カルチャーから見る、韓国社会の素顔 第1回

『82年生まれ、キム・ジヨン』――原作と映画、それぞれの凄絶

伊東順子

フェミニズムの時差と実現力

 日本語版の解説を私が書くことになったのも、実はそんな理由からだった。

「これを読んだ日本人に韓国はひどい国だと誤解してほしくないから」と翻訳者の斎藤真理子さんに頼まれたのは2018年の夏だった。

 たしかに、その頃はまるで「嫌韓ブーム」だった。特に2018年は年頭の「慰安婦合意見直し」から秋の「徴用工判決」と日韓の外交関係は悪化し、多くの書店が文在寅大統領の顔をデフォルメしたような、おどろおどろしい表紙の「嫌韓本」に占領されていた。今のように入り口にきれいな装丁の韓国小説やエッセイが並ぶ状況ではなかった。

 あの嫌韓本の中に「キム・ジヨン」も入れられて、「韓国の気の毒な女性の物語」みたいにされるのは嫌だな。その時、釜山にいた私は、早速フェミニズム関連の資料を探しに、街で一番大きな書店に行った。

 書店の一番目立つところに、フェミニズムと書かれた棚があった。さすが韓国、フェミニズムが熱い。さらにまぶしかったのは、すべての本が新しかったことだ。うず高く積まれたベストセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』、『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない 』(イ・ミンギョン著)が2016年刊。その他はすべて2017~2018年に出たものばかり、書棚に躍動感があった。

 古い本も見たいなと思って上の棚を見たら『女性嫌悪を嫌悪する』(2012年)があった。これは上野千鶴子さんの『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(紀伊國屋書店、2010年)の翻訳本であり、「ミソジニー」(女性嫌悪)「ミソジニスト」(女性嫌悪主義者)という言葉を韓国にもたらしたとされている。

 韓国のフェミニズム運動が世の注目を浴びることになったのは2016年5月に起きた「江南駅通り魔事件」がきっかけだった。さらに同じ頃、梨花女子大学では学校当局と対立する女子学生たちの籠城闘争が始まっていた。動き始めた20-30代の若い女性たちの熱気はそのまま、「ロウソク革命」につながっていく。とくに梨花女子大生たちによる朴槿恵元大統領の側近の不正疑惑追及は、一連の政変における最初の大衆行動だった。だから韓国国会が大統領弾劾を決定した12月、SNSに「#梨花女子大ありがとう」という激励と感謝のハッシュタグが並んだ。

「ロウソク革命」の中心には女性たちがいた。その流れの中で、新たに発足した文在寅政権は女性の権利向上や子育て支援の拡充に力を入れる姿勢を見せた。それもあってか、文大統領の支持率はいつも女性の方が高い。特に男女の支持率に開きがあるのは20代で、女性の大統領支持率は50%を超えているのに、男性は20%台。若い男女間の意識差はすごい。 「今、韓国で一番深刻な問題は男女問題、と韓国人の友だちから聞きました」

 福岡のトークショーに来てくれた、地元の大学生が言っていた。

「たしかにね、軍隊の問題もあるし。男性たちの不満も多いと思う」

 そこが日本とは違う、韓国のナイーブな問題だ。

最後にもう一度、お母さんの話を聞こう

 ところで、福岡でのトークショーで、私は2つの「川」の話をした。1つは「『82年生まれ、キム・ジヨン』と柳川のさげもん」の話。拙著を読んだ司会者から、「福岡県のご当地話だからぜひ話してほしい」と頼まれた。それは今から25年前の旧暦3月のこと、撮影で柳川を訪ねた韓国の女性レポーターが、掘割のつるし飾り「さげもん」と段飾りのお雛様を見て、「日本の女の子が羨ましい」と泣いたという話だ。

「当時の韓国では女の子は生まれたら、その日はもうお通夜みたいで、誰もお祝いなどしてくれなかった」

 エピソードにはさらに続きがあるが、ここでは省略する。このリポーターは1961年生まれだったので、キム・ジヨン氏よりも母親のオ・ミスク氏世代に近い。オ・ミスク氏の年齢は原作にも映画にもはっきりとは出てこないが、この作品が「大多数」や「平均的」を大切にしていることを考えると、1982年生まれの次女を25歳で生んだと仮定して、1957年生まれくらいだろうか。今、60代前半である。

 小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の前半部分は、日本人にとっては驚きの連続かもしれない。なかでも出産における男女差別。女だからという理由で生まれることすら許されなかった子がいる。それが1990年代の初頭まで続いていたこと。今の韓国だけ見ていると想像もつかないが、わずか30年前まで韓国女性はそんな過酷な中にいた。

 映画にはそこにもう1つのキーワードが追加される。それがもう1つの川、「清渓川(チョンゲチョン)」である。キム・ジヨンの母親オ・ミスク氏は、男兄弟の学費を稼ぐために「清渓川」で働いていた。

 原作にはオ・ミスク氏が夢をあきらめて男兄弟の犠牲になった話や、それと同じことを娘(キム・ジヨン氏の姉)にしてしまったと慟哭する、胸を打つシーンがある。でも、「清渓川」という単語は登場しなかった。すでに述べたように原作は、誰もがそこに入れるように、具体性を徹底的に排除していた。

 

母は少女の頃、清渓川で働いていた

 「1970年代に清渓川で働いていた」--そのことが何を意味するか? ある年齢以上の韓国人なら皆がその意味を知るだろう。

 清渓川はソウル市の中心部を流れる川の名前である。長らく暗渠だった川は、李明博市長時代の再開発工事で人工の清流が流れる観光スポットとなった。日本のガイドブックでも紹介されている。でも、映画に登場する「清渓川」は地名であり、それは貧困と搾取の現場であった。

 東大門ファッションタウンの入り口、清渓川沿いに今も「平和市場」はある。かつて市場の2、3階には縫製工場がびっしりと並び、小学校や中学校を出たばかりの少女たちが働いていた。ワンフロアを上下に分けた作業場の天井は屋根裏部屋のように低く、背を伸ばして立つこともできず、少女たちは座ったまま昼夜2交代の長時間労働を強いられていた。オ・ミスク氏もそこにいたのである。

 娘にそれを強いてしまったこと、さらに怪我までさせてしまったこと。その母親のハンが孫であるキム・ジヨン氏に憑依する。冒頭でもふれたよう、映画になって追加されたその場面が、映画『82年生まれ、キム・ジヨン』のいちばん見どころであると、個人的には思っている。実はこの作品は、原作も、映画も、随所に隠れたたメッセージが散りばめられているのだ。 

 それらもまた過去には個人的問題や自己責任とされてきたが、ある時に社会全体の問題だと自覚されたのである。清渓川沿いの平和市場で1970年、それに気づいた一人の青年労働者は全身を火に包んだ。これは『美しき青年、全泰壱』(1995年、パク・クァンス監督)という映画にもなっている。また、この時代の女子労働者の劣悪な労働環境とそれを改善するための闘いは、韓国でもっともロングセラーになっている小説『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著・斎藤真理子訳)にも登場する。

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』公開中

© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

配給:クロックワークス

監督:キム・ドヨン/出演:チョン・ユミ、コン・ユ、キム・ミギョン 

原作:「82年生まれ、キム・ジヨン」チョ・ナムジュ著/斎藤真理子訳(筑摩書房刊)

2019年/韓国/アメリカンビスタ/DCP/5.1ch/118分 

原題:82년생 김지영 © 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

 

 

 

 

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第2回  
カルチャーから見る、韓国社会の素顔

「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。

プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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『82年生まれ、キム・ジヨン』――原作と映画、それぞれの凄絶