第2章「ロボットの起源と文化」では、ロボットという言葉の語源となったチェコの劇作家カレル・チャペックの戯曲にさかのぼり、ロボットについての大衆的イメージやロボットの登場する文学や映画の問いかけるものを考察しているのも興味深い。
「アメリカでは『法と文学』という学際領域が生まれています。文学の中に法的問題を発見し、文学的想像力によって法学の限界を補うものです。本書で『ブレードランナー』『ターミネーター』『ロボコップ』などSF映画にたびたび言及したのは、ロボットをめぐる法的問題についても「法と文学」の視点を利用して考えることができるのではないかと思ったからです」
平野氏はこのように説明する。ロボットのイメージといえば、鉄人28号やマジンガーZのような人間が操縦するタイプもあるが、本書で扱われるロボットとは第3章「ロボットの定義と特徴」で、〈感知/認識〉+〈考え/判断〉+〈行動〉の循環を有する機械と定義されている。
機械といっても第4章で取り上げられるサイボーグやヒューマノイドのような人間そっくりのロボットもあり得るが、本質は同じだ。簡単に言えば、学習能力を持つAIを搭載した自律型ロボットである。そのようなロボットが世に生まれることで、新たな法的問題も避けがたく生じてくる。
「たとえば、AIを搭載した自動運転車が走っていたら、横から子どもが飛び出してきた、危険を回避するためにハンドルを切ると反対側の歩行者にぶつかってしまう、というような場合にはどうすべきかという問題が生じます。究極の選択を迫られたAIが経験値からどう判断するかは不透明です」
こうした不安に対して製造物責任(PL)法とのアナロジーで論点を整理している第5章「ロボット法の核心」では、いくつもの判例を引きながら従来の機械製品とは違う自律型ロボットが事故を起こした場合の責任のありかを探っていく。
「問題は自律型ロボットの心臓部であるAIです。AIが何を学習し、どう判断するのかを予測できない以上、ロボットによる事故の責任はどこにあるのかが問題になります。極端な場合、責任の空白という事態もあり得る。法的な対応が決まっていない状態で事故が起きてしまえば、ロボットは危ないという不安が急速に広がり、ロボット開発にストップかかかるのではないかと心配されます」
プロフィール
1961年東京生まれ。中央大学総合政策学部教授、米国(NY州)弁護士。中央大学法学部法律学科卒業後、コーネル大学大学院(ロースクール)修了、博士(総合政策、中央大学)。企業派遣で留学したコーネル・ロースクール修了と同時に、ニューヨーク州の法曹資格試験に合格。同校在学中には法律論文誌の編集員に選抜される。その後、(株)NTTドコモ法務室長などを経て現職。