YouTubeが大学になる(かもしれない) 第4回

『資本論』と「稼ぐ力」

藤谷千明

「連帯」よりも「勝ち抜け」

今年3月に発売された逢坂冬馬さんによる長編小説『ブレイクショットの軌跡』(早川書房)は、第173回直木賞を逃したものの、SNSを中心に読者から熱い支持の声があがった話題の一冊です。架空の国産SUV「ブレイクショット」を起点に、自動車期間工、投資会社の創業者、将来を期待されるサッカー少年、中央アフリカの少年兵……さまざまな世界を生きる人々の物語が目まぐるしく交差する展開にページをめくる手が止まりませんでした。

なぜ突然こんな話をはじめたかといいますと、この小説に登場する「カズ塾長の一億経済塾」が、リベラルアーツ大学を彷彿とさせると話題になっていたからです。

犬のCGアバター「カズ塾長」が、経済的自立を目指しマネーリテラシーの向上を説くYouTubeチャンネル「カズ塾長の一億経済塾」。登録者数は50万人を越え、著作は書店の平台(※棚ではなく表紙がみえるように台に置かれていること。「売れている」本が置かれている場合が多い)に置いてあるほどの人気、塾長の口癖は「目標を達成するのに、今日より早い日はありません」……どこかで聞いたことあるようなチャンネルの運営者・志気のスタンスは、作中で次のように描かれます。

世の中に不平を言っている人は勝てない。けしからんと怒る人は罠に落ちる。ゴシップは無駄。繰り返し刷り込まれる思想は「世の中に不満があるからといって、世の中を変えようとしても無駄」というものだった。それが正しいか否かは志気には分からない。だが、動画を通じて格差社会を突きつけられた視聴者が、労働運動などに取り組んで世の中を変えようとしても、自分が儲からないことは確かだった。未来への不安を前提に投資への楽観論を語り、「自分の言う通りにすれば未来は明るい」と信じさせた。

実際にリベ大がモデルかどうかはさておき、社会変革よりも現状に適応するノウハウを重視する──それこそが現代における“賢い生き方”であると「ネットを通じて広められている」ことが、多くの人にリアリティをもって受け止められているのだな〜と、この作品のヒットを通じて感じたのでした。

そして、本連載の第3回が公開されたとき、メディア研究者の渡部宏樹さんがTwitter(現X)に投稿していた感想を思い出しました。

そもそも論で言うとリベラルアーツって専門知で取りこぼされる市民的教養を育みましょうって理念だったと思うんだけど、教養というものが他者に卓越して経済的にサバイブする武器のひとつみたいになっている。そのことには現実に生きている人間の切実さがあるんだとは思う。

https://x.com/kohkiwatabe/status/1685227517291196417

ただなあ、一般論として、「弱い個人が自分の利益追求だけしてると全体として強いやつに搾取されるから協力しようぜ」っていう発想自体が弱い個人を搾取するために使われる構造があるようで、どうしたらいいんだろうかと思う。

https://x.com/kohkiwatabe/status/1685229158744616960

専門化した大学が見落としたものをリベラルアーツ大学がちゃんとカバーしようとしてそれもうまくいかず、非大学のビジネスがリベラルアーツの名前で多くの人にアピールしている事実は重く受け止めないといけない。

https://x.com/kohkiwatabe/status/1685230911414304768

ざっくり言うと、労働組合を作って連帯したらみんなの労働環境が大きく改善するところに、「これがあれば一人だけ勝ち抜けますよ」っていう商品が「教養」とか「文化」という名前で大量に供給されている感じ。でも教養も文化も、自分を自己自身や他者に深く開いていくもののはずじゃん。

https://x.com/kohkiwatabe/status/1685437579603345408

渡部さんの一連の発言で注目したいのは最後の投稿です。労働組合などで連帯して労働環境を改善するのではなく、個人の資産を増やすための投資や節約ノウハウを提供するコンテンツが「教養」とされ、支持されている現状への違和感が述べられており、それはごもっともだと思います。ただ、正直なところ労働運動に対してリアリティを持っている人が、今の世の中にどのくらいいるのでしょうか。まず、わたし自身に労働運動が身近に感じられることがあまりなかったからそう感じるのかもしれませんが。

