スーフィズム入門 第十回

対談 スーフィズムとカリフ制①

カリフ制を再興するのは誰か?

中田 考×山本直輝

スーフィズム的ヒエラルキーの内実

山本 中世の世界観のヒエラルキーというのは結局中世的世界観なので、物質の世界というのはなんの意味もありません。イデア界ではないですが、なにか来世に導くような超常的な世界観がリアリティを持っていて、こちらの世界(現世)は何もリアリティがないというのがスーフィズムの世界観です。

その中でスーフィズム的ヒエラルキーというのは、まず「クトゥブ」という「軸の人」がいて、この「軸の人」というのは全てのスーフィーを束ねられるようなスーフィーの中のスーフィーみたいな人です。この人が世界を見ていて、彼の側近たちが昼夜世界を飛び回っています。テレパシーだけでなく実際物理的にも飛んでいるらしいのですが、そういう人たちがアンパンマンのように、困っている人がいると思ったらその人を助けに行きます。さらに、どこかの社会システムが壊れているのではないかと思ったらそこに飛んで行って直したり、ローカルな(地域)社会の中でも彼の側近たちが地域の政治や経済を助けたり、貧者を助けたりします。その人たちの下部にもさらに「ムヒッブ」という師匠の教えに従って生きる人たちがいるというネットワーク社会がスーフィーの目指す社会です。

クトゥブの最大の能力は以下のように語られます。

今私たちは始まりがあって終わりのある、限りある時間の中に生きているのですが、預言者は天国にすでにいるという考え方があります。アッラーの視点では預言者は時間の中に生きていないので、アッラーの中ではすでに天国には預言者たちがいて預言者たちは神とともに暮らしています。その神とともにいる預言者とこのクトゥブという人たちは「イルハーム」という霊感を受けて預言者と交流できていると言われています。実際、スーフィー教団の導師は表だっては言わないのですが、弟子たちに修行の奥義とか伝える際は実はこれは天国にいる預言者から伝えられたのだという形式をとります。

アダムからムハンマドまで歴代の預言者たちとのコミュニケーション能力を持っているかどうかがスーフィーの存在意義の最大の争点であり、意義を主張する人たちは預言者と常に会話ができるとしており、預言者だけではなくて例えばお墓とかにいる死者等も、「シュハダー」という殉教者等とも会話ができるとされています。殉教者はイスラームの教えでは天国に直行するので、その人たちも預言者のそばにいるという世界観です。したがって、スーフィーの長老たちは殉教者たちとも連絡をとりながら、天国の知識を得ているという世界観を抱いており、これがヒエラルキーを形成しています。そのヒエラルキーのトップとして彼らは、預言者と交流ができる人として真の知識を有しており、この世界のあるべき秩序を理解しているという考え方です。

エルドアンについてはわからないのですが、エルバカンまでは確実にその世界観で生きていたと言えるでしょう。エルバカンのお師匠さんのザーヒド・コトクのお師匠さんだったようなナクシュバンディー教団の人たちというのは、オスマン朝スルタンの側近や家庭教師として仕えていたスーフィーでした。彼らは「天国の影」、要するに天国の知識という本当のリアリティを持っている人たちとして、スルタンを支えてきた人です。しかし、そういう人たちがトルコ共和国に移行する際には全員立場を失いました。こうして一旦滅んでしまったのですが、トルコの公正発展党を支えているイスラーム保守派層が目指している本当の目的は何かといえば、彼らは表立っては言わないけれど、この世界観の再興です。

今この場の現世にのみリアリティを求める世俗主義や物質主義に関してはクソくらえと。その世界とは完璧に違う世界観でスーフィーたちは生きているというのが「スーフィズムとカリフ制」を考える上での前提ですね。

 

スーフィズムとサラフィー主義:イスラーム世界の争点

パリのナクシュバンディー教団

中田 これもずっと言っていることですが、スーフィズムとイスラーム国なんかの一番の学問的な争点というのは、先ほど述べた現代の世界観です。つまり預言者ムハンマドは現在でも生きているっていう信仰です。もちろんこの世には生きてはいませんが、最後の審判まで墓の中で眠っているわけではなく、神の許では生きていて、ちゃんと現在もこの世の人々とコミュニケーションしている、これが一番の争点で現在に至ってもそうなのです。彼らにとっての一番の問題なのです。

それが「できる」というのがスーフィーであって、「できない」というのがサラフィーで、それをいまだにずっと論じ続けているわけです。それがその下のレベルに行くとその聖者たちも神の許で生きていてそのお墓参りをしても良いのか、といった問題で。それをいまだにやっていて、聖者の墓を崩すかどうかが、一番大切で最大の問題なのです。だからアメリカなんかはっきり言ってどうでもいいわけです。アメリカもヨーロッパも本当はどうだっていいというのが彼らの考え方です。しかし欧米側はそんなことには興味がないので、我々を攻撃する奴らだ、と思っていますけど、そんなのははっきり言ってどうでもいいんです。彼らにとってはね。今イスラーム国がつぶされて、彼らはもとのスーフィーとの戦いに戻っているっていうのが今の状態です。

イスラーム学の現在はどうなっているかと問われれば、要するにそういうことをやっているわけです。当然ではありますが、それは一般の人間は知りません。とはいえ、スーフィーも堕落するのが当然ですし、実際にスーフィーたちのほとんどが堕落してしまったのがイスラーム世界の現在です。だから現在では自称スーフィーの99%は偽物だからみんなやっつけてしまえ、というのがサラフィー運動なわけです。それはそれなりの必然性があったわけです。実際に今のスーフィーと言われている人間は殆どは有名無実ですから。

