スーフィズム入門 最終回

人の心:インサーン・カーミル

ما هو التصوف

山本直輝(やまもと なおき)

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。

一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本文化に通じる香りがする。

はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による入門連載、いよいよ最終回。

山本直輝

 

人間の中には天使、ジン、獣、鳥に至るまで
大宇宙(マクロコスモス)におけるあらゆるものが存在する。
大地や諸天、あるいは神の玉座でさえも抱えることのできない多くのものを
人間の心は抱えることができるのである。 

(タシュキョプリザーデ『人間の代理人性と倫理的統治の神秘』)

 

見えないものこそ「リアル」

 現代社会に生きる我々は、見えるものがリアルで、見えないものはリアリティがないという世界観で生きている。それに対して近代以前の世界観では、本当のものはむしろ天上(あるいは地下)の見えない世界に存在していて、一瞬前と今で変わっていくような我々の生きているこの見える世界は、あくまでも仮象の現実でしかない。スーフィズムもまさにこのような世界観に立脚している。

 このスーフィズム入門で紹介してきた様々な修行は、「見える世界」と「見えない世界」を渡り歩く術を学び、精神を研ぎ澄ますことで、最も深遠な不可視の存在たる「神」のリアリティに迫ろうとする試みである。そして、スーフィー聖者の中でも様々な修行を乗り越え、心の支配者(スルターン)となった者を「インサーン・カーミル」と呼ぶ。スーフィズムの修行論はすべてこの「インサーン・カーミル」の境地に到達するための術を学ぶ営みであり、スーフィズムの哲学はすべてこの「インサーン・カーミル」から見た世界とはいかなるものなのかを説いているのだ。

 

インサーン・カーミル―まことの人―

 インサーンは「人間」、カーミルは「完全な、完璧な」という意味を持つアラビア語で、イブン・アラビーの神秘哲学の世界的権威である井筒俊彦はインサーン・カーミルを「完全人間」と訳している。スーフィズムの修行書ではカーミルは「完全、完璧さ」に加え「統合性、包括性、調和性」の意味で使われていることが多い。つまりこの世界と人のコトワリをあるがままに完璧に理解し、その調和と均衡を自らの徳に体現し、バランスの取れた感情と心によってあるべき道を照らし出すことのできる人の理想形である。スター・ウォーズ風にいえば「フォースにバランスをもたらす」人間であろうか。
 スーフィズムにおいてインサーン・カーミルは、神秘哲学では世界の秩序を守る超越的存在者として描かれ、政治哲学では、国を統治する支配者の理想形として提示され、倫理学では預言者ムハンマドの徳を体現する個々人の理想形として説かれるなど、ジャンルによってその描かれ方は異なる。しかし「調和、包括、統合」を体現するという点で共通している。

 

不可視界のヒエラルキー

 スーフィズムの世界観によれば、スーフィー聖者たちは昼夜世界を飛び回り、綻びがあれば繕い、争いがあれば調停し、悲しみに暮れる人がいれば傍によりそうことにより世界の秩序が守られているのだという。この世界を飛び回るスーフィー聖者たちにはヒエラルキーがあり、個々の役割はそのヒエラルキーごとに分かれている。
 世界を支える聖者たちはヒエラルキーの階層ごとに異なる名前を持っている。見えない世界のヒエラルキーを解説したスーフィズム初期の思想書であるフジュウィーリー氏著『隠されたるものの開示』では、選良は300人、代替人は40人、徳信者は7人、柱は4人、長は3人、軸は1人いるとされる。この聖者たちはスーフィズムの修行だけに専念した人である必要はなく、例えばイスラーム法学におけるシャーフィイー法学派の祖、イマーム・シャーフィイーはスーフィーたちには「支柱」であったと信じられている。
 仏教にも弘法大師が空を飛んでいたなど似たような伝説はあるが、このような不可視の王国のヒエラルキーは、現代社会に生きる我々にとっては荒唐無稽に聞こえるかもしれない。しかしここで重要なのは、実際にこのような人間がいるのかいないのかを議論することではなく、このような世界観があるとすれば、その中で自分は何をするべきなのかを考えることである。
 例えば代替人は、アッラーからこの世界の秩序を守るためにこの世に送られた「選ばれし人間」であるが、同時に彼らが亡くなればアッラーによってすぐさま「代わりの人間」が補充されると言われている。つまり「代替人」はどれだけ精神力や知力、身体能力に恵まれていようと自らは世界の秩序を維持するために努める人間たちの営みのほんの一部に過ぎないことを自覚し、いまこのときに自らに課せられた神命を果たすことだけに専念する心境を獲得した者を指す。己の役割を受け入れている代替人は、「自分にしかできない何か」を探すこともなければ「自分探し」の旅に出ることもないし、周りから認めてもらいたいという欲求もない。「まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。」(徒然草第38段)の境地である。
 『鬼滅の刃』第23巻において、超人的な身体能力を生来的に持つ縁壱に、努力の人ではあるが弟ほど才覚に恵まれていない双子の兄巌勝が、二人の剣術の後継者がいないことを嘆いたところ、縁壱が「私たちはそれ程大そうなものではない。長い長い人の歴史のほんの一欠片」と穏やかに諭すシーンがある。その言葉を聞いているときの巌勝の複雑な表情が印象的だ。
 つまるところ、恵まれている人間とは、自分よりもさらに恵まれた人間が天、イスラームでは神によって選ばれ、さらにいずれ己を超えていく可能性を受け入れられる心の力を持っている人である。反対に、己の人生が己のためだけに完結しているような人は、むしろ己の不足に囚われていく。
 この境地について、トルコのスーフィー詩人ユヌス・エムレが遺した興味深い詩があるので紹介したい。

