スーフィズム入門 第四回

スーフィズムの修行(2)―心を練り上げる祈祷

ما هو التصوف

山本直輝(やまもと なおき)
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第四回 スーフィズムの修行(2)――心を練り上げる祈祷

修行なしに正しき心を練り上げることなど不可能だ

アフマド・スィルヒンディー(16~17世紀南アジアのスーフィー)

 

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。
一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じる香りがする。
はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による入門連載第四回!

 

写真1 『NARUTO』52巻より (C)岸本斉史/集英社
九尾チャクラをコントロールするため精神世界で自己と対峙するナルト

 

心の探求
 先ほどの『NARUTO』の引用は、ナルトが自己に封印された妖狐「九尾」の力をコントロールするための修行を始めるシーンである。この段階の九尾はナルト自身の悪意と呼応することでナルトを乗っ取ろうと常に狙っており、ナルトはまず自分自身の闇の部分に向き合うことになる。少年マンガなど青年の成長を描く「ビルドゥングスロマン(自己形成小説)」では、「自己の内面との対話」を通じてより深みのある自己を形成する成長が丁寧に描かれていることが多い。東洋の伝統的師弟制度を参考にしたと言われるアメリカのSF映画「スター・ウォーズ」シリーズでも、フォースと呼ばれる不思議な力を操る騎士「ジェダイ」は、修行の過程で己の内に秘める闇の部分(ダークサイド)と光の部分(ライトサイド)の拮抗に悩みながら各々の道を歩んでいく。スーフィズムでも自己の内面を深く掘り下げていく過程は修行論の土台を成す。己の弱さを自覚する人間観、心を磨くための修行論、修行中に訪れる様々な感情の揺れ動きを体系化する精神の階梯論(マカーマート)、実際に生きたスーフィー導師達の生き様を伝える徳行伝(マナーキブ)などのスーフィズムの学問領域は「イスラームのビルドゥングスロマン」とも呼べる伝統を作り上げている。
 前回はスーフィズムにおける人間の心の在り方と魂の七段階について説明した。スーフィー達も様々な表現を使って人間の暗い内面を描いてきた。人間は生まれながら嫉妬や虚栄心、権力欲など様々な暗い感情を内に秘めているが、しかし人間の志向性を決定する魂(ナフス)を磨くことで自己を引き上げることができる。スーフィズムではこのような自己の発展を精神昇華(タラッキー)と呼び、それは心の深層に潜っていくことによって可能であるという。この深層性を持つ人間の心をスーフィズムでは「ラターイフ」という。

 

心の深層(ラターイフ論)
 ラターイフはアラビア語ラティーファの複数形で、繊細で捉えがたく神秘的なものを指す言葉である。スーフィズムの修行論では精妙で幽玄な目に見えない心の深層を構成する精神器官を指す。同時にラティーファはアッラーが持つ様々な名前の一つであり、スーフィズムでは人間の微細な心の働きを制御し、精神を磨き上げると人間の心はアッラーの精妙さを映し出す鏡のようになると考えられている。スーフィー修行者は祈祷修行を重ねることで、普段は感じることのない自己の奥深くまで潜り込み、魂を発展させ心を練り上げる。心の階層と祈祷の種類を対応させる方法はスーフィー教団では広く見られ、初期には中央アジアのクブラウィー教団で導入され南アジアではナクシュバンディー教団革新派の祖アフマド・スィルヒンディーが祈祷法と結びつけ体系化したと言われる。
 スーフィーのラターイフ論は時代や地域、思想家によって用法や意味が少し異なるが、大まかに次の七つが精神器官と考えられている。