たとえば、81年生まれのわたしにとって「ストライキ」は、小学校に上がる前、母が「今日はバスがストライキで来ないらしい」と話していたことをぼんやり覚えている程度です。その後の就職先でも労働組合の存在を感じたことはなく、そもそも大半の時期を非正規雇用やアルバイトとして過ごしてきたため、組合があったとしても気づかなかったのかもしれません。フリーターのための労働組合が初めて結成されたのは04年のことだそうです。

労働組合が取りこぼしたもの

日本の労働組合は社会状況や雇用形態の変化に組合の対応が追いついていなかったという見方もあります。たとえば就職氷河期と呼ばれた1990年代〜2000年代なかば、企業ごとに組織される「企業別組合」が中心であったことも影響し、既存の正社員の雇用を優先する一方で、就職氷河期には新卒や非正規雇用の労働者に対して無力だったと指摘する声もあります。

たとえば、政治学者・白井聡さんがカール・マルクスの「資本論」を現代的な事例を盛り込んで読み解いていく『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)には、このような記述があります。

そして、一九九〇年代以降、急速な雇用の脱正規化が進んでいく中で、この資本の側に立っているのか労働の側に立っているのか、正体不明の組合は、資本が進める労働者階級全般の不安定化に対して何の歯止めにもなりませんでした。やってきたことは、正規雇用者の雇用のみを守る。職場における非正規雇用者への差別も無視する。たとえば正規社員は食堂を使えるけれども、非正規のスタッフには使わせないとか、別料金にするとか、もうルールがどうとか経済がどうとかいう問題以前に、「人としておかしいだろう」という差別が平然と行なわれている職場がたくさん出てきても、労働組合はそういう問題に対してまるで無頓着のまま、資本側の協力者としてふるまってきたわけです。そのなれの果てが今の日本労働組合連合会・略称「連合」です。労働組合までもが新自由主義化したということです。

『武器としての「資本論」』( 東洋経済新報社)

白井さん自身も氷河期世代であり、同世代が過酷な労働環境で病んでいるのを目の当たりにし、この世の中を生き延びるための知恵が「資本論」にあることを訴えたいと、本書を執筆したとあります。

さて、時は流れて2020年代に入ると、労働組合の存在があたらめて注目されるようになりました。たとえば、2023年8月に老舗百貨店のそごう・西武の旗艦店である西武池袋本店が大規模なストライキが行われたことは、大きなニュースになりました。百貨店業界でストライキが起きたのは61年ぶりになるそうです。そして今年初頭、フジテレビではタレントによる女性アナウンサーへの性加害が組織ぐるみであったという報道を発端にして、労働組合の加入者が6倍に増えたと報じられました。

朝日新聞記者である藤崎麻里さんが、国内外の労働組合の現在を追った『なぜ今、労働組合なのか 働く場所を整えるために必要なこと』(朝日新書)という新書があります。非正規雇用者や外国人労働者も視野に入れた、古いイメージにとらわれない現代の労働組合の姿が紹介されていました。

また、つい先日わたしの周囲でも、友人のひとりが、職場で理不尽な目に遭った際に個人で加入できる労働ユニオンを通して交渉することで、保障を受けることができたと話していました。とはいえ、同書でも「数字で見れば日本で働く人のうち、10人のうち8人は労組に入っていない」と指摘されていましたし、昨年厚生労働省が発表した令和6年「労働組合基礎調査」によると単一労働組合の組合数も人数も減少しているとのことで、やはり、あまり身近に感じることのできる存在ではないようです。

さらに同書によると、フリーライターであるわたしの働く業界にも「ユニオン出版ネットワーク」という出版業界で働くフリーランスのための組合が存在し、「春闘の時期に報酬アップを訴える活動を展開している」と紹介されていました。

そこで思い出したのが、先月Twitter(現X)でのフードライター・コラムニストの白央篤司さんの投稿をきっかけにして巻き起こった議論です。

ライター稼業の整理、ということをこの1年でものすごく考えるようになった。私を必要としてくれる人はいるにはいるが、彼らの提示するギャラでは全く生きてはいけない。今後は親の介護も一人っ子の私にきっとのしかかってくる。そもそも全然稼げていない。もう今までみたいには生きてはいけない

https://x.com/hakuo416/status/1962091188661690647

ライター仕事のコストと原稿料が見合っていない、こんな状況では将来を考えるととてもやっていけないという声に対して、同業者を中心に様々な意見が飛び交いました。しかし、やはりここでも「出版社に交渉を」という声よりも、「時代に合わせた別の商売の仕組みを考えよう」といった意見が目立っていたように感じます。そしてやっぱりわたし自身も後者の側のほうが合理的であると感じてしまうのです。

