド首相のナレンドラ・モディである。モディの電話番号など知るわけがない。なんなら警察はモディの指示で動いているのでは……と思ったが、とにかく、「モディの電話番号は知らない」と言うと、占い師は「誰かモディの電話番号知らないか!」と大声で周りに叫んだ。みなは「知るわけないだろう」というふうに占い師を白い目で見る。
マンジュリの隣でメヘンディを描いているサクントラは「サンディ(息子)に動画を送って!」と言った。いつもはマンジュリとサクントラは商売敵なのだが、この時はなんだか団結していた。
それに続いて皆、WhatsApp(メッセージアプリ)で動画を送ってくれ、と私に言った。警察のひどい行いの証拠として取っておきたいらしい。
私がみんなに「シェカールは一体どうなるの?」と訊いたら、メヘンディ描きのジョーティが、「シェカールは警察署に連れていかれて、罰金5000ルピー払わされるらしいよ。道具も全部没収されるらしい」と言った。ああ、かわいそうなシェカール。
3日後、用事を済ませて夕方頃にハヌマーン寺院に行くと、シェカールが帰ってきていた。
「シェカール、大丈夫だった?!」と訊くと、警察署で道具を全部没収されて、500ルピー払わされたそうだ。話に聞いていた5000ルピーよりだいぶ安いが、500ルピーだってメヘンディ約10回分の儲けだ。メヘンディ描きにとっては大金である。シェカールは、「人生はよくない、人生はよくない」と繰り返して言った。これからまた道具も一から揃えないといけないのか。それは、人生に失望してしまうよなあ、と同情した。
2016年10月に滞在した時には、こんなことはなかった。どうしてこんなに強制的な排除が行われるようになったのだろう?
隣の店のメヘンディ描き、サンディは「コンノートプレースを『スマートなシティ』にするというのを新聞で読んだ。その一環だと思う。ハヌマーン寺院のラジュという彫り師がひとり、薬の売買をしていた。通行人の誰かが写真を撮って通報したんじゃないかな。薬の売買をしている場所は怖いでしょう。物乞いから彫り師になったやつが、薬の売買をやっている。メヘンディ描きたちは悪くないけど、彫り師でそういうやつがいるから、この場所がそういうふうに見られてしまうんだ。薬の売買とかそういうのを全部排除したら、メヘンディ描きも戻って来れるかもしれない。今、警察は、メヘンディ描きに対して、広場でやるんじゃなくて賃料を払って正式に店舗を借りてメヘンディをやれ、と言っている」と説明してくれた。くわえて、
「もうすぐ、すぐ近くに『ガーンディー・チャクラ・ミュージアム』がオープンするから、ナレンドラ・モディ が来てスピーチをするんだ。そのために、メヘンディ描きが排除されているんじゃないか。モディが帰ったらまたお店をやれるようになるんじゃないかな」とも言っていた。
ミナクシの兄のアマルジートも、「新聞で読んだけど、警察はコンノートプレースを『美しく』したいんだ。そのために、俺たちは追い出された。チャイ屋も、カチョーリ屋も、みんな追い出された。抵抗する奴は力づく、そうじゃないやつはのこのこ帰るしかない。今まで全くこんな事はなかったのに……」と嘆いていた。
NDMC(ニューデリー市行政委員会)は、2016年10月に”Smart City Project”と銘打って、190億ルピー(編集部註:約335億円)ものお金をかけてコンノートプレースにCCTVカメラを設置したりWi-Fiをどこでも使えるようにしたり、渋滞や路上駐車の整理等を行って「アーバンでスマートなシティ」にする開発計画を行うことを決めた[2016年11月3日付 THE HINDU “CP, Khan Market to be ‘no-vehicle’ zones under Smart City plan”]。
そのなかで、法的な手続きを取らず路上で自分たちだけでビジネスをしているいわゆる「インフォーマルセクター」のメヘンディ描きたちは排除の対象になった。「スマートで都会的な美しい都市」にはそぐわない存在だとみなされたのだろう。
ビジネスをするならば、きちんと店舗を借りて賃料を払い、売上を申告しろ。そうして、都市として整頓されたものにしてゆきたいのである。メヘンディ描きたちは月にいくらかをNDMCに支払ってこの広場でメヘンディをしているというが、それはやはり正式なものとはみなされないのだろう。
「美しい都市」とは一体どういうことなのだろう?
