ホシノ それは?
やく ウルトラマンの表情。本来、表情がないウルトラマンなのに、喜怒哀楽がはっきりと感じ取れる。いや、そう見える。これは古谷さんの演技力がスーツを突き抜けた証拠ではないでしょうか。そこにも他の回以上に異色を感じてしまうわけでございます。
古谷 ありがとう、うれしいですね。僕にとっても『怪獣墓場』は思い出深い作品なんです。というのも、この回でいみじくもやくさんがおっしゃったようにスーツを突き抜けた感覚をはっきりと実感できたからなんですよ。
やく やっぱり、そうでしたか。
古谷 ええ、突き抜けた――というより、なんだろうなあ……。
ホシノ 同化したような?
古谷 そうです、その感覚に近い。
ホシノ 金城哲夫さんが「チャックを閉めた瞬間に古谷敏はウルトラマンという宇宙人になる」という言葉を残していましたけど、さらにその先の境地といいますか、進化したような感覚?
古谷 ええ、『怪獣墓場』の撮影の頃は、すでにスーツのチャックを閉めたからウルトラマンという感覚ではなかったですよね。正直なところ、チャックとかは関係なかった……。気づくと僕はウルトラマンでした。
やく 名言ですね。
古谷 スーツはもはや僕の肌でしたし、この感覚が同化なのかもしれません。だから、シーボーズを前にした僕は、マスクも付けている感覚ではなかった。まんまの自分が手を焼かすシーボーズに怒ったり、茶目っ気のある仕草に思わず笑っていたり。もちろん、役者として計算した演技を表現していますけど、それをストレートに伝えることができているという実感、充実感はありました。
やく 本当に、笑っていますからね、ウルトラマンは。
古谷 当時、僕と同期の女性も、やくさんと同じことを言ってくれていましたよ。
やく 表情が動かないマスクを着けているのに、ウルトラマンが笑った、と?
古谷 はい。シーボーズを相手に、一瞬、動かないマスクが和らぎ、笑ったように変化した、と言ってくれたんです。彼女は東宝芸能学校から一緒にがんばってきた人でね。僕の役者としての道のりを近くで見てくれていた人でしたから、余計にうれしかったですし、そう言ってもらえるのは役者冥利に尽きますよ。それまでは試行錯誤でしたから。
やく ケロニア戦でしたか、前例のないヒーローを演じる難しさがあった。とおっしゃっていましたよね。
古谷 はい。スーツの中に入り演じることの精神的、肉体的な苦しさもありましたしね。撮影がスタートして8本目くらいまではご飯がノドを通らなくて。食べても吐いちゃう日々が続いて。それでも自分なりに毎回撮影に臨むにあたって演技プランを構築し、取り組みました。
そんな日々を経て、ようやく『怪獣墓場』で、マスクやスーツが自分の顔や肌と同化することができ、自然体のまま演技プランを表現することができた。その手応えを抱くことができた。そういう意味でも『怪獣墓場』においてのシーボーズ戦は僕にとってエポックメーキングとなる戦いなんです。その攻防を第3位に選んでいただいて、ありがたいですよ。
やく それほどに印象深い巻でした。
ホシノ ちなみに、シーボーズ戦では表情豊かなウルトラマンとは別に、父性を感じさせられるのですけど、それは演技プランの中に入っていたのでありますか。
古谷 はい、父性を醸し出そうと意識していましたね。
ホシノ 父親としての優しさみたいな?
古谷 そうです、少しでも子供たちにウルトラマンの優しさが伝われば成功かな、と考えていましたよね。
やく う~ん、なるほど……。
ホシノ 何をやくさんは唸ってらっしゃる?
やく いや、この瞬間までウルトラマンの父性について考えたことがなかったものですから。たぶん、自分には子供がおりませんのでね、ウルトラマンの父性に考えが及ばなかったのでしょう。想像がつかないといいますか。若い時分は自分に子供ができたら、絶対に面倒を見切れないし、第一、親がこんなじゃ子供が不憫だろうとか考えたことはありますけど(笑)。そうか、ウルトラマンの父性か……。
ホシノ そんなしみじみしないでくださいよ。
やく いや、急に自分の父親のことを思い出しちゃって。私は父親からすると、あまりいい息子、子供ではなかったろうという悔悟の念がありまして。
ホシノ どこがです?
やく 子供の頃は別にグレて親を泣かすようなことはなかったし、大人になってからもしばらくは同居していた。それなりにコミュニケーションが取れていた親子でした。でも、一緒に酒を酌み交わしたこともなかったし。後年、両親を旅行に連れて行って、なんとかまあ、親孝行らしきことはできたものの、さあ、もっと父親と密接に関わろうという時期に逝かれてしまったので。
古谷 悔いがある?
やく ありますね。だからなのか、ウルトラマンの父性を指摘されると、なにかこう、反省の念ばかりが……。
古谷 そんなことないですって(笑)。
やく 真面目な話、自分にはウルトラマンのような父性があるのか疑問なんです。駄々っ子のあやし方も知らないし、私がウルトラマンだったら、あんなふうにシーボーズをなだめすかしてロケットまで誘導できないと思います。すぐに癇癪を起しそうな気がする。
古谷・ホシノ ハッハハハ。
やく あの最終場面。先にウルトラマンが空に飛び立ち、続いてシーボーズがしがみついたロケットが飛ぶ。並走して飛ぶのではなく、ましてや抱きかかえて飛ぶのではない。いいか、しばらく付いてきなさいとでもいいたげに、少し先を飛行する。そして、ある程度のところまでは誘導して飛ぶけども、その先は自分で飛んでいきなさいというね、それこそが父親の愛情、父性のようなものだと言われると、そうか、そういうことなのかと、今にしてしみじみに胸に沁み渡ります。
ホシノ ボクはやくさんとは8年ぐらいの付き合いがありますけども、初めてですよ、子供について、ご自分の父親について語っている姿に触れたのは。ボクからすれば、父性について語るやくみつるは十分に “異色” でしたね。
やく (笑)。
(第2位は1月15日に発表予定)
司会・構成/ホシノ中年こと佐々木徹
撮影/五十嵐和博
©円谷プロ
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※クイズへの応募方法は、第2位発表の際に告知いたします。お楽しみに。
プロフィール
古谷敏(ふるや さとし)
1943年、東京生まれ。俳優。1966年に『ウルトラQ』のケムール人に抜擢され、そのスタイルが評判を呼びウルトラマンのスーツアクターに。1967年には「顔の見れる役」として『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。その後、株式会社ビンプロモーションを設立し、イベント運営に携わる。著書に『ウルトラマンになった男』(小学館)がある。
やくみつる(やくみつる)
1959年、東京生まれ。漫画家、好角家、日本昆虫協会副会長、珍品コレクターであり漢字博士。テレビのクイズ番組の回答者、ワイドショーのコメンテーターやエッセイストとしても活躍中。4コマ漫画の大家とも呼ばれ、その作品数の膨大さは本人も確認できず。「ユーキャン新語・流行語大賞」選考委員。小学生の頃にテレビで見て以来の筋金入りのウルトラマンファン。