ある日、いきなり大腸がんと診断され、オストメイトになった39歳のライターが綴る日々。笑いながら泣けて、泣きながら学べる新感覚の闘病エッセイ。

友人たちと自分との間に、薄くて透明な1枚の壁がある。それは、まるでアクリルパーテーションのようだ。わたしはその壁の存在について、あえて口にすることはない。顔も見えるし会話もできる。ただ、壁がある。それだけだ。
がんになってから友人たちと顔を合わせたり話したりする中で、わたしは時々この「壁」のイメージに囚われるようになった。彼らの仕事や恋愛、人間関係の話を聞きながら、どうしてこんな話を聞かなきゃいけないんだろうと心の中で苦笑した。どこか上の空な返事が続く。わたしたちのコミュニケーションから「わかる」がどんどん失われていく。来年、再来年の話で屈託なく盛り上がる彼らは、もう同じ世界の人間ではないのだと思った。壁はゆっくりと、しかし着実にその厚みを増し、わたしはLINEのトークルームをいくつか「既読」をつけたままで放置した。
ある日、遠方に住む10年来の男友だちとZoomで話すことになった。いわゆる「Zoom飲み」である。彼のことはまったく嫌いではないものの、正直言って、あまり気乗りしない約束だった。何よりも、怖かった。長い付き合いの彼にも「壁」を感じてしまうかもしれないことが。そんなわたしに対して、友人は以前のようにくだらない話をしていいものか迷っていることを打ち明けてくれた。それはそれは言いにくそうに、けれど言葉を選んで、誠実に。
あ、このままじゃまずいな。友人の様子を見て、そう思った。見ないふりをして放置していた問題が、危機感と共に明確になった瞬間だった。
「生きるとか死ぬとかじゃなくて、今までみたいに普通に話したいんですけど」
「いやいや、こっちはいつまで生きられるかもわかんないのに、悠長なものですねぇ」
「それはそうかもしれないけど、正直めっちゃ気ぃ遣うし、どうしたらいいかわかんない」
「そんなの、わたしだってわかんないよ」
互いに口にこそ出さないものの、友人たちやわたしの本音なんて蓋を開けてみればこんなもので、もう十分すぎるくらい亀裂が生じていたのだろう。自分ばかりが相手に合わせている気になっていたが、「壁」を感じていたのはわたしだけじゃなかったのだ。。早急になんとかしなければと思った。けれど、相容れない悩みを抱える者同士が、互いにストレスなく話せる方法なんてあるのだろうか。あれこれと模索した結果、わたしは「痛みレベル」で話ができないかと思いついた。
痛みレベルとは、医療従事者が患者の痛みの度合いを把握するために、患者自身に痛みを0〜10の11段階で示してもらう手法のことだ。専門的には「数値的評価スケール(NRS:Numerical Rating Scale)」というらしい。入院中、看護師さんに「痛みレベルはどれくらいですか?」とよく聞かれた。聞かれた側は、過去に経験した最大の痛みを10として「5……いや6くらい痛いです」のように伝える。ちなみに、わたしが腸閉塞になったときの痛みの最大値を表すなら9だ。10は、腸に穴が空いたとき。
痛みレベルの画期的な点は、異なる種類の痛みでも、主観に基づいて数値化し、共有できることだと思う。たとえば、腸閉塞でレベル6の痛みを感じるわたしと、骨折をして痛みレベル4だと感じるAさんがいたとする。それぞれの痛みを取り出して見ることができたなら、レベル6のわたしの痛みより、レベル4のAさんの痛みのほうが大きいかもしれない。けれど、当人たちはそれぞれ「6です、めっちゃ痛い」「4だからまだ大丈夫」と言っている。この状況で強い痛み止めが投与されるのは、レベル6の痛みを訴えるわたしになる。
わたしにもAさんにも、人の痛みの大きさなんてわからない。ただ、その人がどれくらい痛がっているのかは、痛みレベルを知ることによって把握できる。日々のコミュニケーションにも、これが応用できるのではないかと思ったのだ。言うならば「心の痛みレベル」ということだ。