 

ああ神さま、もし私を咎めたいのなら
これが私の率直な答えです

確かに、私は出来損ないの罪人です
しかし、私は王たるあなたに何をしたというのですか

私は何者ですか? あなたが私を創ったのではないのですか?
慈悲深き神よ、なぜ私を罪で汚したのですか

目を開ければ私は牢獄に囚われの身
周りは悪魔と誘惑と嘘だらけ

それでも飢え死にしたくなくて
何度も何度も 泥水をすすり生きてきました

私のせいであなたの御力は弱まりましたか?
私みたいな人間が神を超えることなど一度でもありましたか?

私はあなたが得るべき恵みを食べましたか?
あなたからなにかを奪い、あなたが飢えることなどありましたか?

私の命を奪ってもなお、まだ復讐を望んでいるのですか?
肉が腐りきって 私は暗い土の中

あなたは天国に至る一本の髪の毛のような細い橋を架け、「渡れ」と仰った
それでも結局私はしくじるのだ 自業自得

この髪の毛のように細い橋をどうやって人が渡れるというのですか?
すべり落ちるか しがみつくか 飛び下るしかない

それでも人は希望を求め 橋を架ける。
もし渡りきることができたなら 神に会えるのだろう

どうか神さま、柱が橋をしっかりと支え
私の後に続く旅人は この橋を渡り切りますように

 

 心を磨く修行を一歩一歩確実に修めた俯仰天地に()じない高潔な魂の持ち主とは全く正反対の、およそ人生において失敗という失敗を犯し続けた人間の独白のような詩である。しかし、筆者はこの詩こそスーフィズムの修行の果てに人間がたどり着く境地の一つを表しているのではないかと思う。何かを得ようとすることは何かを失うことであり、善を望むことは悪に惑わされることである。スーフィズムの心の階梯論ではしばしば「心の旅の友は悔悟」と言われるように、修行を続けることは後悔の連続に他ならない。しかし、ユヌス・エムレのこの詩は後悔だけでは終わっていない。自らの人生を振り返り、ただただ失敗でしかなかったという絶望の先に、己が力尽きた場所を超えて、やがて後に続く人たちが真理にたどり着くことを望む祈りで終わっている。スーフィズムの修行とは、己がいかに無力で弱い人間であるかを受け入れる絶望と、より高みに到達するための礎を築き未来に望みを託す希望により成り立っているのではないか。そして、その心の境地を獲得したとき、人は「インサーン・カーミル」となり、見えない世界から人々を支えることができるのではないだろうか。

 

 第十四回
スーフィズム入門

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。 一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じるものが香る。 はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による最新の入門連載をここに贈る。

プロフィール

山本直輝(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。 トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教を経て現在、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。

 
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル

プラスをSNSでも

Twitter, Youtube

人の心:インサーン・カーミル