1.鋳型(カーラブ):ラターイフが入る型。礼拝や日常作法など、基本的な崇拝行為や徳行を積むことで磨かれ、他のラターイフが入る型が作り上げられていく。

2.魂(ナフス):人間の志向性を決定する精神器官。修行をしていない状態では動物的本能や欲望に従う。スーフィー道を究めることで「完全なる魂」に昇華する。
3.心(カルブ):真の自己を確立する土台となる精神器官である。カルブはアラビア語で「ひっくり返る」を意味し、修行中のスーフィー修行者の心は様々な感情がうごめき合い、常に相対する感情の間を行き来している。
4.深奥の心(シッル):不可視界の自己や他者の存在を知覚する精神器官。神との目に見えない関係を結ぶ能力があるという。
5.霊(ルーフ):神の意志に従おうとする精神器官。人間の心と身体を神の意志を反映する宿り場へと変える能力がある。
6.深淵の心(ハフィー): 神から神秘的霊示(イルハーム)を受け取る精神器官である。
7.最奥の心(アフファー):真理(ハキーカ)とも呼ばれる。真の自己が確立された状態の心で、魂を「完全なる魂」へと昇華させる能力がある。
 上記の精神器官はカルブが最も肉体の表層に近く、アフファーが人間の内面世界の最も奥深くに位置している。より深い場所のラターイフを知覚できるようになることで神から与えられるエネルギーを受け取ることができ人間の志向性をつかさどる魂が磨かれていくという。

 

神の本質につながる最奥の心(アフファー)
 シャー・ワリーウッラーは18世紀南アジアで活躍したナクシュバンディー教団革新派のスーフィーである。彼は預言者の言行録(ハディース)を使いイスラーム思想の再解釈を提唱し、特にスーフィズムにおいては神秘哲学的側面と実践的側面のバランスを取ることを目指した。彼のハディース解釈を基にした方法論は南アジアを越えてイスラーム世界に広まり、近現代のイスラーム思想改革運動を作り上げたと言われている。シャー・ワリーウッラーも自身の著作『神に関する指南書』の中でラターイフを次のような円図を用いて説明している。

写真2 シャー・ワリーウッラー『神に関する指南書』から

 

 ナクシュバンディー教団革新派では、上の図のように人間は可視界の五つの要素と、不可視界の五つの要素によって成り立っているとする。そして二つの世界は、最奥の心(アフファー)によってつながっている。

下の円図で示されている物質世界における人間は、上から時計回りに
最奥の心(アフファー)
霊(ルーフ)
心(カルブ)
鋳型(カーラブ)
理性(アクル):物事の本質を知覚する器官。
深奥(シッル)

次に、写真2上の円図で示されている神的世界における人間は、上から時計回りに
本質(ザート):神の本質、真理を表す。
賢者の石:イブン・アラビー学派の専門用語で、神の本質を映し出し、身体と心を神秘的な光で満たすもの。
聖なる光:運命を明らかにする光。
最奥の心(アフファー)
深淵の心(ハフィー)
大いなる自我:我欲を消滅させ、神の(しもべ)としての自己を確立した自我。

 上の円図は神の真理に近づいた聖者(ワリー)や預言者が持つ神秘的能力と精神器官を表しており、下の円図は普通の人間の精神器官を表している。上記の二つの円図が重なり合う最奥(アフファー)を知覚し、修行を通じて精神力を高めていくとアフファーを扉として修行者は聖者や預言者の「心をまねる」ことができるようになる。そして人間の心はその最も深い場所を通じて、神の本質に近づくことができるのである。スーフィズムでは人間の肉体は森羅万象を構成する四大元素(火・空気・水・土)を内包するミクロコスモスであり、人間の心は神の本質へと至る入り口と考えられてきた。自らを知ることは世界と神を知ることであり、スーフィズムにおける精神昇華とは自己の豊かさや能力を発見するような営みとは全く逆のプロセスである。自己を突き詰め理解できることはこの世界の豊かさと神の神秘であり、他者を知るために自己を知るのである。「自己を知る者はその主(アッラー)を知る」とスーフィズムで言われるのはそのためである。

 

心よ、心よ、なぜ悲嘆に暮れるのか。

どれだけ粉々に砕け散ろうとも、

汝は神秘に満ちた宝なのだ。

慈しみをもって汝を見つめよ。汝こそ世界の精髄、

汝の心は森羅万象を映し出す瞳なのだ。

シェイフ・ガーリプ(18世紀トルコのスーフィー詩人)

