「それから」の大阪 第7回

夢の跡地「花博記念公園」の今

スズキナオ

先日、ある取材で花博記念公園を訪れた。正式には「花博記念公園鶴見緑地」という名のこの公園は、大阪市鶴見区と守口市にまたがり、約120haという、大阪府内でも有数の広さをもつ。花博記念公園という名を冠することからもわかるとおり、1990年4月1日から9月30日の183日間に渡って開催された「国際花と緑の博覧会」の会場だった場所である。

大阪市の北東部にある花博記念公園鶴見緑地(2021年2月撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国際花と緑の博覧会は、国際園芸家協会(AIPH)という国際団体が認定する“国際園芸博覧会”の一つで、同じく国際団体である博覧会国際事務局(BIE)が定める“認定博(かつては“特別博”と呼ばれていた)”でもある。ちなみに、1970年に開催された日本万国博覧会や2025年に開催される予定の大阪・関西万博は“登録博(かつては“一般博”と呼ばれていた)”とされ、“認定博”よりも高い位置づけになっている。区分がちょっとややこしいところなのだが、5年ごとに開催される“登録博”よりも小規模ではあるが国際的な博覧会の一つとして開催されたのが、国際花と緑の博覧会なのである。

「自然と人間との共生」をテーマに掲げたこの博覧会の会場として選ばれたのが大阪市の中心部からも近くて敷地も広大な「鶴見緑地」だった。鶴見緑地は豊中市の服部緑地公園、八尾市の久宝寺緑地公園、堺市の大泉緑地公園と並ぶ「大阪4大緑地」の一つとして1940年代から都市計画の中に組み入れられていた土地で、戦時中は高射砲の陣地としても使用されていたという。もとは蓮がたくさん自生するような湿地だったところを1960年代の終わりから1970年代初頭にかけて整備し、市民の憩いの場として認知されるようになった(ちなみに花博記念公園という名は博覧会の終了後につけられたもので、もともとの名である鶴見緑地と呼ぶ人の方が多い)。

1985年、大阪府がこの地で博覧会を開催することが正式に決定され、5年の月日をかけて準備が進められていった。1988年には会場への交通手段として「長堀鶴見緑地線」という地下鉄路線が開業される計画が固まり、博覧会開催直前の1990年3月に開業。日本初のリニア地下鉄として鳴り物入りで運転を開始した。地下鉄路線を新設するほど大規模な催しとして力を注がれていたのだ。

博覧会がスタートすると、バブル経済による好景気も後押しして来場者数は予想を大きく上回り、183日間の会期全体で2000万人を目標としていたところ、最終的には2312万人を超えることになった。来場者数だけでその価値を測れるものではないが、イベントとしては成功を収めたと言えるだろう。

と、これらの情報は後になって調べて知ったこと。花博記念公園を訪れた私は「そういえば昔そんな博覧会があった気がするな……」と思った程度で、それがどのようなものなのかもはっきりとはイメージできなかった。1990年当時、私は東京に住んでおり、11歳だった。テレビのニュース番組などではきっと連日のように報道されていたのだろうが、その頃の私は「花と緑」というワードにあまり刺激を感じなかったのか、その盛り上がりも意識の外という感じだったのだと思う。

次ページ  廃墟めいた庭園、閉鎖された「いのちの塔」
1 2 3 4
 第6回
第8回 
「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

 
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル

プラスをSNSでも

Twitter, Youtube

夢の跡地「花博記念公園」の今