「そばで見ると、あの筋肉の威圧感たるや、尋常じゃないですよ。平成の世になって、ロード・ウォーリアーズが日本マットを席巻しましたが、彼らの筋肉はジムワークとプロティンで作られた感じがするじゃないですか。もちろん、彼らの体作りは素晴らしいですし、納得させられる強さを持っていましたけど、ちょっとね、スタミナに難があるように見受けられましたもんね。その点、リソワスキーやブルーザーはスマートに作られた計画的な筋肉じゃなく、持って生まれたものを単純に強化し、強靭にしていった感じがするんですよ。その結果、ゴツゴツと岩のようにゴツくなっていったというかね」
胸に食パンをギュッと押し込んだような分厚い筋肉。
「ええ、そういう筋肉のほうが闘っていても息が上がらないんでしょうね。だから、果てしなく限りなく馬場さんや猪木さんを殴り続けることができたんでしょう(笑)」
そういう男たちって、昔から女性にはモテまくりですよね。
「モテたはずですよ、彼らは。実際に有名レスラーが来日すると、何人かアメリカの女性が同伴していましたから。そういえば、ペドロ・モラレスっていたでしょ」
ラテンの黒豹!
「そうそう」
第4代WWWF世界ヘビー級チャンピオンで、連射式のドロップキックが得意技でした。当時、ドロップキックの美しさは世界で3本の指に数えられ、一説には馬場さんに32文ロケット砲を指導したのはモラレスだといわれています。
「彼なんか常に6~7人の女性を連れて歩いていましたから」
納得です。顔が異常に濃くて、見るからに性豪って感じでしたもん。
「(笑)。本当にそうだと思います。ただ、レスリングはうまかった。レスラーとしては小柄でしたけど、俊敏力あふれた動きで、実にメリハリの効いた闘いぶりを見せてくれました」
筋肉が柔らかいんですね、きっと。
「ええ、はいはい。リソワスキーやブルーザーとは逆にね」
うれしいぞ、たまらんぞ! 徳光と語り始めて1分後には、祖母の夜話で感じた眠気もぶっ飛ぶワクワク感を噛み締めることができた。これは祖母のありがたき導きか、徳光和夫は誰もが聞き入ってしまうプロレス夜話の語り部のひとりだったのだ。それも極み、極上の語り部だと思う。
なぜならば、徳光は“ソコ”、つまりリングにいた稀有な実況アナウンサーだったからだ。
(第2夜につづく)
プロフィール
1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。