 

写真3 『NARUTO』45巻より (C)岸本斉史/集英社
仙術修行に励むナルト

 

全てのラターイフは、神の祈祷の中に沈み込む

オメル・ズィヤーウッディーン・ダゲスターニー

(19~20世紀ダゲスタンのスーフィー)

 

心と祈祷:魂の修行法と霊の修行法

 スーフィズムで心の型と対応させる修行論は「魂の修行法(タリーク・ナフサーニー)」と「霊の修行法(タリーク・ルーハーニ―)」に分かれる。魂の修行法は前回紹介した魂の発展段階に対応する心の状態を作り出す修行法を採用する流派で、霊の修行法は前述のラターイフに対応する修行法を採用する流派である。
 祈祷法は祈祷を行う有声の祈祷(ズィクル・ジャリ―)と心の中で祈祷を行う無声の祈祷(ズィクル・ハフィー)に分かれる。また個々人で行う祈祷と、師や他の修行者たちと特定の時間に集まり共同で行う集団祈祷があり、集団祈祷はアラビア語で「アッラーの御前」を意味するハドラと呼ばれ、神の臨在を感じる場と考えられている。スーフィー教団内でも魂の修行法を採用するのか霊の修行法を採用するのか、有声か無声か、個人祈祷を行うのか集団祈祷を行うのかは時代や地域、導師ごとに異なり、また弟子に合った修行法を個別に指導することもある。今回は、ハルヴェティー教団とナクシュバンディー教団、シャーズィリー教団の例を紹介したい。

 

ハルヴェティー教団における魂の七段階と「七つの御名の祈祷法」
 オスマン朝時代にアナトリア地方(現トルコ共和国のアジア部分)で大きな勢力を誇ったハルヴェティー教団は魂の修行法を採用する流派で、魂の七つの発展段階に応じた次の七つの祈祷を行うことで知られている。祈祷を続けることで修行者は各段階で様々な徳を獲得するという。この修行は師と弟子の密なコミュニケーションによって行われ、弟子は心に去来した様々な感情やイメージを全て紙に書いて師匠に渡す。特に夢の解釈はスーフィズムの修行で非常に重視されている。そして師匠が弟子にその都度感情のコントロール方法や夢で見たイメージの解釈を紙に書いて弟子に返す。修行中に使われた師匠と弟子の往復書簡は「ワーキアート」と呼ばれ、スーフィズムの修行の実態を知るための貴重な歴史的資料となっている。

第一段階 悪を命じる魂 
十万回「ラーイラーハ・イッラッラー(神はいない。しかしアッラーはいる)」と唱える。この段階で克服すべき悪徳はケチ、強欲、無知、傲慢、煩悩、嫉妬、怒りである。魂がこの状態のとき、修行者は自らの欲望を体現する様々な獣を夢の中で見るという。もし獣が自分より強ければ悪を命じる魂に負けており、獣を制するようになれば次の魂の段階に上る用意ができているという。

第二段階 非難する魂
十万回「アッラー」と唱える。この段階の魂は、過ちを犯す自己を常に責めている状態である。この段階で克服すべき悪徳は非難、神以外のものに心酔すること、不正、自己嫌悪、羽目を外して遊ぶこと、高望み、卑下してふさぎ込むことである。

第三段階 神に導かれる魂
九万回「フー(彼)」と唱える。この段階からは悪徳をそぎ落とすことから、美徳を習得していくことが求められる。祈祷を通じてこの魂を確立すると修行者は知識と謙遜、寛容さ、気前の良さ、ひたむきさ、知足、忍耐強さを得るという。

第四段階 穏やかな魂
七万回「ハイイ(永遠に生きる御方)と唱える。この段階では修行者は、神に身を委ね、他者の悲しみに寄り添い、謙譲の精神を保ち、神への崇拝の心を欠かさず持ち、あらゆるものに感謝し、欲望から身を引く生き方を学ぶという。

