スーフィズム入門 第十四回

心の詩、心の音色 詩と音楽

ما هو التصوف

山本直輝(やまもと なおき)

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。

一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本文化に通じる香りがする。

はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による入門連載をここに贈る。

                                              山本直輝

 

しかと聴け、ネイの音を。それが語る物語を。別離を悲しむその音色を。
(ルーミー『精神的マスナウィー』)

 

 イスラームでは最高の詩、音楽は何よりもクルアーンであるとされており、音律・韻律において人間の作ったいかなる歌、詩、音楽もクルアーンには敵わないとされている。しかし一方で自らの心に湧き上がる何とも言いようのない感情や情緒をなんとか言葉、音として表現したいというのも古今東西人間の(さが)であり、ムスリムたちも様々な詩、音楽を遺している。特に詩の達人として名をはせたスーフィーたちは数多い。12世紀~13世紀アラブの詩人イブン・ファーリドの詩はムスリム社会におけるスーフィズムの受容に多大な影響を与え、スーフィーの「カノン」として多くのスーフィー思想家たちによって注釈書が書かれた。

 またイスラーム詩文化としてはペルシア文学がイスラーム文明に与えた影響は最も大きく、サアディー(1291年没)の『薔薇園』や『果樹園』、ハーフェズ(1389年没)の詩集、ルーミーの『精神的マスナウィー』は中世イスラーム世界でクルアーン、ハディースに次いでムスリムたちの精神世界や価値観に影響を与えてきた傑作である。これらのペルシア語イスラーム詩は中東のみならず西洋でも広く知られており、ゲーテはハーフェズの詩に感銘を受け『西東詩集』を著している。ルーミーの『精神的マスナウィー』はスピリチュアルブームの火つけ役であり、西洋にはムスリムではないがルーミーの詩を熱心に読む「ルーミー・マニア」と呼ばれる層も存在する。

 ペルシア語のイスラーム詩がグローバルに影響を与えてきた一方、詩は世界各地における「イスラームの現地化」にも大きな役割を果たしてきた。ムスリムたちは毎日の礼拝のなかでクルアーンを読誦するが、日本人が仏教経典をサンスクリット語や漢文で読んでも理解できないのと同じように、古典アラビア語やイスラーム学の教育をちゃんと受けていないと、ムスリムであっても古典アラビア語で書かれたクルアーンの内容は複雑難解である。しかしアフリカやトルコ、中央アジア、南アジア、中国、東南アジアなどでムスリム社会形成期に活躍した現地のスーフィーたちは、大衆にも分かりやすい平易な現地の言葉でイスラームの世界観やスーフィズムの道徳を語り、イスラーム文化の拡大に貢献した。

 

詩と楽器

 またスーフィー文化では詩を詠う際には楽器が用いられる場合が多々ある。しかしイスラーム史を勉強したことのある読者は、しばしば楽器の演奏の合法性がイスラーム社会において議論されてきたことをご存じであろう。結論から言うと、音楽の合法性についてはいまだ決着はついていない。スーフィーの演奏(サマーゥ)の合法性はスーフィズム史初期のころから現在に至るまで議論が続いているが、イスラーム法は法源たるクルアーンとハディースの解釈の集積であり、特にムスリム社会を統一するカリフ制が存在しない現代社会において結局は個々人、あるいはムスリム社会がどの解釈を支持するかでしかないからだ。
 スーフィーの演奏の合法性をめぐるイスラーム法解釈の一例として、オスマン朝時代の音楽許容派の意見を参考に紹介したい。17世紀~18世紀のオスマン朝イスタンブールではスーフィーの修行文化の合法性をめぐって社会が二分される時期があった。このスーフィー論争はイスタンブールだけでなく、シリアやエジプトなどのアラブ地域にも波及し、18世紀シリアのダマスカスでスーフィー思想家兼法学権威として活躍した学者ナーブルスィー(1731年没)は、反スーフィー派の意見に答える形でスーフィーの楽器演奏について次のような意見を残している。

 「(戯れのために奏でられた音楽を聴くことはハラ―ム(イスラーム法において禁じられた行い)であり、そのような場に参加することは信仰を損なうとの意見に対して)ここでの『戯れ』とはイスラーム法に反する娯楽についてであって、イスラーム法において許された娯楽についてではない。あくまでイスラーム法に反した娯楽が楽器をハラームにし、信仰を損なうような遊び場が人々を不信仰へと導くのだ。打楽器の演奏を聴くことが祝祭や結婚式の場で許されているのも同様の理由で、そこでの音楽は禁じられた娯楽ではないからである。特定の音楽や楽器が禁止されているからといって、あらゆる音楽を聴くことが禁止されているという法学判断を行うことは、イスラームという宗教に反する見苦しい態度であり、ムスリムの間での反知性的振る舞いである」(ナーブルスィー『メヴレヴィー流派の修行法についての真珠の首飾り』)

