様々な治療を受けている間、さすがにテレビの仕事は休ませていただいたが、声だけの(月~金)ラジオは続けていて、しまいにはブースのなかに、マットを敷いてもらい、マイクコードを伸ばして生放送をこなした。
相方の女性はテーブルに座っているので、私には膝下の足しか見えない。そんな放送が三~四日続いた。
最後には自宅から出ることもできず、自分のベッドで寝たままでその日のゲストだったNHKを退社したばかりの有働美由子と話した。
不思議とラジオでしゃべっている時だけは、痛みを忘れるのだ。
以上、突然の腰痛に襲われた老人のダメ日記である。
世間にはザラにある話だし、もっと大きな病に苦しむ人々もいる。
お互い、こんな闘病日記がいつか笑い話になればよいと願う。
一つ書き忘れた。
何回か通った針治療院の女先生が
「大竹さん、病気には『日にち治療』って言葉があるのヨ」
その治療院は足の痺れなども治す専門の所であったが、私の足は一向に治らない。
私以外にもそんな患者さんが何人も通院してくる。あるお年寄りは、六年もたってから治ったと喜んで報告に来たそうだ。
急激な腰痛に見舞われた私は、動転してあらゆる医者を駆け回った。
静かに諭すように言われた言葉が、足の痺れが小さくなった今、しみるのである。
人間は七〇歳近くなっても、専門治療ではなく、時間をかけて己の体が快方に近づくべく努力をするらしい。
弱者は弱者のまま終わらないのである。
足の痺れは、いつか治るかもしれない。
連載では、シティボーイズのお話しはもちろん、現在も交流のある風間杜夫さんとの若き日々のエピソードなども。
プロフィール
おおたけ・まこと 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まことゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。