台灣無事行 イントロ ~路上の声から考える~ 第三回

国家を超える原住民の壮大な価値観

前川仁之

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。
ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。
前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。

文・写真/前川仁之

湖畔の伝統音楽

台湾最大の湖、日月譚。

 台湾島の地理はたのしい変化に富んでいる。九州よりも少し小さい島に、3000メートル級の山が269座もひしめいている、という数字からも急峻な様が想像されよう。しかも島の中ほどを北回帰線が通っており、自分の足で亜熱帯から熱帯へと踏み越える楽しみをくれる。台湾が自転車大国になったのは、多彩な自然環境への素朴なレスポンスなのだなあ、とペダルをまわしながら思うことしきり。

 島のほぼ中心部にある台湾最大の湖・日月潭は、とりわけ魅力的な、自然と人間の合作だ。清の時代から文人たちに愛され、「山中に水あり、水中に山あり」と詠われてきた。日本帝国が台湾を統治していた時代に、水力発電所を設置するために水を引き、10年がかりの工事で面積が倍になり、いまの姿に至る。

 ここには昔からつづく音風景がある。地元の原住民・サオ族の人々が奏でる杵音楽だ。大小さまざまな杵で石を打ち鳴らす、世界でもめずらしい民族芸能である。いちどは生で聴いてみたかった。

 日月潭を訪れた日は晴天にめぐまれた。標高400メートルちょいの前泊地・埔里の町からのんびり上ること25キロほど。南に向かっているのだが、太陽は木々や山の稜線に隠れることが多く、細い檳榔
びんろう
樹林と段々の水田を見ながらゆとりをもって走れた。やがて小さな峠にさしかかり、そこから初めて望めた日月潭の水面は、石垣島あたりの海の色に似てかがやいていた。そこから先は湖に沿って下ったり上ったり、車道とその他通行用の道とがしっかり分けてある周遊路をさわやかな空気を浴びて走るだけ。

 そしてさいわい遊覧船発着場の前で、サオ族の観光客向け演奏を聴くことができた。ハワイのハクレイに似た花冠をつけた民族衣装の女性7人が、竹筒や、自分の背丈よりも長い杵をかかえて、歌を斉唱する。歌いおえると地面に埋め込まれた「杵音石」をリズミカルに打つ。音色は、強いて言うなら木琴に近いが、一人が一本一音を担当する楽器の図体のわりに音量は控えめだ。目を閉じて聞けば水琴窟のようにも響く、はかない音楽だ。

 きっとこの音楽は、はるか遠くまで届くにちがいない。遠く、とは単に数十メートル、数百メートルの単位ではなく、先祖や魂といったもののおわすあたりまで。

 本来は各集落に「杵音石」が置かれそこで演奏されるのだが、ここでは台湾島の形をした特製の石が使われている。サオ族の3名の女祭司が厳選した石とのことで、観光用に間に合わせでこしらえたものではない。観光客が次々に投げ銭を入れてゆく。

伝統の杵音楽を奏でるサオ族。

 表演後、解説を担当していた女性に話を聞けた。小柄で縮れ毛の色白な人で、ドゥーさんという。サオ族は台湾の原住民族の中でも人口がもっともすくなく、800名程度に減ってしまっている。暮らしむきはどうですかと訊ねると、ドゥーさんは「いまは農暦正月(春節)で旅行者がたくさん来ているからいいけど、いつもそうというわけでもないわ。でも、私たちの伝統をつづけていけるだけでも満足ですよ」と話す。

 彼女の手の甲には刺青があった。おおこれは、かつて琉球の女性がしていたという針突
ハジチ
みたいじゃないか!

 ドゥーさんにも100人アンケートをお願いした。もちろん彼女は「民族」には「サオ族」、「アイデンティティ」には「原住民」と答える。つづいて「台湾の歴史上、あなたが最も尊敬する人物は誰ですか?」の質問だ。この時点で37人に協力してもらっていたが、多くの人がこの問いでいちばん悩む。

 彼女は迷うことなく「大頭目」と記した。

「名前はパイターブ。私たちの始祖で、伝承者です」

 きたきた、ローカル偉人だ! それまでにこの質問に対して、「黄帝」(古代中国の伝説上の皇帝で「ユンケル黄帝液」の由来」)や「関公」(ご存じ、蜀の武将関羽雲長)など、「台湾の歴史」に加えるにはあまりに時間的・空間的に遠い人物をあげる人がまれにいた。そうした時私は「いや、台湾の歴史ですよ?」と訂正を求めるなどという傲慢なまねはせず、むしろその人にとって「台湾の歴史」の意識はそこまでひろげられるものなのだな、とすなおに受け入れてきた。ついでに言うと、台湾には信心深い人が多く、「歴史上もっとも尊敬する人物」に各々の信仰対象をあげる人も少なからずいた(イエス・キリストも1票得た)。これはこれでたいへん興味深いテーマなのだが、詳しくは別の機会に譲る。

 はるか中国古代の伝説や三国時代にまで自分たちの歴史の範囲をひろげる人がいる一方で、身の回りに範囲をしぼり、ローカルな意識で歴史をとらえる人々もいるようだ。そしてどうやら原住民の人々にはその傾向が強いのではないか、と旅をしながら私は仮説を育てていたのだった。

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平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。

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プロフィール

前川仁之

まえかわ さねゆき

ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。

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