スポーツウォッシング 第4回

「社会にとってスポーツとは何か?」をアスリートも我々も問い直す必要がある

西村章

20世紀的マーケティング思考から変わり始めたスポンサーたち

 それにしても、スポーツはどうしてこういつも、都合の良い〈洗剤〉として利用されてしまうのだろう。それはひょっとしたら、我々のスポーツに対する関わりかたがまだ充分に成熟しきっていないからではないのか。だから、その隙を突くようにスポーツを便利使いする〈洗濯〉行為が、いとも簡単に行われてしまうのではないか。

 そう考えてみるとき、次にうかぶ問いは、「では、スポーツは我々と社会にとって、いったいどういう存在なのか」ということだ。

「スポーツの競い合いは、あくまでもゲームです。一方で、社会の分断は競い合いによって生まれているともいえます。競い合いで負ければ誰しも悔しいし、勝ったら優越感を覚える。その折り合いを自分でつけていく方法を学ぶこと。それを学ぶための場がスポーツなのだと思います」

 そして、スポーツは身体の可能性を明示してくれるものだ、とも平尾氏は言う。

「トップアスリートのように、例えば内村航平さんみたいに鉄棒から何回転もして降りるようなことができなくてもいいけれども、誰しもが持っている身体って、『研ぎ澄ませるとこんなこともできるんだ』ということを彼らは示してくれている。だから、プロフェッショナルアスリートの頂点を極めた動きを見た時に、自分でもちょっと体を動かしてみようと思って運動してみると、以前より少しだけ体が軽く感じたり、体の使い方がちょっとうまくなったりする。スポーツは、そんな形で多くの人に還元されていくものだろうと思います。

 トップアスリートたちは『自分が思っている以上に、工夫次第で本当にいろんなことをできるんだ』という、人間の身体が持っている可能性を見せてくれる。スポーツ好きな人々は、そんなビッグプレーを見たくてスタジアムに足を運んだりテレビ画面ごしにスポーツを見たりするんだと思うんです」

 ここで注意したいのが、スポーツとひとくちに言っても、トップアスリートたちが競い合うプロフェッショナルの競技スポーツと、広く生活の中で愉しむ生涯スポーツは、そこに向き合う人々のアプローチが大きく異なるということだ。

 競技スポーツは多くの人々にとってあくまで「観戦する」娯楽であり、競技者たちはケガをしてでもプロである以上は最高の結果を求め続ける。一方、生涯スポーツは自分たちが「実践する」娯楽であり、ケガをしないのはもちろん、健康の向上や維持を目指して愉しむ活動だ。同じスポーツとはいっても、このふたつは似て非なるものといっていいだろう。

「メガイベント頼りやプロスポーツ頼みから、身近な生涯スポーツを大切にしていく方向へもっと意識や関心が向いていくようになるんじゃないか。今は、本来なら生涯スポーツとして愉しむものにまでプロスポーツの論理が広がっていますよね。本当は教育の一環であるはずの中学や高校の部活動にも勝利至上主義がはびこっているのは、以前から広く指摘されているとおりです。まるで皆がプロアスリートのようにひたすら勝利だけを目指すのではなく、生涯スポーツの愉しみをもっと大切にしなければいけないと思います」

 この指摘で思い出すのは、全日本柔道連盟が小学生の全国大会廃止を決定したことだ。全柔連のこの決定は、新聞やテレビのニュースでも大きく取り上げられた。

「競争が過熱して勝利至上主義に偏りすぎていたために、その行き過ぎを軌道修正しようという非常に良い決断だったと思います。それ以外にも、たとえば高校野球ではノーサインでプレイする学校が話題になり、ラグビーの世界でも高校の学業としっかり両立させて一日一時間の濃密な練習をして花園にやってくるチームが注目を集めています。

 ひょっとしたら、生涯スポーツには勝ち負けが必要ないのかもしれない。でも、そうすると今度はモチベーションに影響が出て、パフォーマンスを発揮できないかもしれません。だからこそ、勝ちを目指してプレイし、暴れる心を落ち着けながらプレッシャーの中で競技をする。その心と体のマックスを見せてくれるのが、トップアスリートたちです。その競技でプロとして戦う能力を最大限に研ぎ澄ませた選手たちは、皆が思っているよりも遙かに上にある身体の大切さや可能性を見せてくれる。だから、身体と精神の最大限の可能性を常に提示してみせる、ということも、人々に対するスポーツの大きな貢献といえるでしょう」