 またナーブルスィーは、当時の法学者気取りの者たちが偉い学者の家を訪ねたときにスーフィーの楽器演奏を聴いても批判せずに褒めたたえる一方で、モスクの授業や講義に参加しているときには鬼の首を取ったように音楽や演奏批判をすることを偽善的だと書きのこしている。結局は音楽の合法性は演奏者が何のために演奏しているのかによるため、その都度演奏者の個人的見解や文化的背景を考慮に入れて判断するしかなく、音楽禁止説も数多くある解釈の一つでしかないため、何が「イスラーム的に正しい」のかはすぐに結論が出る問題ではない。

 

スーフィーと詩

 スーフィーの詩は大きく三つのカテゴリーに分かれる。すなわちアッラーを賛美する「ハムド」、預言者ムハンマドを賛美する「ナアト」あるいは「サラワート」、スーフィー聖者を讃える「マナーキブ」である。どれも対象に対する敬愛の情を表現する点で共通している。詩が読まれる時期や場所も多様で、例えば預言者ムハンマド賛歌は預言者ムハンマドが昇天しエルサレムまで旅をしたと言われる昇天の日や、預言者の誕生に好んで詠われ、スーフィー聖者の賛歌は世界各地に存在するスーフィー聖者の霊廟などで詠われている。神への賛歌、預言者賛歌、聖者賛歌が各地の現地の言葉で書かれることで、ムスリム社会はイスラームにおける神と預言者への愛着を深め、またスーフィー聖者の霊廟を中心にしてスーフィズムの理念を実践しようとするコミュニティが形成されてきた。ここではイスラーム文明各地域の詩を少し紹介したい。

 スーフィズム入門でたびたび紹介している17世紀~18世紀中国で活躍したスーフィー思想家劉智の『五更月』は、神の創造の神秘と人間完成の道を日没から夜明けまでの月の動きに見立てて表現した詩である。

 

一更の初め、月は今まさに地平から姿を現した。
よく理解しなさい。真帝(アッラー)は影も形も無く、その姿を喩えることは難しく、言い表すことは不可能だ。
かの御方の存在は今までもこれからも永遠にあり続け、始まりも終わりも無く、唯独りにして比類するもの無し。

月が昇る過程は人間完成の道であり、その修行の方法と目的が表現される。

二更の中頃には満月となる。
呼吸によって気を整え、息を無駄にしてはならない。
飲食、睡眠を減らし、
常に心に真言(アッラー以外に神は無し。ムハンマドは神の使徒である)を留めよ。
青龍剣を決してその手から離さず、恩愛を断ち切り、妄縁を取り除け。
今この時から一歩一歩前進し、道の岸に上り真元(神)を見よ。

 

 そして月が沈む五更の段階では、人間は長年の修練によって我欲を克服し、自我と他我の境界線は消滅し、あらゆるものは真存在(アッラー)へと帰ってゆく。この段階をスーフィズムでは消滅における消滅(ファナー・フィー・ファナー)という。

 

五更の終わり、月はまた地平に沈んでゆく。
あらゆるものは真理へと帰り、大羅天へと登っていく。そこにはもはや色も形も、音も香りもなく、ただ静寂だけが存在する。
一芥は小さくとも、それは森羅万象を包み込み、いまこの時は永遠となる。

 

神への賛歌

 次にウルドゥー語のアッラー賛歌を紹介したい。
 ムガル帝国期パンジャーブの代表的詩人シャー・フサイン(1599年没)はアッラーへの愛を次のような詩で語っている。

 

神よ あなたは我が心境を知るお方
あなたは我が躰にも外にもおわします 小さな毛の一本一本にもあなたが
あなたは縦糸 あなたは緯糸 わたしのすべてはあなた
身卑しきファキール〈貧者〉フセインは申します わたしはなく すべてはあなた

(シャー・フサイン。詩の訳は野上郁哉『私的音楽研究その参~カウワーリー(イスラーム神秘主義集団歌謡)とスーフィー詩について』から引用)

 

 南アジアでは上記のようなスーフィー詩を高らかに歌いあげるカウワーリーという歌謡の演奏家たちがおり、パキスタンでは今でもこの伝統が受け継がれている。例えば、ヌスラト・ファテ・アリー・ハーン(1997年没)はパキスタンのパンジャーブ出身の伝説的カウワーリーの歌い手であり、イギリスの音楽雑誌『Q』で歴史上もっとも偉大なシンガー100人」にも選ばれている。

ヌスラト・ファテ・アリー・ハーン

 

次ページ  預言者賛歌
1 2
 第十三回
スーフィズム入門

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。 一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じるものが香る。 はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による最新の入門連載をここに贈る。

プロフィール

山本直輝(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。

 
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル

プラスをSNSでも

Twitter, Youtube

心の詩、心の音色 詩と音楽