第五段階 満たされた魂
九万回「カイユーム(自存する御方)」と唱える。この段階では修行者は神を常に想起し、至誠の境地を身に着け、神を怖れながら神の与えたものに満足し、より厳しい修行に励み、周囲の人間には忠義を尽くすようになるという。またこの魂を身に着けた修行者には奇跡を起こす者もいるという。

第六段階 神が嘉(よみ)する魂
五万回「ラフマーン(慈愛あまねく御方)」と唱える。この段階では修行者は神が持つ美徳を体現し始め、現世の欲望を捨て、優美な振る舞い、思慮深さを身に着け、純粋な心で神に近づくことができるという。

第七段階 完全なる魂
七万回「ラヒーム(慈悲深き御方)」と唱える。この段階で修行者に求められることは自己の救済ではなく、魂を燃やし他者を導くことである。

 

 ハルヴェティー教団はオスマン朝時代のトルコだけでなく、エジプトやインドネシアにも広まっている。インドネシアのマカッサルにはユースフ・マカッサリー(1699年没)というハルヴェティー教団の導師の霊廟があり、毎日多くの参詣客でにぎわっている。彼自身はインドネシアのスラウェシ島出身であるが、スーフィズムの師匠はサウディアラビアのマッカ・マディーナにいたスーフィー導師達である。アラビア半島で修行を積みインドネシアに帰った後はオランダの植民地支配に対する抵抗運動を組織する。最終的には南アフリカに流刑にされるがケープタウンのマレー系ムスリムコミュニティ設立に貢献したという。スーフィー達が使っていた修行本や祈祷書には免許皆伝と師匠と弟子の系譜が書かれていることが多く、祈祷書を見ることでスーフィー達の何百年と受け継がれる修行の系譜や一地域に収まらないグローバルなつながりを知ることができる。

 

写真4 南アフリカに到着するユースフ・マカッサリー,
Ian D. Colvin, Romance of Empire: South Africaより

写真5 インドネシア・マカッサルにあるユースフ・マカッサリーの霊廟

 

ナクシュバンディー教団におけるラターイフと祈祷法
 これまで何回か紹介しているナクシュバンディー教団は霊の修行法を採用する流派で、弟子達は体の各所に宿る五つのラターイフ(心、霊、深奥の心、深淵の心、最奥の心)を祈祷によって活性化させ心の最奥に至ろうと修行を重ねる。

1.心(カルブ): 左胸の下にあると言われる。黄色の光を発し、預言者アダムの管理下にある。

2.霊:(ルーフ):右胸の下にあると言われる。赤色の光を発し、預言者ノアの管理下にある。

3.深奥の心(シッル):左胸の上にあると言われる。白色の光を発し、預言者モーセの管理下にある。

4.深淵の心(ハフィー):右胸の上にあると言われる。黒色の光を発し、預言者イエスの管理下にある。

5.最奥の心(アフファー):胸の中央にあると言われる。真理(ハキーカ)とも呼ばれる。緑色の光を発し、預言者ムハンマドの管理下にある。

 

 また各精神器官は内面世界を正しい方向へと導く預言者とつながっていると信じられており、心はアダム、霊はノア、深奥の心はモーセ、深淵の心はイエス、最奥の心はムハンマドの管理下にあると言われている。スーフィズムにおいて心の奥底を探求する営みは、修行者が祈祷を通して各ラターイフに光をともしていくことで、歴代の預言者の精神的境地を獲得し「心をまねていく」過程である。ナクシュバンディー教団では基本的に「アッラー」とひたすら唱え続ける「神の本質の祈祷」と「ラーイラーハ・イッラッラー(神はいない。しかしアッラーはいる)」と唱える「絶対否定と絶対肯定の祈祷」を修行として行う。「絶対否定と絶対肯定の祈祷」は無声の祈祷法に則り心の中で祈りを捧げ、各ラターイフに精神力を巡らせることを目的とする。ナクシュバンディー教団の祈祷法は次のような順序で行う。

