対談

「女性だから依頼しました」はなぜ嫌なのか

荒木優太×磯野真穂 『サークル有害論』刊行記念対談vol.3
荒木優太×磯野真穂

日本のインテリは「類」に達している?

荒木 私としては、日本のインテリの方々にも『サークル有害論』を読んでほしい。小難しく書いたのも、ある程度複雑なことでも理解できる能力があるはずだという期待があるからです。

 これは綿野恵太さんとの対談でも話題に上りましたが、今の日本のインテリには、もう類(普遍)に行こうという姿勢がなくなっている。つまり田辺元の議論だと、個から始まって種を仲介して最後に類に行きましょうという話になっていた。なのに、彼らはそもそも普遍的な次元なるものに信用がおけず、全てが種のさまざまな相克によって成り立っていて、そこで勝つことが最終的な勝利だという風に理解している節がある。

磯野 そうすると、いわゆる種というのが日本のインテリたちにとっては類(普遍)であって、そういう類の内部で、また新しい何か小さい種みたいなものができてくるってことになるのでしょうか。

荒木 そうですね。彼らの主観では、俺たちはもう既に類に達していると思っている可能性はあります。私としては、もう一歩先があるだろう、といいたいのですが。

磯野 やばいですね(笑)。

脱構築を語っていた人たちは今

磯野 荒木さんの本の主題は、社会秩序をどうやって作っていくかという話なんだろうな、とも思いながら読ませていただきました。

 結局人間が一緒に暮らしていくためには、それぞれが別々のロジックを持っていたら困るので、ある程度同じルールを持たなきゃいけないじゃないですか。社会の安定のためにね。そうすると秩序が必要になってきて、多分その時の一つの秩序の在り方が、今ホモソーシャルという名前が付けられて批判されている。

 それで今、日本の新しい秩序を作るという時に、どういうやり方があるのかということを考えなきゃいけない。その時に「ホモソーシャルは駄目だよね」っていう議論だけだと粗すぎる。

 荒木さんの本を読みながら、私はメアリ・ダグラスの『汚穢と禁忌』を思い出したんですよね。ダグラスは本書の中で、外側にある不浄をどこかのタイミングで社会秩序の中に取り入れないと、社会が死ぬという話をしている。外側にある異物というものを、どこかのタイミングで社会の善きことのために取り入れないと、その集団の生命は死ぬという。「毒は薬であり、薬は毒である」というのは、まさに「汚れ」の話ですよね。

荒木 そうですね。その「毒は薬であり、薬は毒である」というのは、私の本の中だとデリダの名前と共に出てきた箇所です。ジャック・デリダの術語「パルマコン」は、毒を意味すると同時に薬を意味し、あるシステムのなかで両義的な働き方をするもの全般にいえる脱構築派の鍵概念でした。

 だから、私はtoxic masculinityとか言っている人文系知識人を見ると、かつてデリダとか読んでいた連中は何を考えているのかって思うわけです。

磯野 本当に、何を考えているんでしょうね?

荒木 だって、毒が悪いだろって議論に対して「いや、毒は薬にもなるから」と言っていたのが脱構築派でしょうに。彼らの沈黙は不可解です。柄じゃないということを自覚しながらも、誰も言ってくれないので今回引き受けてみたわけですが、私よりも応答責任をもつべき知識人はいると思いますよ。

言葉の文脈と時間性

磯野 私は最近よく、上から落ちてくる言葉とどう付き合うのかって悩んでいるんです。例えば、小さなサークルの中で流通する言葉があるじゃないですか。でもそれを外側の人が聞くと、途端にとんでもない差別用語になってしまって、それが漏れ出て大バッシングが起きてしまう。

 もちろん、差別的な発言はいけませんが、そういうものをすべて「消毒」してしまうと、世の中がすべてファストフードのチェーン店みたいになりそうな気がするんです。ある種の、その文脈だったら普通だったけど外側に出た瞬間に差別用語になってしまう言葉を、全部取り払っちゃっていいのか。

 ある新聞社との原稿のやりとりの中で、取材協力者の方が言っていた「上級市民」という言葉をそのまま引用として使ったんです。こういう会話の中でも普通に使うじゃないですか。そうしたら、新聞社の人が「その言葉は使わないでほしい」って言うんです。この新聞にふさわしくないと。

荒木 そうなんだ。

磯野 「県民性」という言葉も、やや問題ありと指摘されました。でもこう言うふうに言葉を削っていくと文章がどんどんつまらなくなるんです。行政文書みたいになってくる。言葉の意味というのは、それぞれの文脈におかれて初めて、生き生きとした意味を持ちますよね。それを「一般的にはこういうネガティブな捉えられ方をする可能性があります」という形で処理されてしまうことには違和感があります。

荒木 文脈というものは時間が必要だというのがたぶん重要で、その時間性みたいなものを抜きにして、それこそパーツ的に言語を考えて、「このパーツにはこういう意味があるから」という型でやっていくと、本当に言葉も社会もインスタントなものになってしまうと思いますね。SNSが典型的ですが。

 本を読むこと自体がそのインスタント性に抗うことです。ですので私は私の本の難解さを責める声に対しては、本は時間をかけて読むものなんだと応えたい。他方で、『サークル有害論』が「上から」の言葉にあまりに親しみすぎたかもしれないという反省があることも事実です。

 それは先ほど申し上げた通り、想定読者にインテリの方々もふくめていたからなのですが、そもそもインテリが関知していない現実も無数にあるわけですよね。今回、『他者と生きる』を読んで、作図できないものを作図するといった無茶をふくめて色々なインスピレーションをいただきました。いつか別のかたちで展開してみたい。本日はお付き合いいただきありがとうございました。

撮影/須田卓馬
構成/星飛雄馬

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関連書籍

サークル有害論 なぜ小集団は毒されるのか

プロフィール

荒木優太×磯野真穂

荒木優太(あらき ゆうた)
1987年東京生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。明治大学大学院文学研究科日本文学専攻博士前期課程修了。2015年、第59回群像新人評論賞優秀作を受賞。主な著書に、『これからのエリック・ホッファーのために』『無責任の新体系』『有島武郎』『転んでもいい主義のあゆみ』など。編著には「紀伊國屋じんぶん大賞2020 読者と選ぶ人文書ベスト30」三位の『在野研究ビギナーズ』がある。最新刊は『サークル有害論』(集英社新書)。

磯野真穂(いその まほ)
人類学者。専門は文化人類学、医療人類学。2010年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界』(ちくま新書)、『ダイエット幻想』(ちくまプリマ―新書)、『他者と生きる』(集英社新書)、共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。

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