スポーツウォッシング 第6回

カタール・サッカーW杯に日本のメディアと選手は抗議の声をあげるのか?

西村章

 2022FIFAワールドカップ・カタール大会が11月20日に開幕する。4年に一度行われるサッカー界最大のイベントが近づくにつれ、関連報道を目にする機会も少しずつ増えてきた。テレビのスポーツニュースでは、ワールドカップの話題になるとアナウンサーが一段ギアを上げたような調子の声で期待と昂揚感を煽り、スポーツ新聞やネットメディアも関連ニュースの取り扱い量を少しずつ増やして世の注目を惹きつけようと図る。

撮影/西村章

 日本代表は決勝トーナメントに勝ち上がることができるだろうか、欧州や南米の強豪国はいったいどんな試合を見せるのだろう、意外な強さを発揮して番狂わせのジャイアントキリングをやってのけるチームはあるだろうか……等々、熱心なサッカーファンに限らずとも、スポーツを愛する多くの人々が11月下旬から中東の地で繰り広げられる「勇気と感動のドラマ」を心待ちにしていることだろう。

 このように祝祭感を盛り上げる事前情報やニュースが増えていく一方で、しかし、日本ではほとんど報道されない話題がある。競技場建設などの苛酷な労働で5000人を超えるとも言われる移民労働者たちが落命した事実とそれに対する補償の問題、また、主催国であるカタールの性的少数者に対する抑圧や刑罰など、前時代的な人権の取り扱いに警鐘を鳴らす報道だ。

 日本語のスポーツニュースやサッカー関連情報を見る限り、これらの問題を真っ正面から取り上げて論じる番組や企画は、まず見かけない。せいぜい、新聞の国際欄などで欧州発の外電を手短な記事でごく散発的に紹介する程度だ。

 これほど情報量が少ないと、日本のサッカーファンやスポーツファンのなかには、今回のW杯開催を巡ってこれらの問題が世界で長く議論の的になってきたことに気づかないままの人々もいるかもしれない。あるいは、なんとなく程度にうっすらと知ってはいても、しょせんは自分たちに関係のないこと、スポーツの盛り上がりに水を差す無粋なニュースとして聞き流し、記事をただ素通りしているのかもしれない。

 これこそがまさに、スポーツウォッシングだ。

 つまり、我々はいま、2022FIFAワールドカップを巡るこの問題について、大規模なスポーツウォッシングが日本で始まろうとする様子を目の当たりにしている、ということだ。

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 2022FIFAワールドカップ・カタール大会は、2010年の開催決定以来、首都ドーハやその郊外で道路の拡幅と鉄道敷設、会場や宿泊施設の建設など、大会実施に関わる様々な大規模工事が続いてきた。そして、その作業に従事した数千人の移民労働者たちが劣悪な労働の結果、命を落とした。その詳細については、当連載の第一回で紹介したとおりだ。また、国別の移民労働者死者数などについては、2021年2月23日付の英紙The Guardianで詳細に紹介されている。

 そしていよいよ11月末の大会開催が近づくにつれ、この問題に対して各国代表チームやメディア等が次々と批判や抗議の意志を表明しはじめている。

 たとえば、フランスの地方新聞は、大会を「ボイコット」して記事をいっさい報道しないと発表。同じくフランスでは、パリやマルセイユ、ストラスブールなど8都市が、ビッグスクリーンで多くの人々が観戦するファンゾーンを設置しないと決定した。

 また、デンマークのスポーツブランド・ヒュンメルは、同国代表のユニフォームデザインを地味なものにし、サードキットのカラーに黒を採用することでカタールへの抗議を表明する、と発表した。デンマーク代表はさらに、今回の大会参加に際して、通常なら行動を共にする家族を帯同せず、選手たちが単身で現地へ遠征に赴く、とも明らかにしている。このデンマーク代表チームのキャプテンは、多様性やLGBTの人権を象徴するレインボーカラーを配し〈One World〉と記した腕章を着用することも表明しており、イングランド代表キャプテンも同様の腕章を使用するという。