1 下を口蓋の上につける。
2 呼吸を止め、「ラー(la)」の言葉を胸の中央(アフファー)から頭(ナフス)に送る。
3 「イラーハ(ilaha)」の言葉をナフスから右肩を通り、ルーフ(右胸の下)、ハフィー(右胸の上)に送る。
4 「イッラー(illa)」の言葉をハフィーからシッル(左胸の上)に送る。
5 シッルからカルブ(左胸の下)に息を止めた力をぶつけるイメージでカルブ(左胸の下)に送る。カルブに祈祷の言葉を送るときに、その衝撃で熱が体全体に広がり暗い感情を焼き切るように想像する。
6 息を止めるのが苦しくなったら息を吸う(なるべく祈祷が3回目、5回目など奇数回の時に休む)。その際、「神よ、貴方こそ我が目標、貴方の喜びこそ我が望み」と唱える。

 

写真6 ナクシュバンディー教団のラターイフと祈祷の対応表

 

 魂の修行法では祈祷の種類は人間の精神や感情の発展段階に対応したものであるため、次の段階に至るまでに何十年とかかったり、ついには最後の段階までたどり着けなかったりすることも多々ある。人間そう簡単に嫉妬心を消し去り純粋な心を獲得できるわけがない。一方霊の修行法は一回の修行の中でカルブからアフファーまで「絶対否定と絶対肯定の祈祷」の力を巡らせ、そのエネルギーを魂に経由させることで魂の発展を目指すことを目的とする。
 また後の回で改めて紹介するが、ナクシュバンディー教団には「社会の中の隠遁」という心得があり、この霊の修行法は特定の修行場に籠もったりするのではなく、社会の中で日常生活を送りながら心の中では常に祈祷を続けるような習慣を身に着けていくことが求められる。

 

集団祈祷とスーフィー詩
 スーフィーの祈祷修行は上記のように個々人で行うものもあれば、導師と修行者が集い集団で行うものもある。例えば、13世紀モロッコで活躍したアブー・ハサン・シャーズィリーによって開かれたシャーズィリー教団は中東に広く膾炙(かいしゃ)しているが、彼らは木曜日か金曜日に集団祈祷を行う。特に神の愛を称える神秘詩(カスィーダ)を歌いながら祈祷修行を行うことが特徴である。例えばアラブのスーフィー詩人イブン・ファーリド(1234年没)が編んだ神秘詩は、祈祷修行の際に最も好まれて使われる詩である。

 

貴方こそ我が義務、我が献身の的

貴方にこそ我が言葉 四肢を捧げる

貴方こそ我が礼拝の向かう先 貴方にこそ礼拝を捧げる

貴方の美しさは我が目を覆い 私は我が全てを神に向ける

貴方の内奥は我が心の内に 心は貴方の顕れの頂に

イブン・ファーリド(12~13世紀アラブのスーフィー詩人)

 

 このイブン・ファーリドの詩でも神の心と人間の心が両者の心の奥深くでつながっていることが詠われている。集団祈祷では修行者が一列、あるいは円を成し神の名を唱え続け、断食月などの特別な期間では夜通し行われることも珍しくない。
 以上、スーフィズムにおける祈祷修行の概要を紹介した。次回は、スーフィズムの修行中に修行者の心の中に現われる様々な感情について紹介したい。

 第三回
スーフィズム入門

白い衣服に身を包んだ男性たちが一定のリズムをたもって旋回し瞑想するスーフィーの静謐な映像は誰しも一度は目にしたことがあるかもしれない。 一般に日本で中東をめぐるイスラームの話題といえば紛争の影や厳しい戒律のイメージがつきまとうが、この「イスラーム神秘主義」と呼ばれるスーフィズムの求道的なたたずまいは門外漢にもどこか安寧を感じさせ、また日本の芸道におけるストイックさに通じるものが香る。 はたして、スーフィズムとはいかなるものなのか? スーフィズム研究を専門とし、現在、イスタンブールで教鞭をとる著者による最新の入門連載をここに贈る。

プロフィール

山本直輝(やまもと なおき)

1989年岡山県高梁市出身。同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。

現在トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究所助教。主な翻訳に『フトゥーワ―イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)。

 
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スーフィズムの修行(2)―心を練り上げる祈祷

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