対談

「教育虐待」から生き延びるために

古谷経衡×五野井郁夫

■親のコンプレックスを解消するために、子どもを利用する

五野井 古谷さんも本の中で、お父様の学歴に対する「コンプレックス」について書かれていましたが、私の父親にも同じようなところがあったと思います。

 私の父は歴史学者なのですが、歴史学というのは近現代の学問とは違って、資料をたくさん持っている研究者が最初から「勝ち」という側面があります。ところが、父がいた東京大学の史料編纂所には、「徳川氏の子孫です」というような人がたくさんいて、そういう人はすでに資料を山のように所有しているし、むろん次元の違う文化資本も物心ついた頃には実装されている。それには逆立ちしても勝てないし研究所内で肩身が狭いというのが、父親にとってのコンプレックスだったようです。

 そしてその分、自分の子どもには「彼らに勝てるような人間になれ」と期待した。いわば、自分のコンプレックスを解消するために子どもを使ったわけですよね。

古谷 私の父は北海道の夕張の出身で、地元の進学校から帯広畜産大学という国立大学に進みました。そこで獣医学を学んだ後、札幌市に移って地方公務員となり、長年、感染症の研究をやっていました。私は完全な文系の人間なので、父の研究についてはまったく分からないのですが、キタキツネなどから人間にも感染する、エキノコックス症について研究していたようです。

 おそらくは志があってやっていたことだと思うし、生涯をかけて感染症の撲滅に取り組んできたというのは、非常に立派なことだと思います。だから、何も引け目に感じることはないはずなのですが、父は私が子どものころから、ずっとこう言って聞かせてきました。「自分は北大卒ではなく、偏差値的には北大より劣る帯広畜産大学卒だから、職場で差別をされている。おまえにはそういうみじめな思いをさせたくないんだ」。

 だからおまえは絶対に北大に行って職場のやつらを見返すんだと言われ続けたわけです。そんなことを言われても私にはまったく関係ないんですが、そうして私の人生すべてを設計して押しつけてきた。そして、進学校の学区内に家を買うというところにまで至ったわけです。

五野井 うちの場合は「一択」ではなかったのですが、東大でもどこでもいいのでとにかく大学院に行って博士号を取れ、という方針でした。どこの大学に行っても、能力さえあれば研究者にでも官僚にでもなれるんだからという、いわゆるエイブリズム(健常主義)、メリトクラシー(能力主義)のような考え方なんですね。それを押しつけられて勉強を強制され、それで力が身に付いたら付いたで、「おまえには能力があるんだからそれを生かさなくてはならない」と言われるわけです。近頃は会う度に「次の本はまだか?」と聴いてくる。

 でも、やれる能力があるからといって、それを努力して開花させるかどうかは自分の勝手なんですよね。

古谷 そのとおりです。

五野井 自分が選んでやりたいと思ったこと以外は、能力がたとえあってもやらなくていいと思うんです。実際に私は、中学も高校も出席点ぎりぎりしか学校には行かず、あとはひたすら図書館にこもったり、美術館や博物館巡りをしたりしていました。今になって思うのは、そんなことをしていても別に人生が詰んだり終わったりするわけではないということですね。

 今って、学校をサボっちゃったりすると、内申点が悪くなって大学の推薦も取れないし、もう人生終わりじゃないかみたいな風潮があるでしょう。

古谷 そんなことないですよね。

五野井 そう。もちろん大検を取ってもいいし、それこそ古谷さんだって学歴に頼ったわけではなく、文章一本でここまでやってこられたわけでしょう。自分の選んだことを一生懸命やっていれば、ちゃんと見てくれる人がいるんですよね。

 私も学校をサボってブラブラしているときに、学歴や家柄ではなく実力で生きている人たちにたくさん出会って、その後の生き方が変わるような影響を受けました。その結果として、親の欲望はある程度叶えてやったらあとは自分の好きなことをやろう、と考えられるようになったんです。世の中で「この道から外れたら人生終わりですよ」と思われているところから外れても、けっこう生きていける。これは今の若い人たちに向けて声を大にして言いたいですね。

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プロフィール

古谷経衡×五野井郁夫

 

 

古谷経衡(ふるや つねひら)
1982年札幌市生まれ。文筆家。立命館大学文学部史学科(日本史)卒業。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。時事問題、政治、ネット右翼、アニメなど多岐にわたり評論活動を行う。著書に『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『左翼も右翼もウソばかり』『日本を蝕む「極論」の正体』(ともに新潮新書)、『「意識高い系」の研究』(文春新書)、『女政治家の通信簿』(小学館新書)、長編小説『愛国商売』(小学館文庫)などがある。

 

五野井郁夫 (ごのい いくお)
1979年、東京都生まれ。政治学者/国際政治学者。高千穂大学経営学部教授。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)など。

 

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