 イギリスの有力紙The Guardianは、論説記事でこの問題を詳細に論述し、イングランドサッカー協会(FA)がようやく重い腰を上げて移民労働者の死亡・労働補償をFIFAに働きかけるようになったと報告した上で、そのFIFAに対して「体裁を取り繕うのではなく、いまこそ行動するときだ」と強く呼びかけている。また、同じくイギリスの有力紙Telegraphも同様に、FA(イングランドサッカー協会)は行動を起こすまでになぜこんなに時間がかかってしまったのか、と批判する論説をサッカー担当の主任記者が執筆している

 最新情報としては、オーストラリア代表チームが公式にカタールの人権状況を批判する声明を10月27日に発表したというニュースは、同国Sky Newsなどを皮切りに世界で大きく報じられた。

 さらにもうひとつ面白いのは、今回の開催国カタールの放送局アルジャジーラが、この問題で国際的な批判が高まっていることについて、上記各国の批判的行動をニュースで紹介しているという事実だ。

 自国開催の巨大スポーツイベントが人権等の見地から大きな批判を受けていることを、包み隠さずにレポートするのは、報道として当然のことだ。だが、これがもしも他の中東諸国で発生した問題で、放送局がアルジャジーラではなく、たとえばアラブ首長国連邦やサウジアラビアの放送局なら、自国に対する批判をこのように正面切って紹介するようなことはおそらくしていないだろう。

 ちなみに、フランス各都市が抗議の意思表示としてファンゾーン設置を中止するという上記のAFP通信記事はかなりのボリュームだが、同様の内容を紹介する共同通信記事は数行程度のじつにあっさりした内容だ。つまり、カタールの人権問題は、日本ではこの程度の報道価値にすぎないと判断されているのだろう。

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 と、ここまで紹介してきた各種の情報は、その気になって少しWebサイトを検索すれば簡単にわかることだ。しかし、日本ではこれらの情報が流通しない状況もさることながら、日本のサッカー界自体がこの問題をどのように捉えているのか、ということが判然としない。日本のサッカー界、あるいは代表チームや個々の選手たちに、この問題に関してなんらかのアクションを起こす意思ははたしてあるのだろうか。

 そこで、この疑問を日本サッカー協会に直接投げかけてみた。

 取材を申し込む際に、近日中で先方の都合がよい日時に30分程度の直接の対面取材を希望している旨を伝え、対面取材が難しい場合にはZoomなどのリモート取材をお願いできればありがたい、もしくは書面による回答をいただきたくお願いしたい、と依頼状を送付した。回答がないまましばらく時間が経過し、2週間ほどした頃に日本サッカー協会広報部からじつに素っ気ない書面回答がメールで届いた。

 以下にその回答全文を紹介する。

日本サッカー協会(JFA)は国際サッカー連盟(FIFA)の加盟団体として、FIFAが定める規則や規約、ポリシーに従って活動しています。競技そのものだけでなく、紛争や自然災害なども含めてあらゆる社会課題の解決について、FIFAやFIFAに加盟する各国のサッカー協会と連携を取りながら行なっている活動も含まれています。

サッカーは、国籍や人種、言語、宗教、国際情勢などの枠を超えて世界の人々との相互理解や友情を深めることができる力を持ったものでもあり、今回ご連絡いただいた内容についても、FIFAおよび世界中のサッカーファミリーとともに、人権を尊重することにコミットし、人権保護の促進に取り組んでいくものと考えています。こうしたことは継続して活動に取り組んでいくことが重要であり、あらゆる人権上の問題を撲滅すべく、FIFAおよび世界中のサッカーファミリーとともに、更なる人権保護の促進に向けて取り組んでいく必要があると考えています。

