スポーツウォッシング 第5回

「国家によるスポーツの目的外使用」その最たるオリンピックのあり方を考える時期

西村章

 世界最大のスポーツイベントは、いうまでもなくオリンピックだ。4年に一度、世界各国から開催都市に集まる選手団や関係者の人数は、どんな人気競技の世界大会よりも桁違いに大きい。また、報道量や、大会に関わる様々なビジネス、そこから派生する経済効果等々、オリンピックはあらゆるスポーツイベントの中でも最大だ。だからこそ、連日メディアを騒がせているような利権を巡る汚職事件が後を絶たないし、ドーピングなどの不正行為も大会のたびに話題になる。

 スポーツジャーナリストの二宮清純氏は、このオリンピックを1988年のソウルから現在まで長きにわたり取材を続けてきた。幅広い競技や選手たちを取材してきた中では、スポーツウォッシングに類する出来事も現場で直接見聞きしたという。スポーツウォッシングとは「国家によるスポーツの目的外使用」だと話す二宮氏に、スポーツはどんなふうに目的外使用をされていくのか、そして、これからのスポーツと社会はどんな関係性を目指していくべきなのか、について話を聞いた。

二宮清純(にのみや・せいじゅん)

スポーツジャーナリスト。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。1960年、愛媛県生まれ。スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。経済産業省「地域×スポーツクラブ産業研究会」委員。認定NPO法人健康都市活動支機構理事。

「スポーツウォッシングという言葉は登場してまだ間もない、比較的新しい概念なので、何をもってスポーツウォッシングというのか、どこまでの行為がスポーツウォッシングなのか、という細かい定義は識者によって多少の違いがあるかもしれません。スポーツって、本来は楽しいものじゃないですか。その楽しいものを国威発揚のために利用するとなれば、これは目的外使用ですよね。私なりにスポーツウォッシングを定義するとすれば、〈国家や企業によるスポーツの目的外使用〉といったあたりになるかと思います」

 二宮氏は、長年のオリンピック取材で「これは国威発揚や政権浮揚のために利用しているな」と感じたことは何度もあった、と振り返る。たとえば近年のオリンピックでは、2008年の北京大会でその気配を濃厚に感じたという。

「あのオリンピックは、中国が経済発展を遂げていくシンボルだったと思いますが、北京開催が決定したことでチベットや新疆ウイグル自治区の人権問題に対する注目も大きくなっていました。当時の北京は、発展している地域とそうでない地域、ダウンタウンやスラム的な地域もあったわけです。そのような部分を報道陣には見せようとしませんでした。貧富の差、そして拡大しつつあった格差を外国の報道機関にあまり知られたくない、という意図があったからだろうと思います」

 2008年の北京オリンピックは、アジアで行われた夏の大会では1964年の東京、1988年のソウルに続く3回目のオリンピックだった。この3つの大会に共通するのは、大きな経済成長を果たして先進国と肩を並べたことを世界に示す国威発揚の機能だった、と二宮氏は指摘する。

「アジア初のオリンピックになった1964年の東京大会は、日本が戦後、国際社会に出ていくことを世界に示すためのオリンピックでした。1988年のソウルオリンピックには私も現地に取材へ行きましたが、これもやはり韓国の経済発展を知らしめる意図がありました。そう考えていくと、『先進国のパスポートを手にしたい』という意味では1964年の東京も88年のソウルも2008年の北京も、共通したものがあったのだと思います」

 1988年のソウルオリンピックは、1980年のモスクワ、1984年のロサンゼルス、に続いて行われた大会だ。モスクワは、ソ連のアフガン侵攻に抗議するという理由で西側諸国の多くがボイコット。1984年のロサンゼルスでは、その報復としてアメリカのグレナダ侵攻への抗議という名目で東側諸国が参加をボイコットした。1988年のソウルは、政治に翻弄されたこれら2大会を経て東西両陣営が久々にスポーツの舞台で競い合う大会になった。

「国家の威信があれほどガチンコでぶつかり合ったことは久しくありませんでした。その結果、かつてないほどのドーピング合戦になったわけです」

 陸上男子100メートルで世界記録を更新して優勝を飾ったベン・ジョンソンが、ドーピング検査で陽性反応が検出されて、新記録取り消しと金メダルを剥奪された一件は非常に有名だ。この事件で、ドーピングという言葉が広く世界に知られるようになったといってもいい。ソウルオリンピックでは、これ以外にも多くの選手がドーピング検査の陽性が出た、と二宮氏は言う。

「西側諸国と東側諸国のドーピングは、それぞれ意味合いが違っていました。西側諸国のドーピングは資本主義型。これは、金メダルを獲り世界記録を出すことによって金を稼ぐ、いわば一攫千金を狙ったものです。一方、東側諸国は、当時の東ドイツなどが典型ですが、国威発揚型のドーピングでした。つまり、同じドーピングでも種類が違っていたわけです。
 一方で、この時期のオリンピックは1984年のロサンゼルスで成功した商業主義の手法がさらに進んで、スポーツ関連会社や飲料メーカーなど様々な企業が公式スポンサーとして参入しました。では、ドーピングで揺れた1988年の大会は、スポンサードした企業にとってプラスだったのか、それともマイナスだったのか。これは各企業の判断によるでしょうが、以降も金を出し続けたということは、ネガティブな材料があったとしてもそれを上回るメリットがあったからでしょう。それがオリンピックの魅力であり、魔力でもあるのだと思います。たとえいろいろな矛盾があっても、お祭りの喧噪がそれをかき消してしまう。オリンピックには、そうした現実があります。」

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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