わたしだって、がんに罹患したからといって、心の痛みレベルがずっと10なわけじゃない。むしろ、だいたいは1、2程度で安定させることができている。わたしはとても忘れっぽいし、今は本当に、がん以外のストレス要因が一切ないので……。だから、友人が悩みを打ち明けてくれたとしたら、「この人は今、わたしより心の痛みレベルが高いのかもしれない」と想像することで「全然聞くよー!」と受け止められるような気がした。なんだったら、痛みレベルがいくつなのか、直接尋ねたっていいと思う。「人生で一番つらかったときが10だとしたら、今はいくつ!?」なんて。
ただし、安定しているとはいえわたしにも1、2程度の痛みが常にあることを考えると、この方法でどこまでやっていけるのかはわからない。けれど、すべての人間は同じ人間ではないゆえに、わたしたちは伝え合うことを諦めてはならない。時には互いに伝え方を間違えてしまうかもしれない。それでも。
先週末は、母にお金を借りたことや一日中降り続く雨など、いくつかのトリガーがあって気持ちが沈んでいた。そんなとき、奇跡のようなタイミングで、女友だちから「元気がない」とLINEが届いた。11年前に北海道で出会って、その後沖縄で1年ほど一緒に暮らし、今はマルタ共和国に住んでいる変なやつだった。ここぞとばかりに食い気味でZoom飲みの提案をしたところ、即刻実現の流れに。わたしは常温のぬるい果実酒を飲みながら生存の話を、彼女は赤ワインを飲みながら恋愛の話を、それぞれ同じ熱量で話すことができた。
「ねー、わたしがんになってから本っ当になんもない。好きな人もいない。こんなの初だよ、初」
「そんなん当たり前やん、今は“生きる”に注力してるんやで! 衣食住みたいなベースが整ってない状態で恋愛なんてできひんやろ!」
友人は、地中海の太陽を浴びてこんがりと焼けた腕でワイングラスを持ち上げながら、PCの画面の向こうでぷりぷりと怒った。わたしは手袋をした手で頭をかきながら、まあたしかに? と笑った。もっともだと思いつつも、そのベースが整う日なんてもう二度と来ないのでは、とも思う。鈍く胸を刺す、1、2程度の痛み。わたしはこれから、この痛みを飼い慣らしていくことができるだろうか。
「なんか、また○〇と一緒に住みたくなっちゃった〜」
「リモートワークなんやからこっち来たらええやん! マルタええとこやで、小さい島やし30分も車走らせたら朝日も夕日も見れんねんで」
「それはいいけど行かないよ、時差あるし」
「夜働いたらよくない?」
「いや、それじゃ行く意味ないんだけど」
ふたりで笑った。楽しかった。そうだった、思い返せばずっと、わたしの友だちはわたしにとってみんな世界一なのだった。ひとりで闘病生活を送るわたしに、くだらない話ばかりを繰り広げながら、あの手この手で支えようとしてくれている友人たち。もしかすると、壁を完全に取り払うのはもう難しいのかもしれない。それでも、わたしは新しいコミュニケーション手段を模索したい。それは友だちのためじゃなくて自分のためだ。彼らなくして、今のわたしがいないことだけはたしかだから。
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写真は、マルタの女友だちと一緒に行ったタイにて。もう9年くらい昔の話。二人ともさすがに若い……。友人との仲にも歴史があるのだと、改めて。
プロフィール

ライター
1985年生、都内在住。2024年5月にステージⅢcの大腸がん(S状結腸がん)が判明し、現在は標準治療にて抗がん剤治療中。また、一時的ストーマを有するオストメイトとして生活している。日本酒と寿司とマクドナルドのポテトが好き。早くこのあたりに著書を書き連ねたい。