2年前に上梓した『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』が繰り返し増刷される話題作となり、同時期に公開された初監督作品の映画『教育と愛国』では日本ジャーナリスト会議大賞を受賞した、毎日放送の斉加尚代さん。ベルリンでの『教育と愛国』上映会に招かれ、現地の様子を見ていま感じることは? ドイツと日本と比較しながら、衆議院選挙が終わったばかりのタイミングでの緊急寄稿です。
上映後に「日本は大丈夫なのか」
この夏、ベルリンを再訪した。1987年、初めてドイツを旅した時、ベルリンは東ドイツ(DDR)にあった。東西を分断する155キロにわたる高い壁が存在し、壁が建設された1961年当時やDie Mauer muß weg! (壁を取っ払え!)と落書きされた壁の写真セットを西ベルリンで購入。東の検問所を渡ろうとして東ドイツ兵から「写真は全て没収だ!」と迫られた。が、泣きついて死守したことが懐かしい。37年ぶりのベルリン。激動する歴史が刻まれたこの街で考えたこと、感じたことを書いてみたい。
今回の滞在中、拙作ドキュメンタリー映画『教育と愛国』(2022年5月公開)のミニ上映会が開催された。MBSベルリン支局(2017年閉鎖)で長く活躍していた現地メンバー池永記代美さんが企画してくれたものだ。
本作は、教科書や教育現場に対する政治介入の実態を明らかにし、日本に不都合な歴史を消し去りたい政治勢力を描くとともに、次の世代へいかに歴史を継承すべきかをテーマにしている。圧力に晒される学校で踏ん張る教師の姿も伝えている。
住宅の広いリビングに在独の記者や女性たち、ドイツ人の日本学研究者らが参加してくれた。上映後「日本は大丈夫なのか」と重苦しい雰囲気になる。日本の公教育について、自由にモノが言えなくなっている職員室の様子などを私が伝えると、ベルリンに暮らす参加者のひとりがため息まじりに述べた。「シュタージがいるような世界ですね」。シュタージとは、国家に盾突く考えを封じる旧東ドイツの秘密警察、国家保安省を指す。シュタージ本部建物はいま博物館になっているが、国家に忠誠を誓ったエリート職員がいかに盗聴や監視を繰り返し、国民に密告を奨励して膨大な個人情報を収集していたかが伺える。亡命者や反政府的な人物を標的にして虐殺する活動も行った。
そんな組織は日本に存在しないのに、自由に意見表明すると叩かれるような「圧」に覆われている。子どもたちも「圧がしんどい」と学校でよく言うそうだ。その「圧」はどこからきているのか――。
長く伏せられていた収容所における性暴力
ベルリンの街は、歴史の宝庫である。600万人が犠牲になったホロコーストの大罪を問う「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(2005年完成)は、観光客で賑わうブランデンブルク門の近くにある。地下の情報センターは史料展示だけでなく、ひとりひとりのユダヤ人の名が静かに読みあげられてその尊厳に祈りを捧げる部屋もある。
ヒトラーが実権を握った1933年創設の国家秘密警察「ゲシュタポ」本部跡地には、市民の保存運動とベルリン州の取り組みで2010年に歴史博物館「テロのトポグラフィー」が完成した。トポグラフィーは地形図という意味だ。政治的目的を達成するため暴力で恐怖を与える「テロの組織図」と言い換えたらよいだろうか。日本語のオーディオガイドがあり、国家犯罪の恐ろしさを政府要人の写真や経歴、公文書から詳説し、同性愛者やシンテイ・ロマの人々なども迫害された経緯を示している。教師が引率する高校生グループや家族連れでごった返していることに胸打たれた。
「T4作戦」犠牲者を追悼するモニュメントは、さらに新しく10年前に作られた。街の目抜き通りティーアガルテン通り4番地にある。ナチスがポーランドへ侵攻(1939年9月1日開戦)したのと同時に障害のある人たちを「安楽死」させる計画を立てた本部があった。「労働能力が欠如」し「役に立たない」と国家がみなす障害者たちを次々殺害したのである。家族を奪われ悲嘆にくれる遺族に対し、火葬費用の請求書が送り付けられた。
「T4作戦」モニュメントに隣接するのが、ベルリンフィルハーモニーのコンサートホール(1962年建設)である。この追悼モニュメント10周年の式典が9月2日ベルリンフィルのホールロビーで行われた。ご遺族と障害者たちが大勢参列する。大統領をはじめ追悼スピーチの合間に障害がある人とない人が共に演奏する調べに耳を傾けた。高いホールの天井へ美しい音色が響き渡る。大きな悲劇を生んだ作戦の地に音楽の殿堂が存在する。他者の存在を否定する人間の醜さに対し、協働する人間の崇高さが同居する。その空間に自分も身を置いて、底知れない畏怖と静かな感動に包まれた。その重層的な感覚は初めてのものだった。
滞在中、さらに印象深かったのは、「ラーベンスブリュック強制収容所」跡地である。ベルリンから北へ80キロ、小さな町ラーベンスブリュックの集落を通り過ぎてバスを下車。美しい湖と森に面した広大な敷地にユースホステルもある。湖の向こう岸に集落の教会が小さく見えるが、背後には狂気の遺産が残されている。「反社会的」「テロリスト」とみなされた女性たちが各地から連行され、労働を強制され、人体実験の暴力にさらされて命を落とした。23か国、12万人以上の女性たちがいた収容所。監視の建物や銃殺刑の通路、レンガ色の高い壁、死体焼却場、ガス室の跡、この地で人生を閉じたカフカの恋人ミレナ・イェセンスカを追悼するプレートなどの数々……。
1939年の設立からソ連軍によって解放される1945年まで、収容者のほぼ半数が犠牲になった。解放時は遺体が積みあげられていたという。本部だった建物などが記念館になり、スケッチや手紙、手芸品など遺品が飾られている。そのひとつ、極小の「かご」はサクランボのタネを削ったもの。ペンダントトップのような手提げのかごにハートが彫られている緻密さに驚愕し、作り手の心情を思って釘付けになった。女性たちの壮絶な人生と過酷な中にも見つけた小さな喜び。
絶句したのは収容所で「選別」された女性たちが他の10か所の絶滅・強制収容所に送られ売春を強いられた史実の展示である。相手は兵士ではなく囚人たちだ。政治犯である男性囚人の労働効率をあげるため、女性が褒美としてあてがわれたのだ。これらの性暴力被害はドイツでも伏せられ、1990年代に証言が掘り起こされた。亡き女性たちに捧げるオブジェもある。不都合な歴史を継承し、記憶を呼び起こす空間がこうして存在する。
プロフィール
1987年毎日放送入社。報道記者などを経て2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。企画・担当した主な番組に、『映像'15 なぜペンをとるのか──沖縄の新聞記者たち』(2015年9月)、『映像'17 沖縄 さまよう木霊──基地反対運動の素顔』(2017年1月、平成29年民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞ほか)、『映像'18バッシング──その発信源の背後に何が』(2018年12月)など。『映像'17教育と愛国──教科書でいま何が起きているのか』(2017年7月)は第55回ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞。また個人として「放送ウーマン賞2018」を受賞。