都会からは遠く離れた北海道別海町の地で、羊飼いを営みながら小説を書き続ける作家、河﨑秋子。大自然の中、日々生き物と向き合うが故に「生死」への鋭敏な感覚を研ぎ澄ませた彼女は他方、小説家として自分とは180度、境遇の異なる他者へも思いを馳せる。「殺生」の意味を問うプラスインタビューの最終回、「人間と自然との関係」を問う。
人間を殺しうる存在が、人間を自由にする
──河﨑さんの作品を読みながら、自然写真家で、エッセイストでもあった星野道夫さんのことが何度か頭をよぎりまして。当時、日本ではほとんど知られていなかったアラスカの原野を写真と文章で伝えた星野さんも、最後はヒグマに襲われて非業の死を遂げましたよね。
あ、学生時代から、よく読ませてもらっています。
──好きなんですか?
はい。写真もいいですけど、文章もものすごくシンプルなのに、とても深い。こんな言い方をしたら失礼かもしれませんが、自分と浸透圧がすごく似ている気がしました。
──浸透圧?
自然に対する濃度が高いけど、他者や自然との相互性もあるんですよね。表現の方法とか、アウトプットは異なりますが、「あ、この人の物事の受け止め方は共感できることが多いな」と。物事をインプットする時に、通過するフィルターの粗密の度合いが近いんだろうな、というある種の信頼感というか。なおかつ星野さんのフィルターは段違いで美しい。世の中をこういうフィルターで見ている方がいるんだということが、ものすごく衝撃的でした。
──星野さんは、ヒグマに襲われて命を落とすのですが、生前、人がヒグマに襲われたという話を聞くと、自分はものすごくホッとするんだという話をされていまして。強烈なインパクトがありました。
真意をねじ曲げて受け止められたら、今だと炎上しかねない発言ですよね。でも私もホッとしますね。人間より強い生き物がいるということにホッとします。このあたりでもヒグマの目撃情報はしょっちゅう聞きます。私は幸いにも、道路をジョギングしているときに、道を横切ったのを見たような気がする……という程度なのですが。でも、裏の林に今いるかも……あ、今はまだ冬眠してますけどね、夏場だったら、裏の林を普通に闊歩しているわけです。人間を殺しうる動物が存在するというのは、人間をものすごく自由にしてくれると思うんです。
──自由というのは?
逆説的な言い方になりますけど、人間以外の動物に対して、敬虔な気持ちを持てるじゃないですか。人間が地上でもっとも強い動物になってしまったら、人間はものすごく傲岸になるし、自然への想像力も失われてしまうと思うんですよね。そういう意味で、恐怖を感じる野生動物がいるということは、自由になれることなんだと思います。
プロフィール
羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊飼育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ緬羊を飼育・出荷。2012年『北夷風人』北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。2014年『颶風の王』三浦綾子文学賞受賞。翌年7月『颶風の王』株式会社KADOKAWAより単行本刊行(2015年度JRA賞馬事文化賞受賞)。最新刊に『肉弾』(KADOKAWA)。