「疎外感」の精神病理 第10回

疎外感とカルト型宗教

和田秀樹

オウム真理教は何を物語っているのか

 もう30年近く前の話になってしまいましたが、地下鉄サリン事件というものがありました。

 1995年3月20日に宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び職員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た事件です。死者数は14人、負傷者は6300人とされ、1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロであったため、世界にも大きな衝撃を与えました。

 この事件のあと、テレビマスコミも週刊誌も、そして大新聞までオウム真理教なるカルト宗教の実態を暴き続けました。

 その中で問題とされたのが、この宗教が、現職の医師、医学部の学生を含む東大生などのインテリ集団だったということでした。世間の人は、なぜ彼らがこんな宗教に入り、犯罪に手を染めるのかと話題にしました。

 実際、医師や東大卒の研究者が、サリンなどの開発にかかわっていたことも明らかにされます。その知能をほかのことに使えば、社会の役にたつのに、逆に大量殺戮に優秀な頭脳が使われることは、日本の場合、戦時中以降初めてのことと言っていいものでした。

 これについては、いろいろな解釈がなされました。

 勉強ばかりしていて社会のことを知らないから、いかがわしいカルトにひっかかってしまうのだという説もありましたし、やはりペーパーテストの秀才は異常な人が多いので、もっと心の教育や道徳教育をやらないといけないなどという声も上がりました。

 現職の医師だった人が、手術はできても人の心は救えないと悩んで入信したと報道されたこともあって、自然科学に限界を感じ、もっと超常的な力を信じるようになったのではないかという考えもありました。

 そのどれもが妥当な解釈のような気もしますし、本当にそうなのかとも考えてしまいます。もちろん、信者全員が同じような心理だったとも思えません。

 ただ、高学歴の人たちが、現状に不満をもちやすい状況にあるのは今も昔も確かだと思います。

 子どもの頃から「勉強をしないと社会で成功できない」「勉強すれば大人になってから報われる」と親や周囲に言われ続けてきたのに、学歴社会は崩壊しつつあります。

 東大卒の中の勝ち組とされる財務省の中で、さらに勝ち組とされる局長クラスの官僚が、小学校から大学まで受験経験のない世襲の首相に忖度して、文書改ざんして職を失ったり、国会などのテレビ中継で明らかに嘘とわかるような苦しい答弁をして恥をさらしたりする。そんな姿を見れば、子供たちが学歴エリートなんかバカバカしいと思うのももっともな話です。

 それ以上に、苦労して勝ち組になった人にとってみたら、将来に絶望を覚えるかもしれません。

 今の時代の苦労は、青春を犠牲にして、ただつまらない勉強をコツコツすることだけではありません。

 一時期、上海や香港に在住経験のあるサラリーマン兼業文筆家の前川ヤスタカさんが書いた『勉強できる子 卑屈化社会』がヒットしました。そこには、これまで何度か紹介したスクールカーストで下位に甘んじていた「勉強のできる子あるある」が様々に描かれ、その社会背景や実例をあげながら、著者の考えが述べられています。この本を読み、私も自分自身の子供時代と照らし合わせて、強く共感したのを覚えています。

 私の時代より学歴批判が進み、スクールカーストが新しいいじめの源泉となっていることを考えると、今の勉強のできる子供たちの受難は、もっと厳しいものとなっているでしょう。ほかのいじめがほとんど禁止されている中で、このようなスクールカースト型のいじめが残っているのですから、勉強ができる子はケンカが弱い子よりもっとみじめかもしれません。

 そんな子供時代を送って大人になったのに、社会は予想外に厳しかったと感じる若者は少なくないと思われます。

 高学歴フリーター、高学歴ニートなどという言葉が使われて久しくなりましたが、実際、私が東大卒の失業者に聞いた中では、経営者の中には学歴コンプレックスのようなものを持つ人がいて、東大出身であるがゆえに、揶揄されたりパワハラを受けたりして、会社を続けられなかったというケースもありました。