 ここまでの話は、社会に暮らす個々人とスポーツの関係性についての議論だ。では、社会そのものに対して、スポーツはいったい何をなし得るのだろう。

「おそらく、職場や家族とは違う横のつながりを作ること、だと思います」

 平尾氏は自分自身の思考をまとめるように、ゆっくりと述べた。

「家族は生きていくための最小単位で、血縁関係がある。職場の人間関係は、何らかの利害関係を介している。地域社会は地縁で繋がっている。それら以外のところで世の中と繋がっていこうとしたときに、ネットワークを作り出せるもの、その外側に出るためのひとつのきっかけがスポーツなのだと思います。

 たとえば、小学生くらいの子供にとっての〈社会〉は、家と学校の往復の中で見聞きするものや、あるいは本とテレビから得られる情報をつなぎ合わせて理解するもの、という眼鏡を通して見た程度の広がりです。しかし、スポーツをやることによって、その眼鏡からのぞいていた社会に奥行きが出てくる。小学校5~6年生の時に隣町の学校と試合をすれば、『そうか、彼らはこんなことをやっているんだ』と、社会に対する見方や理解がきっと深まるでしょう。

 自分自身の個人的な経験でも、社会人1年目に日本正代表に準じるジャパンAのメンバーに選出されてニュージーランドへ遠征に行ったことで人々とのつながりが広がり、ラグビーを通じて国境を越えることができました。イングランド発祥の近代スポーツの場合は特に、『社交の精神を育む』という目的がその本質に含まれています。つまり、それまでつながることのなかった人や集団、コミュニティとつながっていく、ということがたぶん、スポーツの最大の目的のひとつだし、社会に与えることのできる大きな影響なんじゃないでしょうか」

 平尾氏が説明するこのようなプロセスを通じて、競技スポーツと生涯スポーツの棲み分けや使い分けがさらに進み、スポーツと社会の関係が成熟度を増してくれば、スポーツは人々にとってさらに身近で親しみやすい存在になる。つまり、人々とスポーツの距離が縮まれば縮まるほど、勝敗やナショナリズムや感動、といった使い勝手のよい道具で誘惑する〈便利な洗剤〉はその機能を弱めていくのかもしれない。

 スポーツと人々、スポーツと社会の関わり合い方が変わってゆくのと同様に、スポーツを支援・スポンサードする企業の考え方も今後は変わってゆくだろう、と平尾氏はいう。

「日本では、スポンサー企業は支援するスポーツやアスリートを、自社イメージを健全に保つためのマスコットのような形で捉えているところがまだ多いかもしれません。しかし、スペインの名門サッカーチーム・ビジャレアルCFで育成を担当する佐伯夕利子さんから伺った話では、スポーツに対する企業の考え方も変わってきて、今は男女差別やジェンダーに対して積極的に関わっていくことが企業の評価やビジネスに直結している、ということでした。

 佐伯さんがおっしゃっていたのは、単にアスリートを何人も育成して、ワールドカップ等の世界大会で勝つための強化費をどんどん放り込むだけのスポンサーではなく、どんな運営の仕方があるのか、どういう姿勢でその競技に取り組み支援するのか、という、そのクラブの方針や理念にきちっとコミットしていくスポンサーが今後は主流になってくるだろうという話で、それを聞いたときに『これは大きな希望だな』と感じました」

 つまり、今後の社会でスポーツを支えていく企業は、自分たちのプレゼンス向上や広告の費用対効果といった20世紀的なマーケティング思考を超えて、自分たちのESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:ガバナンス)に向き合う姿勢が問われていることを否応なく意識せざるを得ない、ということだ。

「だから先ほどの話に戻るんですが、スポーツとは何だろう、社会にとってスポーツとはどういう存在なんだろう、ということを我々は問い直さなければなりません。そうしなければ、スポーツはいつまでも、よく落ちる洗剤として(政治に)利用されっぱなしです。

 でも、そこにスポーツウォッシングという補助線を引くことができれば、アスリートや競技関係者たちは自分たちが都合良く利用されているとわかるだろうし、その認識ができれば防衛策を張ることもできる。そして、その理解が進んでいくことによって『社会の中でのスポーツの役割って何だろう。スポーツの価値を高めていくために、自分たちは何をしていけばいいのだろう』という議論にも進んでいけるのだろう、という気がします」

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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