カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第2回

『サイコだけど大丈夫』―韓国的兄弟、治癒のための韓国料理、韓国人のトラウマ、「クレメンタインの歌」の謎  

伊東順子

 韓国人がとても教育熱心なのは世界的に有名だが、テレビドラマのテーマにもなってきた。新しいところでは『SKYキャッスル~上流階級の妻たちへ』(2018年JTBC)、また少し前だと『江南ママの教育戦争』(2007年SBS)など、数々のヒット作が生まれている。多くは、子どもの将来のために良かれと始めた詰め込み教育がどんどん過激になって、目的(子どもの幸福)と手段(名門校に合格)が逆転しまうという問題をベースにしている。ところで、『サイコだけど大丈夫』には、それとは違うタイプの親も出てくる。そもそもが「子どもため」ではなく「自分のため」、子どもは自分にとっての装飾品、さらに作品であると思い込んでいる親たちだ。他の多くの人々が治癒されていく中、この人たちだけは絶望と語られる。

 

 そしてもう一つ、「韓国らしい」と感じるのは、戦争のトラウマを抱える人が『サイコだけど大丈夫』には登場することだ。戦争とはベトナム戦争である。このシーンは韓国では言及する人が多く、例えば次のようなレビューも新聞に掲載されていた。

 

 特にベトナム戦争に参戦して経験した殺戮で心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患うカン・ピルオン(キム・ギチョン)がバスの中で、工事現場のドリルの音を聞いて戦争当時にフラッシュバックする場面は、視聴者たちに「PTSDのフラッシュバックを最も実感させる場面」と、好評を得た。耳をふさいで、目をギュッとつぶって、バスのど真ん中で座り込んだカン・ピルオンの両側の窓の外で、大砲が撃たれ、銃弾が飛び交う場面は、実際の戦争を思い起こさせる。(2020年8月18日付東亜日報)

 

 日本の視聴者には理解しにくい場面かもしれないので、ここで少し補足しておきたいと思う。

 冷戦下のアジアにあって、朝鮮戦争に続いて熱戦となったのはベトナム戦争(1955年 –75年)である。フランス軍撤退後に、いち早く介入を決めた米国の要請に従い、韓国も1964年から73年まで、のべ約32万人という破格の人員を送るにいたった。医療部隊から始まり、猛虎、白馬、青竜などの精鋭部隊が次々に派遣されていった。

 韓国人にとってベトナム戦争は非常に重い記憶である。一つにはまだ貧しかった韓国が、その貧しさ故に他国の戦争に参加せざるを得なかった悲しみの記憶であり、その一方で家族や国の発展のために死にものぐるいで頑張ったという記憶。これは映画『国際市場で逢いましょう』(2014年 ユン・ジェギョン監督、ファン・ジョンミン主演)に詳しい。しかし結果的にはベトナム現地の人々を傷つけてしまったという慙愧の念が重なっている。

 ベトナム帰還兵のトラウマや、その原因の一つである戦時の残虐行為等については、韓国社会で長い間タブーとされてきた。問題を映画作品として真正面からとらえたのはチョン・ジヨン監督が1992年に発表した『ホワイト・バッジ』(主演アン・ソンギ)、原作は元兵士の従軍体験記である。また、韓国の人気作家ハン・ガンの小説『菜食主義者』にもベトナム帰還兵が登場する。

 

韓国における「クレメンタインの歌」

 最後にドラマの謎かけに使われている「クレメンタインの歌」についても、少し書いておきたいと思う。アメリカ民謡の「いとしのクレメンタイン」は、日本では「雪山讃歌」として知られている。「雪よ、岩よ、我らが宿り……」という歌詞は、1926年に京都帝國大学山岳部にいた西堀榮三郎が山小屋で書いたということで、原曲の歌詞とは全く違う内容になっている。韓国語の歌詞は日本語のそれよりはかなり原曲に近く、しかし細部では少しずつ違っている。

 私自身はこの曲に大変思い入れがある。というのは、1990年に韓国に留学した頃、知りあった韓国人にこの歌を歌ってくれと頼んだことがあるからだ。

「韓国語のクレメンタインの歌が聞きたいんです」

 その人は歌ってくれて、さらに歌詞を文字に書き起こしてくれた。   

 

