プラスインタビュー

亡き父の足跡を辿る鉄旅が浮かび上がらせた「戦争」

『鉄路の果てに』著者・清水潔氏インタビュー
清水潔

読者が紙上で旅を共にする際の大きな助けとなるのが、本書の要所要所で差し挟まれる地図だ。「満州国」の広さはどれくらいだったのか、ハルビン、奉天(現・瀋陽(しんよう)市)などの主要都市の位置関係はどうなっていたのか、満州国を走る鉄路、そしてシベリア鉄道はいつ、どのように建設されていったのか……「満州」が遠くなって久しい現代の日本人にも、戦前の日本が鉄道というインフラを通じて大陸に版図を広げていった様が生々しく伝わってくる。

「当時、長距離交通の基本は鉄道か船しかありませんでした。道路も整備されていない時代ですから、『鉄の道』を敷かなければ人も物資も運ぶことができず、だからこそ国家は莫大な予算をかけて鉄道を整備し、鉄道は戦争にも深く関わっていったわけです。

父が所属していた鉄道聯隊は後方支援のような役目だと想像していたのですが、今回の旅を通して戦争における鉄道の重要性を思い知らされました」

清水氏が様々な場で繰り返す言葉に「知ろうとしないことは罪」というものがある。シベリア鉄道が「大陸横断のロマン」として喧伝されるのは戦前以来のことだが、そのロマンの後ろに重い歴史が横たわることを本書は明らかにしていく。しかし、そのことを知らないままでこの鉄路に憧れを抱く旅人も少なくはないだろう。

「世の中、知らないことばかりなのは当たり前です。けれど、問題なのは知らないことではなく『知ろうとしないこと』で、こちらの方が罪深いのではないかと考えています。

たとえば、悲惨な戦争を二度と起こしてはいけないと願うなら、戦争が引き起こされた経緯を知ることが必要です。でなければ、かつてと同じようにメディアを統制し、大義名分を掲げ、他国に攻め込むようなことが繰り返されていくでしょう」

過去を知ろうとするとき立ちはだかるのは、戦後75年という時間の壁だ。戦争を知る世代が世を去っていく中、ジャーナリストを生業とする清水氏でも、兵士だった父の生前に戦争体験を詳しく聞くことにはためらいがあったという。

「父は軍隊にいたとは思えないぐらい穏やかな人で、私は父のことが大好きでした。父が南京大虐殺のような場に居合わせていたとしたら……と思うと、やっぱり怖かったですね。

たまに当時の話を聞き出そうとしても、父の口は重く、亡くなる前にようやく少し話をしてくれました。もっと聞いておけばよかったな、とつくづく感じますが、それでも、他の記録などで補いながら、父の人生から戦争の無用さについて考える材料を揃えることはできたのではないかと思っています」

親や祖父母の世代が体験した「あの戦争」の多くの事実は、ともすれば蓋をされ、なかったこととして扱われがちだ。それに抗えるのは、彼らが生きた軌跡の連なりに今があることを自覚し、「知ろうとする」試みを根気よく続けていくことだろう。本書はその始まりとして、この上ない道(みち)標(しるべ)となるはずだ。

ジャーナリスト・清水潔氏(撮影:内藤サトル)

 

※季刊誌「kotoba」41号に掲載の著者インタビューを一部修正の上、転載しています。

文責:加藤裕子

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プロフィール

清水潔

1958年東京都生まれ。ジャーナリスト。日本テレビ報道局記者・特別解説委員、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師などを務める。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビ社会部へ。著書は『桶川ストーカー殺人事件――遺言』『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(共に新潮文庫)、『「南京事件」を調査せよ』(文春文庫)など。2020年6月放送のNNNドキュメント「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故~」は大きな反響を呼んだ。

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