第18回開高健ノンフィクション賞作品『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)の文庫版が1月20日に発売された。2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗城史多氏を描き、注目を集めた一冊だ。
そんな栗城氏を主人公に据えた本書が文庫化されるにあたって、著者の河野氏が解説文の執筆を頼んだのが、TBS「報道特集」の特任キャスター・金平茂紀氏だった。依頼の背景には何があったのか。そして金平氏は『デス・ゾーン』をどう読んだのか。2月初旬に行われた対談の模様を前・後編でお届けしたい(構成:朝山実)。
━━まず河野さんから『デス・ゾーン』の文庫版解説を、金平さんに依頼された理由をうかがっていいでしょうか?
河野 私は、金平さんがモスクワ特派員だった頃から緊張感のあるリポートをされているのを拝見していて、敬意を持っていたというのが一つです。
1991年8月の軍事クーデター(ソビエト連邦時代、ゴルバチョフ大統領に反対する保守派勢力が起こしたが失敗に終わる。結果、ソ連崩壊へといたる)でモスクワに戦車が向かっていた日、私はサハリンにドラマの撮影に行っていたんです。
金平 ああ、そうでしたか。
河野 その後、お話ができたのが放送文化基金のフォーラムで。「わたしはニュースバカだ」と話されていて、面白いひとだなあと。
そういうベースがあったのと、この本は「嘘と真(まこと)」の境界線を生きた不思議な登山家を追った本なので、「ニュースバカ」を自認される金平さんがどう読んでくださるのか。恐怖と期待で、ぶしつけながらお願いしました。
金平 僕はあちこちで「ニュースバカですから」って言っていて。もう46年ずっとニュースしかやってきてないから(笑)。
河野さんのお仕事ぶりについて僕がよく覚えているのは、「ヤンキー先生」として一世を風靡する義家弘介氏(自民党・参議院議員)を取材したドキュメンタリー番組。『ヤンキー母校に帰る』という。
その後、彼は全国的な知名度を得て政治家に転身していくわけですけど、世に出るきっかけをつくったのは河野さんだと僕は思っています。
河野 はい。
金平 北海道のいわゆる「底辺校」「落ちこぼれ校」で立ち直ったワルが、教師となって母校に帰り、生徒を見捨てず奮闘する。僕もテレビ屋なので、そういうストーリーに河野さんが食いついたのは、わかる。
だけども、義家氏が政治家に転身し「教育のプロだ」と前に出るようになったときに、一度、河野さんと長いやり取りをしましたよね。
河野 よく覚えています。
金平 その時に言われたのは、「もう本当に後悔している」と。
河野 はい。義家さんはヤンキー先生時代とはまったく異なる教育論を語るようになった。その一方で、テレビ番組に描かれた過去を都合よく自己宣伝に利用している。
金平 そうそう。怒り口調で言っていましたよね。メディアが取り上げることによって、そのひとの人生が変わってしまうというのは、僕も経験があるからわかります。
プロフィール
金平茂紀(かねひら しげのり)
1953年北海道生まれ。東京大学文学部卒業後、1977年にTBS入社。報道局社会部記者としてロッキード事件などを取材する。その後はモスクワ支局長、ワシントン支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、執行役員などを歴任。2010年より「報道特集」のメインキャスターを務める。著書は『テレビニュースは終わらない』(集英社)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七ツ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。
河野啓(こうの さとし)
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年に北海道放送入社。ディレクターとして数々のドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉など)を担当した。著書に『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館、第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)など。2020年に『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』で第18回開高健ノンフィクション賞を受賞。