著者インタビュー

現代もなお生きている「縄文の思想」【前編】

『縄文の思想』著者・瀬川拓郎先生インタビュー
瀬川拓郎

——先生のご著書は、『アイヌ学入門』(講談社現代新書)などアイヌを主題的に扱ったものが多い印象があります。アイヌという存在については、もともと問題関心や研究の動機を抱かれていたのでしょうか。

瀬川 自分で言うのもなんですが、僕はものすごくダメダメな人間なのでね、北海道で遺跡を掘っていても、「自分は今、アイヌの人たちの祖先の遺跡を掘っているんだ」という感覚は、正直に言うと無かったんです。あったのは、「ただ古代の遺跡を掘っているんだ」という感覚だけでした。

旭川に来るまで、アイヌの方にお会いしたこともありませんでした。高校時代から考古学の本は読んでいましたけれども、当時は「アイヌ考古学」だとか、「アイヌの歴史としての北海道の考古学」という視点はメジャーではありませんでした。考古学で「アイヌの歴史をたどっている」という意識は、考古学者の中では強くなかったと思います。そもそも、僕が若い頃には、北海道の縄文時代が、身の回りにいるアイヌの方たちと本当につながっているんだろうか、という議論をやっていたくらいでした。まだ前提ではなかったんです。

ただ、発掘の現場で接する作業員さんたちの中には、アイヌの方もいました。そういう方たちに普通に付き合って戴く中で、「ああ、こういう人たちの祖先の遺跡を掘っているんだ」と、ようやく感じるようになってきたんですね。そして、「ひょっとすると、この人たちって、その当時からここに住んでいたのかもしれないよなあ」なんて考え出し始めた。

結局、北海道で考古学をやるということは、「アイヌの人たちの歴史」という物の見方を自分の中に組み込まないと成立しない世界なんだ、とようやくわかったんです。「自分が掘り出そうとしているのは、アイヌの人たちの歴史なんだ、その中から見てみよう」と考えるようにしたんですね。

実際に、自分は北海道の生まれ育ちですから、本州に対する違和感がずっと拭い去れなかった。一方で、自分はアイヌでもないのだから、この土地のネイティブでもない。そういうもどかしさをどこかで感じていました。だから、アイヌの歴史を研究していくというのは、アイヌの方に対して同情しているとか、決してそういうことではありません。「根無し草である北海道人」としての自分、というのがどこかにいて。その足場をどこに持つか、と考えると、やっぱり北海道しか無いんですよ。そして、その土地の歴史は、アイヌの人たちに繋がっている。倭人としての歴史は明治までしか遡れませんから。結局はそこに自分自身のアイデンティティを求めていたのかもしれません。

 

写真提供:瀬川拓郎先生

後編に続く

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プロフィール

瀬川拓郎

1958年生まれ。北海道札幌市出身。考古学者・アイヌ研究者。岡山大学法文学部史学科卒業。2006年、「擦文文化からアイヌ文化における交易適応の研究」で総合研究大学院大学より博士(文学)を取得。旭川市博物館館長を経て、2018年4月より札幌大学教授。主な著書に、第3回古代歴史文化賞を受賞した『アイヌ学入門』(講談社現代新書)をはじめ、『アイヌの歴史』『アイヌの世界』(ともに講談社選書メチエ)、『アイヌと縄文』(ちくま新書)など。

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