JFAの人権保護に関する考え方として、JFAが行っている日本国内での取り組みをご参考までにお伝えいたします。昨今のように暴力や差別、ハラスメントなどが社会の中で大きな注目を集めるようになった遥か以前の1989年から、JFAは指導者や選手、関係者に広くフェアプレーやリスペクトの大切さを広める活動をしてきました。1998年には「JFAサッカー行動規範」を策定し、2009年には「リスペクトプロジェクトを発足させて啓蒙活動に力を注いでいます。同じく2009年7月には、国際連合が提唱する「国連グローバル・コンパクト」に日本国内で93番目の企業・団体として、スポーツ団体としては世界で初めて登録されています。更に、JFAは、日本の中央競技団体としてはじめて、ユニセフ(国連児童基金)と日本ユニセフ協会が2018年11月20日に発表した「子どもの権利とスポーツの原則(Children’s Rights in Sport Principles)」に賛同し、それを参考に2019年5月には「JFAサッカーファミリー安全保護宣言」を発表するとともに、上記国連グローバル・コンパクトとUN Womenが共同で作成した「女性のエンパワーメント原則」にも署名し、スポーツ界の女性活躍を推し進めるべく、「JFA女性リーダーシップ・プログラム」を実施するなど、諸問題の解決に継続して取り組んでいます。

 一読、なんとも無味乾燥で当たり障りのない文言が連なった文章、という印象は拭いがたい。カタールで建設作業等に従事した移民労働者の死亡補償と救済の要求、同国での人権抑圧状況への抗議など、W杯参加国競技団体や選手たちが積極的な行動を起こしている一方で、日本や日本人選手は何らかの意志表示を行うつもりはあるのか、あるとすればどのような行動を取るのか、という質問に対する具体的な回答はなにも記されていない。上記文中の「今回ご連絡いただいた内容についても、FIFAおよび世界中のサッカーファミリーとともに、人権を尊重することにコミットし、人権保護の促進に取り組んでいくものと考えています」というくだりに、質問に対する漠然とした言及がごくわずかに感じ取れるかどうか、という程度だ。では、そのためにはどうするのか、何をしなければならないと考えているのか、という具体性はなにもない。

 全体としては、言質を取られないように具体的な固有名詞や事象には触れないまま、自分たちが人権保護啓発活動に積極的に取り組んできたと主張する、いかにもお役所的で事なかれ主義のような文章だ。

 ただし、日本のサッカー界が総じて反人種・民族差別の啓発運動に積極的かつ前向きに取り組んできたことは事実だろう。たとえば、やや旧聞に属するが2014年の浦和レッズ差別横断幕に対する無観客試合という対応、そしてその後にメディアや選手、関連団体で闊達に行われた議論は、日本サッカー界の健全さをよく示している。

 また、昨年の東京五輪では、女子サッカーチームがイギリスとの試合前に、相手チームの反差別アクションに呼応する形で自分たちもピッチに片膝を突く行動をとり、差別反対の共感と意志を示したことは記憶に新しい。

 ならば、今回のFIFAワールドカップでも、代表選手たちに何らかの意思表示や行動を期待することは可能だろうか。上記JFAの質問回答から推測すると、日本のサッカー界がデンマーク、イギリス、オーストラリア等のように組織として何らかの意思表示を行うことはおそらく期待できないだろう。であるとすれば、次に我々が期待をつなぐことができるのは、選手個々人の行動だ。

 日本代表のキャプテンを務める選手は、はたして腕にレインボーカラーを配したアームバンドを巻くだろうか。また、ピッチに立つ選手たちも同様に、自分たちが立つスタジアムの建設で命を落としていった何千人もの人々に対する哀悼の意や、国内の人権状況への憂慮を示す何らかの象徴的なアクションを取るだろうか。これはアスリートたちが世の中の出来事にもっと積極的に声を上げるようにとジュールズ・ボイコフ氏や平尾剛氏たちが提唱している〈アスリート・アクティビズム〉の問題でもある。

 そして、この大会を伝える日本の活字・放送メディアは、はたしてどのようにこの2022FIFAワールドカップ・カタール大会を報道するのだろう。ひたすら「がんばれニッポン」の大合唱に興じ、勇気と感動の類型的な物語を飽きることなく再生産し続けるのであれば(そしてそうなる可能性は非常に高い)、我々は昨年の東京五輪に引き続き、またしても大規模なスポーツウォッシングを目の当たりにすることになる。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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