そして堕落したスーフィーは一般の悪い信徒よりもずっと邪悪で、とんでもなくどうしようもないんですよ。だから私も現在のスーフィーに対しては非常に批判的で、基本的には99パーセントはそうなのでスーフィーは偽物だっていう話をします。残念ながら現在のスーフィズムの殆どは、「いや我々スーフィーこそが穏健で良いムスリムであって、サラフィーなんてのは無知で逸脱したテロリストでしかない」っていう言い方をするんですね。よって、私はそういう言い方をするスーフィーは一切信用しません。

私が留学していた当時のエジプトでも、すでにスーフィーの教えを正しく継ぐ人はもう一人、二人しか残っていませんでした。もちろんスーフィーの後継者は本来霊的な資質によって選ばれるのですが、私の留学当時すでにエジプトの政府公認スーフィー教団を統括するアルマジュリスルアウラー・リットゥルクッスーフィーヤ(スーフィー教団最高評議会)というものがあって、もう後継者のルールも政府によって長子相続と決められていました。霊性など関係ない、なんの正当性もない政府の手先でした。本当の意味でのタリーカ(スーフィー教団)のスィルスィラ(法統)は、ほとんどは途絶えているんです。

私がウズベキスタンに行った時もそうでした。当時すでにソ連はなくなっていましたが、ソ連があったときにはソ連圏全体を統括するイスラーム宗務庁がウズベキスタンのタシュケントにあり、そこがスーフィーの中心でした。今はウズベキスタンのイスラーム組織の中枢になっていて、そこのモスクの導師と話をしました。彼によると、彼らもナクシュバンディー教団員なんですが、本当の意味での法統、霊性を継ぐ人間はもう一人もウズベキスタンには残っていないのでトルコから逆輸入しているということでした。本来はナクシュバンディー教団中央アジアのサマルカンドが中心だったのですが、そこからインドに渡って現在のイラクを通ってトルコに入ってきて、そこからウズベキスタンの我々の許に戻ってきて、我々がナクシュバンディー教団の法統を復興している、という話をしていました。それが現在の状況ですね

山本 この霊的な系譜が途絶えているか途絶えていないかがなぜ重要になるかというのも、先ほど中田先生が解説されていた世界観に立脚しています。結局、「クトゥブ」と呼ばれている人が預言者とコミュニケーションが取れるので正しい知識を得ることができ、かつその人の元できっちりと修行を遂げることができた人はその真理を受け継ぎ、預言者とコミュニケーションする能力が得られるというのがスーフィーの世界観です。「スター・ウォーズ」でオビ=ワンの師匠のクワイ=ガン・ジンっていたじゃないですか。彼のすごいところは何かというと、霊体化の秘技によって「フォース」と一体化することにありました。

「スター・ウォーズ」最初の三部作で霊体化の秘技をクワイ=ガン・ジンは得ることができて、それをヨーダ、オビ=ワン、そしてルーク・スカイウォーカーも受け継ぐことができ、彼らがフォースの真の知識も受け継ぎながら没後の先代のジェダイとコミュニケーションを取れるという設定がありましたが、スーフィーの世界観もアレにかなり似ています。

最終的には生きているか亡くなっているかもさらに問題ではなくなっていく。そういう修行を修めた人間というのは、預言者と常に交流ができて、その真理を受け継ぐことができ、逆に本当のイスラームというのはそういう形でしか受け継ぐことができないというのがスーフィーの世界観です。

ちなみにサラフィーの世界観の概要についてはジョナサン・ブラウン先生というアメリカの改宗ムスリムの教授が論文を書いています(Jonathan Brown, “Is Islam Easy to Understand or Not?: Salafis, the Democratization of Interpretation and the Need for the Ulema,” Journal of Islamic Studies 26:2, 2015, pp. 117-144.)。この論文では、サラフィーはそういったスーフィズムの系統や系譜とは関係なしにクルアーンとハディース(預言者の言行録)を直接読むことで本当のイスラームの知識っていうのを受け継ぐことができると考えていることが紹介され、それを(サラフィーが)イスラーム世界に発信することで、スーフィーとサラフィーの間でずっと争いがあるとされています。

したがって、スーフィーたちにとってスーフィーの系譜が途絶えることの何が問題かというと、彼らの受け継ぐ本当のイスラームがわかんなくなってしまうという危機にあります。たとえばあくまで自称ですがナクシュバンディー教団ではまだ預言者からスーフィーたちを通じた系譜が途切れていない(とされる)ので、その系譜を輸入することによって中央アジアにもう一度本当のイスラームを知っている社会的なシステムを復興しようという大きな試みがあるのではないでしょうか。

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スーフィズム入門

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。 一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じるものが香る。 はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による最新の入門連載をここに贈る。

プロフィール

中田 考×山本直輝

 

 

中田 考(なかた こう)
1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。東京大学文学部卒業、同大学院修士課程修了後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授等を歴任。『カリフ制再興』(書肆心水)、『増補新版 イスラーム法とは何か?』(作品社)、『イスラームの論理』(筑摩選書)、『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』(集英社新書)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)、『みんなちがって、みんなダメ』(ベストセラーズ)他著書多数。

 

山本直輝(やまもと なおき)
1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。

 
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対談 スーフィズムとカリフ制①