 学歴競争の中では勝ち組の東大理科三類から医学部のコースを歩む人も、病院の医局という組織の中では、ただの一兵卒の扱いです。教授回診という大名行列の金魚の尻尾のような立場に陥ります。そして、自分たちが見下していた(これも問題なのですが)ような私立医大卒の教授や偉い人にペコペコしないといけない現実を知ります。

 このような心理状況では、カルト宗教に走るいわゆる学歴エリートが出ても、それほど不思議に感じなかった、というのが当時の私の記憶です。

天才と発達障害

 さて、高学歴エリートがカルトに走る理由として、もう一つ考えられるのが発達障害です。

 私自身が精神科医になって思うのは、私はおそらく発達障害だったのだ(今もそうかもしれませんが)ということです。

 人の気持ちが読めず、変わり者として大学生くらいまでは過ごしました。小学生の頃は教室で立ち歩きをしたり、すぐに気が散ったりする落ち着きのない子であると同時に、好奇心だけは人一倍旺盛でした。これは自閉症スペクトラム障害(以前はアスペルガー障害と呼ばれていました)と注意欠陥多動性障害(ADHD)を併せもっていたということになります。

 精神科医の仕事をしているうちに、共感能力やコミュニケーション能力は多少まともなものになってきた気がします。ただ、落ち着きのなさは相変わらずです。世間の人は多才と言ってくださいますが、いろいろな仕事に手を出すのは一つのことをずっと続けているのが苦手だからです。今日はこの仕事、明日は別の仕事、という風にしたほうが調子がいいので、やはり多動性障害の傾向は治っていないようです。

 ただ、私は発達障害は個性だと思っていますし、天才が多いのだから、むしろ尊重すべきだと思っているので、それを無理に治そうとは思っていません。

 ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも、アインシュタイン、そして最近話題のイーロン・マスクも自閉性スペクトラム障害だったとされていますし、エジソンも坂本龍馬もモーツァルトもADHDだとされています。

 ケンブリッジ大学教授で自閉症研究センター長のサイモン・バロン・コーエン氏の近著『ザ・パターン・シーカー』によると、人類が発達してきたのは、ほかの動物にない共感力と、ものごとのルールやパターンを発見する「システム化能力」があるからだそうです。

 共感力によって、仲間のグループを大きくすることができ、システム化能力によって、いろいろな道具や社会の仕組みを発展させてきました。

 コーエン氏は人間の脳を5つのパターンに分類しました。

 一つは極端にシステム化能力が強く、その代わり共感力に弱点のあるエクストリームS型、二つ目はシステム化能力が共感能力より優位なS型、3つ目はシステム化能力と共感力のバランスの取れたB型、4つ目は共感力がシステム化能力より優位なE型。5つ目は極端に共感力は強いけど、システム化能力の弱いエクストリームE型です。

 ご想像の通り、自閉症スペクトラム障害の人はエクストリームS型ということになるのですが、このシステム化能力が高い人が、科学などの世界で成功する「天才」であるという側面もあります。

 昔から東大(そのほかの偏差値の高い大学)には発達障害が多いとか、変わり者が多いとか言われていますが、入試数学に強い人はシステム化能力が高いのは確かです。

 ところが、私の見るところ、日本は恐ろしいくらい共感力が重視され、システム化能力が高い人が生きづらくなっています。

 私も宮仕えが難しいから資格をとって食べていこうと思って医学部を受験した口ですが、今は医学部のある全国82の大学すべてで入試面接が行われるようになり、自閉症傾向のある人が、資格を取って生きていく門戸が閉ざされています。

 勉強ができる子がいじめられることが多いという現象も、勉強ができても性格が悪いとされているからでしょう。しかし、彼らは性格が悪いのでなく、人の気持ちを読む能力が低いのです。この国は、そういう人間が「人間性が欠けている」とされ、排除される傾向にあります。ほかに優れた能力があっても、それ以上に人間性が重視されるのです。