東京では、東京オリンピックの前からとくに、ホームレスたちの住む場所の多くが「美しく整頓された」施設に変わったり、トゲトゲのアートになったりした。ベンチは寝そべれないように間に手すりがつけられ、巷では「排除ベンチ」と呼ばれている。
「美しい都市」……路上生活者がいないこと?勝手にビジネスを始める労働者がいないこと?
道路が綺麗に管理され、そこにいる全ての存在が登録され、整頓され、管理される都市。それが「美しい都市」なのだろうか?
2023年5月に5年ぶりにインドを訪れ、久々にハヌマーン寺院に向かった。
インドから離れても、メッセージのやりとりで「まだ排除は続いている」とメヘンディ描きのみんなからしばしば聞いていた。だから、ハヌマーン寺院の様子がガラリと変わっていたらどうしよう……と心配しながら向かった。
到着すると、拍子抜けするくらい変わっていない。変わらない顔ぶれのメヘンディ描きたちが、変わらず路上でパラソルを立ててメヘンディを描いていた。最後に訪れた5年前と景色が変わらなさすぎて、少し笑える。
「最近も警察は来るけど、大丈夫、大丈夫」と言いながら、警察をかわし、はぐらかし、ずっとビジネスを続けているのだ。さすが。この人たちを「整頓」しようとしても無理だよなあ、と思った。
マンジュリのメヘンディデザインのアルバムを見ると、私がマンジュリの店で働いていたときに取材を受けて新聞に載った時の切り抜きが入っていた。お客さんに功績として自慢し信用に繋げるらしい。私の切り抜きを入れてくれているのも嬉しかったし、それをお客さんに自慢するというのもマンジュリらしい。今日も暇そうだが、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、客を待つ。観光客が来たら当たり前のように10倍の値段をふっかけるし、警察が来たらなんでもないよという顔をして道具をしまうのだろう。そんなたくましいメヘンディ描きたちの生き様に、ある種の「美しさ」を感じる。
そういえば、マンジュリは若い頃、今と同じようにハヌマーン寺院広場でメヘンディを描いていて、同じように取り締まりに来た若き警察官のハリシュと恋に落ちて、結婚したんだったっけ。さすがだ。
もしかしたら、「整頓」している張本人のように思える警察官たちも整頓している「ふり」をしているだけで、実は自分よりもっと大きな力をかわしながら、現場でそのカオスを楽しんでいるのかもしれない。
「整頓」とは真逆のカオスが渦巻く大都市ニューデリー。
人々は路上に出て、整頓しようとする力をかわし、はぐらかしながら、ハミ出したり引っ込んだりしながら生きている。
そんな場所では、自分と他者や他のものとの関係性が意図せず絡み合う。物乞いの人たちにお金をねだられたり、メヘンディ描きに声をかけられたり、道端で子犬が生まれていたり、風船売りの子供がなぜか一つ風船をプレゼントしてくれたり。街を歩いていても、5分で到着できる場所のはずなのに20分かかったりする。面倒臭いのだけど、不意に絡み合う関係性の中で自分では想像し得なかった宝物に出会えたりする。
「整頓」され合理化された都市は、たしかに便利だ。目的地までの最短・最速の行き方ができる。でも、なんだか「生きてる感じ」が薄い気がしてしまう。ハミ出した人がいてもいいじゃん。というか、すでにいるのに、それを認めない社会は果たして「美しい」のか?
「整頓」された社会からハミ出した人々が生きる「余白」や「スキマ」のある都市。流動的で、個々のアイデアが渦巻くカオス。そんな都市に、私は言葉にできない「美しさ」を感じてしまうのだ。
(次回へ続く)
文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。
プロフィール
「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。