やく ケムール人です。1966年5月8日に放送された『ウルトラQ』第19話「2020年の挑戦」に登場。
古谷 それがきっかけで、僕はウルトラマンに入ることになるわけですから、思い出深い作品ですよね。
ホシノ そのケムール人のボディラインの美しさに魅了されたウルトラマンの美術担当、成田亨さんが「コイツしかいない、ウルトラマンは古谷敏しかできない」と製作側にゴリ押ししたのは有名な話でして。
古谷 別にゴリ押ししなくてもよかったんですよ、本当に(笑)。僕は顔を出した俳優として頑張っていた時期でしたから。映画で主役を演じたい、恋愛映画の主人公を務めたいという夢もありましたし。なのに、成田さんに呼び出されて彼の工房に行くと、いきなり有無を言わさずマスクの型を取られて。以来、ウルトラマンのスーツの中にピッタリ入れるのは、僕しかいなくなった(笑)。
ホシノ それが運命というものです。
古谷 やくさんは「2020年の挑戦」をリアルタイムでご覧になった?
やく もちろんです。小学校2年生のときに。
古谷 じゃあ、怖かったでしょう? 『ウルトラQ』は。あのモノクロの映像がね。
やく 独特なイメージがありましたから。
古谷 後年、カラー化されたけど、迫りくる怖さという面ではモノクロのほうが説得力もあったし。
ホシノ ええっと、なかなか本題に入れないのですが、そろそろ第10位の発表を。
古谷 いいじゃないですか、今回は前夜祭にしましょう(笑)。本編でも前夜祭が放送されていますしね。
ホシノ 1966年7月17日に放送された記念すべき第1回『ウルトラ作戦第一号』の前週に『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』が茶の間に届けられています。
古谷 それもね、苦し紛れだったというか(笑)。制作が間に合わなくて。なぜ、制作が間に合わなかったのかは、おいおい語っていきます。
ホシノ はい、存分に語っていただければ、こんな幸せはございません。それにしても、やくさん、たまらんですよね、ソーシャルディスタンスを取っているとはいえ、目の前に古谷さんがいらっしゃるのって。
やく どうしよう、とうとうウルトラマンに会っちゃったよっていう感じです(笑)。私、子供の頃から憧れだった大鵬さんにもお会いすることができたし、長嶋さんや王さんにもお会いすることができた。それこそ小学校時代に憧れていた歌手の田代美代子さんともいま、ご一緒に仕事をさせていただくという幸運にも恵まれていまして。人生の後半で、次々に夢が叶ってゆく幸せをかみしめております。
古谷 充実した人生ですねえ。
やく いや、古谷さんが目の前にいらして、なんか泣きそうで(笑)。
古谷 僕も今回の対談は楽しみにしていたんです。新型ウイルスの感染拡大で、いろんなウルトラマンのイベントが中止になりましたから。今年も例年以上にアメリカからもイベント参加のオファーが来ていたんですが、それもすべて中止。最も残念だったのは「2020年の挑戦」の監督、飯島敏宏さんとのイベントの中止ですかね。
やく そんな魅惑的なイベントが企画されていたんですか。
古谷 はい。
やく それはもう、東京オリンピックの開催延期よりも残念。私らからすれば、東京オリンピックより「2020年の挑戦」のイベントのほうが大事ですし。
古谷 今は何もできないですよね。感染が収束しないと何も動き出せない。なんとか今年中には感染が治まってほしいと願ってはいるんですが。なにせ来年はウルトラマンの放送開始から55周年の記念すべき年。僕も78歳を迎える。そう、M78星雲になるんですよ(笑)。そういう意味も含め、大規模なイベントを開催しようという話も持ち上がっていますし。
やく つくづくコロナ憎しですが、晴れて実現の運びとなるのを楽しみにしています。
古谷 黒部進さんも桜井浩子さんも毒蝮三太夫さんも、みんないい歳だしね。早くしないと、みんな揃わなくなる(笑)。
ホシノ いやいや、まだまだ集合できます。ええっと、ですから「2020年の挑戦」のイベントは中止になりましたが、その代わりといってはおこがましくなりますけども、この『ウルトラマン不滅の10大決戦 完全解説』を華々しく実施できれば。これが私たちの「2020年の挑戦」となります。
古谷 でも、ありがたいです、ウルトラマンの格闘シーン、戦闘シーンを振り返る場をいただいて。僕はアクションに精通しているわけではなかったし、ウルトラマン自体に殺陣師の方がいらしたわけでもなく、すべて手探りで動いていたのでね。怪獣とどう戦うか、スぺシウム光線を出すまでに、どう動けばいいのか、真剣に悩みましたし、飯島監督らと協議して決めていったものです。それらをもう一度、振り返る、検証できるのは心が躍ります。
ホシノ いえいえ、心が躍りまくっているのは、こちらのほうです。
古谷 いまも言ったように、なにもかも手探り。だからこそ、子供たちの共感が得られたのかも知れないとも思っていますしね。
ホシノ というのは?
古谷 子供って完璧に強いものは好きじゃないんですよ。応援のしがいがないというか。どこか弱そうな部分があるから感情移入して“がんばれ”と応援する。ウルトラマンも撮影開始前からアクション監督などがいて、ああして、こうしてといった指示を受け、完璧な動きを見せていたら、計算づくの華麗なアクションをする強いウルトラマンを見せていたら、子供たちはあんなにも熱く応援してくれただろうかと思うこともあります。
ホシノ なるほど。
古谷 これは僕の持論になりますが、ウルトラマンは弱かったんです。
やく・ホシノ ほおお。
古谷 怪獣と戦っても勝てるかどうかわからない。それでも立ち向かっていく。その勇気を振り絞るところに子供たちは共感してくれたんじゃないですか。中に入っていた僕も、アクションの経験がないから、撮影中は怖かった。
ギャンゴとの決戦ではマスクの目の穴からコポコポと水が入ってきて溺れそうになったし、火は容赦なく僕に襲いかかってきたし、怪獣の角は痛かった。でも、必死になって戦った。そういう心の葛藤みたいなものがウルトラマンの動きに反映されているんじゃないですかね。だから、ウルトラマンの戦いを振り返るのは僕にとって、とても意義深いものなんです。
ホシノ わかりました。では、今度こそ『ウルトラマン不滅の10大決戦 完全解説』の始まりです。ではでは、栄光の第10位は……えっ! これはまた、まさかの……。
司会・構成/ホシノ中年こと佐々木徹
写真提供/株式会社円谷プロダクション 撮影/五十嵐和博
(次回は9月15日に公開予定)
プロフィール
古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。
やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。