 そういう意味で、共感力に難がある「天才」たちが生きづらい世の中であるのは、発達障害を抱えて生きてきた私の実感でもあります。

カルトと発達障害

 かくして、勉強ができて予定通りの学歴が得られても、この手の人間は生きづらさを抱えることになります。

 私の仮説は、高学歴者がカルトに魅かれるのは、発達障害がからんでいるのではないかということです。高学歴であるかどうか以上に、発達障害を抱えることがカルトに魅かれた理由だということです。

 私の高校時代の同級生でイスラム法学者の中田考さんが、26歳の北大の学生をイスラム国に渡航するのを手伝ったということで警察の事情聴取を受けるという事件がありました。

 あとで中田さんに事情を聴くと、これは宗教やテロの問題ではなく、生きづらさに悩む(当人は日本にいても自殺するだけだからと語っていたそうです)人をどのように救うかという話だったようです。そして、日本では生きづらさを抱えた若者を温かく受け入れてくれるところがほとんどないと話をしてくれました。

 前々からうすうす感じてはいたのですが、この話を聞いて、高学歴か否かは別として、カルトが発達障害の人たちの逃げ場であるのは確かだろうなと痛感しました。オウム真理教にしても、みんながみんな高学歴というわけではなく、1万人以上の信者がいたことを考えると、特別に高学歴の人が多かったわけではないでしょう。

 現世の生きづらさを考えると、超自然的なカルト宗教の世界で生きていくほうが楽と思った人が少なくないように思えます。

 今、話題になっている旧統一教会にしても、私の学生時代から怪しげなセミナーに通い、入信する人は少なくありませんでした。いくらそれが洗脳であったとしても、現世で満たされている人や、将来に豊かな夢をもっている人がカルトの世界にのめり込むとはあまり思えません。やはり現世に生きづらさや疎外感を覚えて入信する人が多いのではないでしょうか?

 この手のカルトで、高学歴者が目立つのは、その割合が非常に高いことより、彼らが重用されるということがあり、幹部に高学歴者が目立つのではないかと私は考えています。

 現実社会では、高学歴であっても「変わり者」のレッテルが貼られると、成功はおろか世の中から疎外されてしまうのに、カルトの中では、それが認められる……。さらに帰依が強くなるのは、当然想像できることです。

 その人一倍強い、システム化能力を用い、オウム真理教では、彼らは毒物作りに勤しみました。

 これは、あくまで私の妄想ですが、旧統一教会のシステム化能力の高い秀才たちは、教祖の夢である、韓国が日本より強い国になることの方法論を考えていたのではないかと考えることがあります。

 そして、献金などを通じて知り合った政治家に、日本を共産主義に染められない強い国にするためのアドバイスをしていきます。共感力は高いけど、システム化能力に難のある日本のボンボン政治家はそれを信じていきます。

 過度な円安政策も、ペーパーテストを排除する入試改革も、教育予算より軍事予算にお金を使う政策も、日本より韓国に恩恵をもたらすためという気が私はするのです。

 少なくとも結果だけをみると、日本は90年代から中学生の学力では韓国に抜かれていたのですが、それには今でも手を打たないできました。円安もあって一人当たりのGDPは韓国に抜かれています。2022年には重要論文の数でも、人口が半分に満たない韓国に日本は抜かれています。

 もし私の妄想が当たっているのなら、カルトに尽くす高学歴者のシステム化能力はそれだけすごいということになります。

 それが当たっていないことを願うのみですが、いずれにせよ、この手の発達障害はあるが優れたシステム化能力のある人たちの疎外感を少しでも楽にしてあげて、活躍の場を与える必要があることをまじめに考える価値はあると私は信じています。