「稼ぐ力」の切実さ

話をリベラルアーツ大学に戻します。

リベ大が提唱しているお金にまつわる5つの力(「貯める力」「増やす力」「稼ぐ力」「使う力」「守る力」)の中の、「稼ぐ力」をみてみましょう。

お金持ちになりたい人が伸ばすべき「5つの力」その③は、「稼ぐ力」や!

「稼ぐ力」は、自分のスキルと考える力で、どんな時代・状況でも十分な収入を得る力のこと。

大事なのは「自分には特別なスキルはないから…」って諦めるんじゃなく「自分はどんな稼ぎ方ができるのか?」って考えて行動する事やで。
それができればどんな時代でも生きていける^^

 ・収入を増やすために必要な基礎知識、考え方

 ・生活を豊かにするための収入源の育て方

 ・仕事がデキる人になるための考え方

など、「稼ぐ」ための知識にフォーカスした内容は下記のリンクからチェックしてな^^

https://liberaluni.com/gallery-2

ここで紹介されているものは、副業や転職、起業に関すること、あるいはそのためのスキルアップのノウハウ紹介が中心で、給与や待遇に関する交渉の話は見当たりません。交渉はノウハウ化しようにも業界や企業によって条件が異なることも多いため、再現性のあるものにしづらいのかもしれません。あるいは、リベ大の学長自身が「経営者=資本家」であることも理由のひとつかもしれません。しかしそれ以上に、これまで話してきたように、わたしたちにとって「労働交渉」そのものが身近ではない、という現実があるのではないでしょうか。

再び『武器としての「資本論」』を引用します。本書では、みんなが「資本論」を読めば世の中は大きく変わるのではないかと、白井さんの願いが語られています。

「これを読まないわけにはいかない」と感じて、みんなが一生懸命『資本論』を読むという世界が訪れてほしいと思うのです。そこまで行けば世の中は、大きく変わります。なぜみんなこんなに苦しみながら、苦しまざるを得ないような状況を甘受して生きているのか。「それは実はとてもバカバカしいことなのだ」と腑に落ちることが大事なのです。腑に落ちれば、そのバカバカしさから逃避することが可能になります。

「ヤバかったら、とりあえず逃げ出そう」となれば、うつ病になったり、自殺してしまったりというリスクから身を遠ざけることができます。さらには「こんなバカバカしいことをやっていられるか。ひっくり返してやれ」ということにもなってきます。『資本論』を人々がこの世の中を生きのびるための武器として配りたい――本書には、そんな願いが込められているのです。

リベ大の書籍『本当の自由を手に入れるお金の大学』は累計150万部を越えたそうです。みんなが「これを読まないわけにはいかない」と手に取ったのは「資本論」ではなく『お金の大学』といえるのが現状です。お金をとりまくゲームの板をひっくり返すのではなく、そのゲーム板の上で生き延びるための技術が「教養」と呼ばれている、それが今の世の中なのでしょう。

ここから、『ブレイクショットの軌跡』の終盤の展開に少しふれてしまうので、一切のネタバレが許せないという人だけ、以降は読まなくても大丈夫です。

なぜリベ大は続くのか

物語終盤で、カズ塾長の「一億経済塾」は崩壊してしまいます。そして作中世界のYouTubeでは、今度は投資情報をわかりやすくレクチャーする「マネリテ塾」というチャンネルの「ジョー先生」が新たに人気を博していました。話している内容は大差ないのですが、コメント欄にはジョー先生に熱狂し絶賛する人々の声で溢れています。話している内容はカズ塾長と大差ないようなのですけどね。登場人物のひとりである本田昴は、それを眺めてこうひとりごつのでした。

わかりやすい。たしかにその感想は変わらない。だが、世の中にある情報ってそんなに「わかりやすく」できるものなんだろうか。ひょっとして僕やこのコメント欄の人たち、世の中の多くの人たちは、いつも複雑な世界を過剰にわかりやすくしてくれる「誰か」を求めていて、その一人がジョー先生なのではないだろうか。

そして、昴はこうも考えます。

見ず知らずの、しかも誰だか分からない人が発するお金の話に耳を傾けるなんて、考えてみたら変だよ。

ドのつく正論、ド正論です。しかし、では誰の発するお金の話であれば「耳を傾ける」べきなのでしょう。たとえば、歴史に残る経済学者でしょうか?