넓고 넓은 바닷가에    오막살이 집 한 채

고기 잡는 아버지와     철 모르는 딸 있네

내 사랑아 내 사랑아    나의 사랑 클레멘타인

늙은 아비 혼자 두고    영영 어디 갔느냐

 

広く広い海辺に小さな苫屋が一つ

漁師の父親とまだ幼い娘がいた 

愛しい、愛しい、愛しい私のクレメンタイン

年老いた父親を1人残し 永遠にどこかに行ってしまったのか (著者訳)

 

 ずっと聞きたかった歌だった。メロディは雪山讃歌と同じだからもちろん知っていたし、何度も自分で歌ってみたから今も韓国語でちゃんと歌える。

 この歌を聞きたかったのは、実は日本で学生だった頃に『クレメンタインの歌』(文和書房1980)という随筆集を読み、とても深い感銘を受けたからだった。著者は金時鐘、当時から高名な在日朝鮮人の詩人だった。そこには「クレメンタイン」を歌っていた彼の父親の思い出が綴られており、「ずっと朝鮮の歌だと思っていた」というニュアンスの一節があった。そのことに、とても不思議な気持ちになった。アメリカ民謡を朝鮮の歌だと思った? 目の前の世界がいきなり広がるような感覚だった。いつか朝鮮語で歌われたクレメンタインを聞いてみたい。その思いが韓国で実現したのだった。

 韓国で「クレメンタインの歌」が最初に流行したのは1920年代、「日帝」(大日本帝国)の植民地下だった。作詞者については朴泰遠(1910~86、植民地下の朝鮮で活躍した作家。朝鮮戦争の最中に北朝鮮に渡る。映画『パラサイト』のポン・ジュノ監督の祖父にもあたる)などの諸説が出ていたが、はっきりとした根拠はない。すでに1920年代初頭には小学校の学芸会で歌われた記録もあるが、正式な作詞者については今もはっきりわかっていないようだ。

 ただ、韓国の人々なら誰もが知っている曲であり、しかもその歌詞の原型がすでに1920年代にあったことも事実である。植民地下の朝鮮には西洋文化の多くは日本経由でもたらされ、歌曲や童謡なども日本語から朝鮮語に訳されたものが多かった。ところが、このクレメンタインだけは日本語の影響を受けていなかった。そのことが、この歌を解放後の韓国で大衆化させる動機となった。

 ドラマ『サイコだけど大丈夫』の中で「いとしのクレメンタイン」は、父親と娘をつなぐ歌として登場する。そこが犯人探しでは、キモの部分となる。

 

 

 以上、ドラマの本筋からは少し離れて、その背景にある韓国社会について重要だと思う部分を書いてみた。誰もが悩む自分自身の不完全さ、自己肯定感の低さ。その根っこには幼少期や青年期の小さな痛み、あるいは癒えることのない大きなトラウマ。グラデーションはあっても、誰もが傷を抱えている。

 

「サイコだけど大丈夫」は、そんな人々を慰めてくれる作品だった。また、ドラマのディレクターはインタビューで、以下のように答えていた。

 

「私たちは誰もが少しは狂っています。だから皆サイコです。それでも大丈夫です。私たち大丈夫なんです」(2020年10月22日NEWSポストセブン)

 

 それにしても、いつも思うが韓国の役者は上手だ。人気タレントもベテランもみんなうまい。主役を演じたキム・スヒョンは兵役からの復帰後の初作品だったが、目だけで悲しみ語り、成熟した演技力で高い評価を得た。美しいサイコであるソ・イェジの幼子のような笑顔。彼女の笑顔に泣いてしまった人もいると思う。そしてサンテ役のオ・ジョンセ。放送終了後に、実はサンテ・ロスになった人が多かった。みんな、ずっと彼のような「兄」に癒やされたかったのだ。

 

Netflixオリジナルシリーズ『サイコだけど大丈夫』独占配信中

 

 

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カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター。編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房、斎藤真理子訳)の解説を担当。

 
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