疎外感の精神病理としてのカルト信仰

 これまで何度か、今の多くの人が感じている疎外感について論じてきたわけですが、これはもちろん発達障害の人や、天才と言われる人に限った話ではありません。

 今生きている世界の居心地が悪く、疎外感を覚えるなら、より居心地のいい世界を求めるのはむしろ自然な流れと言えるかもしれません。

 外から見るとお金をむしり取られたり、意味不明の苦しい修行をさせられたりしているわけですが、なんらかの形で連帯感が得られたり、世俗のルールより、その宗教の戒律のほうが楽であれば、その宗教にどっぷり浸りこむことは十分あり得るでしょう。

 逆に、その宗教が批判を浴び、仲間はずれになればなるほど、お互いの連帯感が高まることもあります。

 コロナ禍でマスクが嫌いな人がマスクをはずして歩いていると、実際にそうかどうかは別として、白い目で見られている気がするという話はよく聞きます。そういう際に、マスクをしていない人がいると、ほっとするし、場合によっては声をかけて仲間になりたいと思うことはあるでしょう。

 私の偏見かもしれませんが、このコロナ禍の間、いちばん楽しそうにしていたのは、喫煙所にいる人たちでした。おそらくは知らない同士でも声をかけ、楽しそうに談笑している姿をよく目にしたのです。そして、最後にスパーッと煙を出すと憂き世のつらさは吹っ飛んでしまうのではないかと思うくらいです。

 現在のように嫌煙ブームが高まり、それが差別に近いレベルになってくると、差別される側の連帯感はかえって強まるのだなと感じさせられたものです。

 そういう意味では、昔のオウム真理教や今の統一教会のように、悪徳宗教とされる宗教をメディアやSNSで大バッシングすることは逆効果になる可能性は考えないといけないかもしれません。

 彼らの連帯感が強まるほど、入信前の世俗の世界にいた頃の疎外感と比べてしまうので、余計に離れられなくなる可能性は十分感じられるのです。

 心理学の世界では、認知的不協和という言葉があります。

 自分のこれまでの認知と不協和を起こす認知を受け入れようとしない心理を指します。

 自分が信じてきたり、自分が大金をささげたり、自分が苦しい修行に耐えてきた人にとっては、その宗教がインチキだということになると、これまでの自分なり、自分のしてきたことはなんだったのかということになるので、その不協和を避けるために、インチキだという外からの言説を強く否定しようとするのです。

 そうでなくても、カルト宗教とされるところは、人に苦行を押しつけたり、高額の寄進を求めたりするところが多く、いったん入ってしまうと、それが苦行であればあるほど、あるいは寄進が高額であればあるほど、無価値なものと信じたくない心理が働くので離れられないわけです。疎外感に苦しんできた人にとってみては、この連帯が何物にも代えがたく、失いたくないものなので離れることができないのでしょう。

 日本のように同調することが当たり前という世界にいると、それに合わない人は、疎外感を欧米の国以上に感じやすいというのは、これまで考察してきたとおりです。そういう風潮であるからこそ、カルトに走る人が多いように思えてなりません。

 そして、そのカルト宗教の側も、疎外感に苦しむ人たちを上手に狙い撃ちにしているというのは、私の妄想でしょうか?

 もちろん、人生の苦難や疾病など、カルト宗教の入り口はいろいろあるでしょう。

 しかし、その中で疎外感が大きな玄関口になっているというのが、私の考察です。

 第9回
第11回  
「疎外感」の精神病理

コロナ孤独、つながり願望、スクールカースト、引きこもり、8050問題……「疎外感」が原因で生じる、さまざまな日本の病理を論じる!

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プロフィール

和田秀樹

1960年大阪府生まれ。和田秀樹こころと体のクリニック院長。1985年東京大学医学部卒業後、東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローなどを経て、現職。主な著書に『受験学力』『70歳が老化の分かれ道』『80歳の壁』『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』『70歳からの老けない生き方』『40歳から一気に老化する人、しない人』など多数。

 

 

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