リベ大では「マルクス本人は金遣いが荒く、借金を重ねていた」的な雑学エピソードが「【ズルい?】実はみんな経済的自由!伝説の経済学者たちのお財布事情とは?」という動画で紹介されており、「資本論」そのものの話は語られている様子がありません。

この動画は両学長の「歴史に残る経済学者も、経済的自由がなければ研究成果をまとめることはできなかった。やりたいことに没頭するためにお金(経済的自由)を求めた」というまとめで締めくくられ、コメント欄では「やっぱり経済的自由は大事ですね!」という声が並び、なかには「マルクス(笑)」的なコメントも寄せられていました。

「事実は小説よりも奇なり」とは、こういう状況を指すのでしょうか……

投資をテーマにした羽田圭介さんの『Phantom』(文藝春秋)にも、オンラインサロン的な共同体「ムラ」が登場します。一見新しそうに見えたそれは、欲望に取り憑かれた権力者が弱者を虐げていたことが明るみになり、やっぱり崩壊してしまいます。物語の中で、よくわからない共同体はだいたい破滅を迎えるものなのでしょう。

人間の肉体が欲するものなどバリエーションに限りがあるぶん、中央集権的に不自然に集まった力が向かう先は、過去のカルト集団と同じになる。人間が老化する肉体をもっている限り、なにも新しくなんかりようがないだろうと華美は思う。

リベラルアーツ大学は今のところ続いていきそうですが、それはなぜなのでしょう。物語の中の謎の共同体はいつも元気よく破滅を迎えているというのに。それを考えるために、次回はとある実在した共同体の話をしたいと思っています。

その共同体とは、思想家の柄谷行人さんが主宰したNew Associationist Movement、通称「NAM」です。

参考文献
逢坂冬馬『ブレイクショットの軌跡』(早川書房)
白井聡『武器としての「資本論」』( 東洋経済新報社)
藤崎麻里『なぜ今、労働組合なのか 働く場所を整えるために必要なこと』(朝日新書)
「「何で氷河期世代は、労組嫌いのネトウヨが多いか」→「労組が正社員制度維持と失業ヤダと駄々こねて若者を救わなかったから」は本当か?-頭の中にミカンを乗せる」
https://www.tyoshiki.com/entry/2025/06/19/070000

「ライターという仕事は『別に本業のある人か、主の収入がある人のやること』になっている」有名フードライターの呟きに、同業者から厳しい現実を嘆く声が集まる
https://togetter.com/li/2596852
羽田圭介『Phantom』(文藝春秋)

 第4回
YouTubeが大学になる(かもしれない)

「両学長 リベラルアーツ大学」「中田敦彦のYouTube大学」「日経テレ東大学」…… ここ数年、YouTube上で学問の知識や教養、お金のやりくりについて教授するYouTubeがブームになっている。そうしたコンテンツはなぜ「大学」という名前を冠しているのか。視聴者たちは、なぜそうした動画に熱狂しているのか。フリーランスのライターとして、ポップカルチャーやネットカルチャーについて取材・執筆を続けてきた藤谷千明が迫る。

プロフィール

藤谷千明

ふじたに ちあき

1981年、山口県生まれ。工業高校を卒業後、自衛隊に入隊。その後職を転々とし、フリーランスのライターに。主に趣味と実益を兼ねたサブカルチャー分野で執筆を行なう。著書に『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(幻冬舎)、『藤谷千明 推し問答! あなたにとって「推し活」ってなんですか?』(東京ニュース通信社)、共著に『すべての道はV系へ通ず。』(シンコーミュージック)、『水玉自伝 アーバンギャルド・クロニクル』(ロフトブックス)、『バンギャルちゃんの老後 オタクのための(こわくない!)老後計画を考えてみた 』(ホーム社) など。

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『資本論』と「稼ぐ力」

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